第三話「カーキ色の女の子」
その子は、転がってきたボールを追いかけていた。僕は、そのボールを掴んで、女の子の方に転がしてあげた。
カーキ色のオーバーオールを着た女の子は、不思議そうな顔で僕を見た。黒い髪の毛を頭の高い位置で結っていて、この辺りの土地の人に特有の、薄いオレンジ色の肌をしている。
「気を付けて」と、僕はその土地の言葉で、声をかけた。
女の子は、腰を折るようにして、浅く頭を下げると、くるりとこちらに背を向けて、友達が待っているらしい方向に走って行った。
この土地の人達は、折々に頭を下げる。挨拶の時も、お礼を言う時も、道を尋ねる時も、別れ際も。それが礼儀正しい事で、頭を下げる事は親愛の印らしい。
握手もハグも無くても、すれ違いざまに相手が頭を下げたら、そこにはもう「気遣い」と言う交流が成されているのだ。
不思議な土地だと、常々思っている。
この土地の猫も、随分と変わった姿をしている。手足が全体的に短くて、胴が太い。鼻筋が縁取ったようにきりっとしていて、鼻が潰れている者は少ない。
顔つきはアナントに近いけど、体つきは何となく「太りすぎているのだろうか?」と疑いたくなる。
僕は、町の中をぶらぶらしながら、小説のネタを考えていた。正確に述べるなら、ネタが無いわけではない。
プロットはだいぶ練ってあって、話の流れは決まっている。だけど、プロットとプロットの隙間を埋める展開の描写に行き詰ったのだ。
それで、カメラを持って散歩をしながら、気分転換をして、新しい表現方法について考えていたわけだ。
ずっと物語を書いていると、時々、説明文だけで規定文字数まで埋まってしまう事もあるし、幾ら描写しても描写しても、面白いと思えなくなる時もある。
自分はずっと物語の中に居るので、その世界の事を綿密に分かってしまっている。だからこそ、説明するのに躍起に成って、たおやかに描写するって事が出来なくなる時がある。
じっくりどっぷりと、それこそ、花にとまる朝露の水滴の様まで美しく描写して……と言う、濃密な描写をやってみても、自己満足で終わる事もある。
それに、そう言う濃厚な描写ばっかりやってると、話は進まないし、書いてるほうは疲れるのだ。
治安の悪い自宅の周りはさっさと避けて、子供達が道端で遊べるくらいに余裕のある街角を、この国特有の長い西日を受けながら歩く。
十四時頃には日差しに朱色が混じり始めて、十七時三十分くらいに日没が起こる。残り三時間と三十分、じっくりと夕陽が楽しめるのだ。
キリクスは、僕の取材用の写真を見たがるようになった。家の外に出られないので、暇を持て余しているんだろう。
だけど、キリクスが奴等に見つかると言う危険は、回避しなければならない。
ナイジェル・フォークリッド博士から、研究成果を引き継いだ、アスクメディナと言う名前の国の政府に見つかってはならない。
全部の元凶は、ナイジェル・フォークリッド博士が、この世界の神として、当時死亡していたキリクスを蘇らせようとした事にある。
ナイジェル博士達が戒められた後も、アスクメディナの政府は、自分達の思惑に利用するため、半分霊体のキリクスを探している。
天空川に還ったレオ神達は、どうしているだろうか。追手から逃れるために、北陸塊を去った僕達は、その後のアスクメディナの事を知らない。
僕達が逃げ回っている間に、どれだけの変化があったのか、それとも何も変化はないのか。
少なくとも、アスクメディナの政府が、まだキリクスを探すのを諦めていないのは知ってる。
スナックスタンドでチップスとフライを買って、歩きながら食べた。とても美味しいけど、残暑が続く季節柄、喉が渇いてくる。
