第七話「祭りの夜の天の蒼 壱」
その晩は、メリュジーヌと言う名の、メリューの年の離れたお姉さんが、長い旅から帰ってくる日でした。
どうにも、メリュジーヌと言う女性は、ずっと北の方の海で、ほぼ一年間、海賊や海の魔物と戦っているようなのです。
彼女は毎年一回、メリュー達の住んでいる町に帰って来て、三ヶ月程の長い休暇を取ります。
毎年と同じように、女主人を迎えようとしていた町の人々は、宵闇の中に白いドラゴンの姿を見つけてから、その年のメリュジーヌの様子が違う事に気付きました。
白いドラゴンの姿をしたメリュジーヌは、まるで追手から逃げているように忙しなく翼を動かし、空中で何度も身を翻しました。
メリュジーヌの「凱旋」の祭のために集まっていた人々も、唯ならない様子に気が付きました。
「あれ!」と、メリューが声を上げ、メリュジーヌの背後から追って来る黒い影を指さしました。
メリュジーヌは、そのまま海の中に身を投げ、姿を隠しました。
街の明かりが届くギリギリの場所で、追手は追跡をやめ、箒で空中に滞空したまま、朱い瞳で海の中の影を見つめました。
その、白い長い髪を持った黒い服の女性を、メイドのシャニィはハッキリと見たのです。
やがて、その白い髪の人物は、箒を操って空の闇の中に姿を消し、人間の姿に成ったメリュジーヌは、泳いで岸に辿り着きました。
白布を手に持った女性達が、海から上がってきた女主人に駆け寄ります。
その年のメリュジーヌは、深手を負っていました。女性達が女主人の肌に白布を着せると、その布は紫色に染まったのです。
普段だったら、旅先で追った怪我は魔術と休養で治して帰ってくるのですが、その時は、ついさっき背に負った傷から、だくだくと血が溢れていました。
何時もの年だったらドレスのように見える白布は、その年は包帯のように見えました。
怪我を負ったメリュジーヌは、ネーブル・ドクの家に運び込まれ、応急処置を受ける事に成りました。
「一体、誰が?」と、ネーブルのお父さんは、メリュジーヌに付き添ってきたメイドに声をかけました。「追手の姿は見たのか?」
「見ました……」と、シャニィは、自信がなさそうに、弱弱しく答えます。「でも、絶対、そんなはず……無いんです」
「白い長い髪をした、黒衣の人物だったらしい」と、シャニィの隣に居た男性が、代わりに答えました。「私も、そんな事は無いと言いたいが、アン・セリスティアによく似ていたと言う事だ」
医者の家に詰めかけた町の住人達が、ざわざわ言い始めます。
「アンがメリュジーヌ様を裏切った?」
「何のために?」
「だが、アンは……」
なんだのかんだのと推測を広げようとする町の人を遮って、メリューは叫びました。
「落ち着いて! アンがメリュジーヌを傷つけるわけがない!」
町の人達は、幼子の意外な大声にびっくりしました。
「あれは、偽物よ!」
そう宣言してから、メリューは人垣を分けて、泣き崩れそうなシャニィに駆け寄り、こう聞きました。
「シャニィ。もう一度教えて。アンの瞳の色は、赤だったんでしょ?」
「はい……」と、シャニィは顔を覆った両手の中から、嗚咽交じりの返事をします。「昔のような、鮮やかな朱緋眼でした」
「やっぱり」
メリューは自分の予測が当たったと確信しました。
「あれは、メリュジーヌを騙すために、誰かが『変化』してたんだ! 昔のアンしか知らない、何処かの悪い奴が、メリュジーヌを騙したんだ!」
幼子の声に、町の人々はハッとしたような表情をしました。
シャニィも、顔を覆っていた手を放し、鼻をすすって、手の甲で目をぬぐいます。
女主人が誰よりも心を許している、「アン・セリスティア」と言う人物を疑ってしまった事に気付き、我に返ったのです。
子供が起きているには遅い時間ですが、メリューはアシュレイの家に「有志自警団」の四人を集めました。
メリューは言います。
「アンの姿を借りるような悪い奴が、メリュジーヌを狙ってる。わざわざ、凱旋の日に合わせて追ってくるくらいだから、こちらの事をよっぽど知ってる奴だよ。ネーブル。メリュジーヌの容体は?」
問いに、医者の息子は答えます。
「背中に、真空で切り裂かれたような切り傷があった。風元素の攻撃を受けた時の傷に似てたそうだけど、父さんが言うには、『何かおかしい』って」
「その何かは、まだハッキリしない?」と、メリューは確認します。
ネーブルは応じました。
「ああ。それはまだ分からない。分かり次第、報告するよ。残存魔力から組成を突き止めれば、『アンじゃない』って言う証拠にもなる」
その答えを聞いて頷き、メリューは他の三人のほうに顔を向けました。
「メビウス、アーサー、リニア。交代でメリュジーヌの周りを守って」
その言葉に、アーサーが「あの……」と、言葉を返します。「メビウスと僕は良いけど、リニアは一人じゃ無理だ」
「誰がリニアを一人にするって言った?」と、メリューは手の平で自分の胸を示します。「リニアは、私と一緒に。私だけおうちで熟睡しようなんて思ってないよ」
「流石」と、メビウスは八歳の子供の姿のメリューに声をかけ、ガシッと握手をします。「最初の護衛は、私が行く。念のために、ジークさんに、『通信機』の精度を上げてもらってね」
「分かった。メビウス」と、改めて声をかけ、メリューは離しそうになった相手の手を、再び掴みました。「これは、貸してあげる」
その言葉と共に、メビウスの手に青白い炎が燈ります。メリューの魔力が持つ、カシスのような香りが仄かに漂いました。
「ありがとう。心強い」
そう言ってからメリューの手を放し、メビウスは片手に弓を、片手に矢筒を持って、医者の家に向かいました。
ジークと言う人物は、メリュジーヌが深手を負っていた事を知ってから、一目散に屋敷に帰って情報収集をしていました。
大きな球体の機械の中で、鎧のような装具を身に着けて、両腕と両脚は配線を通してある何かのプラグで埋まっています。
機械の外側は、メリュジーヌの屋敷の一室ですが、近年増えた装置により、部屋の八角が埋められ、壁も床もほとんど球体状に成っています。
空中に浮く魔力のウィンドウを操作し、何重にもレンズを重ねたゴーグル越しにそれを見ながら、ジークは唯一表情の分かる口元を歪めていました。
「確かに、アンとそっくりだにゃ」と、ジークは述べます。どうやら、シャニィの記憶から引き出した、「アンとそっくりの人物」の映像を見ているようです。
その様子を見に来ていたメリューとアーサーとリニアは、うんうんと頷きました。
メリューが「だけど、絶対にアンの訳ないの」と言うと、ジークは「根拠はぁ?」と聞きました。
この人物も、アンの事を疑っているようではないのですが、メリューが何を以て断言しているかが知りたかったのです。
「左利きだったから」と、メリューは言いました。「アンは、箒に乗って術を使う時、何時も右手で箒を握ってる。でも、あの追手は、左手で箒を握って、右手で術を使ってた」
それを聞いて、ジークは映像を見直しました。
確かに、シャニィの視野に映っていた人物は、左手で箒を握っていました。
「これは、大いなる名誉棄損の可能性があるにゃぁ」と言ってから、ジークは機器の傍らに地上の立体図を映し出し、それを操作しながら、とある所に連絡を入れました。