追加で飲み物を買いたいな、と思って、テイクアウトカフェに立ち寄った。そしたら、外で「ドン」と言うような、鈍い音がした。
何だろうと思って振り返ると、通行人と車がぶつかった音だったようだ。地面に投げ出された通行人は、意識を失っているらしい。
そこに、さっきボール遊びをしていた女の子が、てくてくと歩いてきた。
そして、倒れている人に触るように、ひょいと背を低くした。
その手の平を中心に、女の子の体に何かが吸い込まれたのを「見た」のは、その場では僕だけだったようだ。
僕は、注文したミルクティーが渡されるのを、手の感触で確認してから、慌ててその女の子の後を追った。
事故現場を離れた女の子は、時々立ち止まって、こめかみを押さえるような仕草をした。
その足取りは、次第にフラフラして行く。足がもつれそうになりながら、彼女は街並みの向こうにある寺院を目指していた。
もう少しでテンプルに着くと言う時、女の子は膝を追って地面に両手をついてしまった。
僕は、もう見て居られなくなって、手にしてい空っぽの紙袋をゴミ箱に叩きこむと、女の子に駆け寄り、「大丈夫?」と声をかけ、彼女の両脇を支えた。
途端に、僕も急に気分が悪くなってきた。頭を殴られた後のように、頭痛がして、目の前が眩む。
「放して」と、女の子は弱弱しく言う。「あなたに……移っちゃう……」と言って、女の子は身をよじる。
「大丈夫」と、僕は言い切った。「あの……。あのテンプルに行けば良いんだろ? そうなんだよね?」と、僕は励ますように女の子に訊ねた。
女の子は、おぼつかない様子だけど、何度も頷いた。
僕は、頭がぐらぐらするのを我慢しながら、女の子が目指していたテンプルに辿り着き、女の子が指をさす方向に、彼女を連れて歩を進めた。
最終的に辿り着いたのは、水の湧き出ている泉の畔だった。
僕はもう歩くのも限界で、泉の前に座り込んだ。女の子は、這うように手足を動かして、湧き出ている水に片手を浸した。
途端に、女の子の体から、「悪しき物」が解放された。女の子はふーっと溜息を吐いて、冷水に浸した冷たい手で、僕の片手を握った。
「少しだけ、手を伸ばして」と、女の子は言う。
僕は女の子の言うままに、片手を彼女に預けた。伸ばされた手に触れた真水の冷たさに、頭を痛めていた熱が放たれる。
僕は、途端に眩暈も頭痛も無くなって、顔を上げ、目を瞬いた。
女の子は、にっこりとほほ笑んで、「これで、大丈夫」と言う。
「ルシア」と、言う老人の声が聞こえた。女の子は、その声をのほうを向いて、頭を下げる。
老人は、頭を丸めて特有の衣服を着ている、僧侶らしき人だった。
「また、『負』を拾ってきたんだね?」と、僧侶は言って、女の子の頭の上に手を当てる。「うん。しっかり祓われているようだが、無理はしちゃいけないよ?」
僧侶はそう言って、僕の方を見た。
「その様子だと、あなたはルシアを助けてくれたようだね」と、僧侶は言って、僕の頭にも手を当てた。「ああ、移った分はちゃんと祓われている。問題ないよ」
「えっと……。もしかしたら、僕の勘違いかも知れないんですが」と前置きをしてから、僕は話した。
事故現場の怪我人に触れた女の子が、怪我人から「悪い物」を吸い取っていたように見えたと。そして、その「悪い物」を、この泉で清めたように見えたと。
「うむ」と、僧侶は唸る。「どうやら、この異国の方は、『見える目』を持った人らしいな」
女の子は、僧侶と僕の両方を交互に見つめながら、頷く。
僧侶は、基本的な事を聞いてきた。
「異国の方。あなたの名前は?」
僕も、挨拶を忘れていた事に気付いた。
「アランと言います。アラン・ハーディです。こんにちは」と、いささか間の抜けた返事を返した。




