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アイラの実りが揺れる声  作者: 夜霧ランプ
第三章~少年少女の勇気ある逸話~
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第四話「うたた寝を」

 夏の日差しを遮る木々の奥は静かです。時々、頭の上のほうで、さわさわと小枝が風に鳴る音がします。

 岩の間から野兎を狙う少女は、気配のない視線で、確実に対象物を捕らえ、無駄のない所作で矢をつがえた弦をひきました。

 呼吸の音すら立てず、矢を放ちます。鋭い一閃が、その先に居た野兎を射ました。

 後足の片方を正確に射抜かれた野兎は、逃げようともがいきましたが、片脚に力が入らず、バタバタとその場で円を書くように跳ねています。

 獲物が正気付く前に、少女は野兎に近づき、その耳と首元の皮膚を片手で掴みました。


 漆喰で出来た街角で、狩場から帰って来た少女を見つけ、メリューは声をかけました。

「メビウス。今日の獲物は?」

 メビウスと呼ばれた少女は、腰に下げていた革袋の中から、首の骨を折って仕留めた野兎を取り出します。

 年を取って、だいぶ肉も皮も固くなっている雄の兎です。食べる目的で狩っているなら、あまり魅力的な獲物ではないでしょう。

「これだけ」と、少女は控えめに報告しました。それから、ぐったりした野兎を革袋の中にしまいます。

「メビウスが本気出したら、狩場から野兎が一匹も居なくなるね」と、メリューは冗談を言います。

「そうならないように獲物を決めている」と、メビウスは答えました。それから、メリューの小さな手を取って、「兎の毛皮の手袋は、欲しくない?」と聞きます。

「冬に成ったら欲しいかも」と、メリューは答えます。「その兎さんは、毛皮の他に何になるの?」

「素材屋に売ると、毛皮は服屋に、骨は細工屋に、肉は食堂の取り分になる。夫々、手袋や靴下になったり、からくり人形の部品に成ったり、肉団子に成ったりする」

 メビウスは敢えて意地悪を言っているようです。

「食堂に、新しい挽肉機が入ったらしいから。ちょっと固い肉でも、売れるようになったんだ」

 それを聞いて、メリューは唸って考え込みます。

「私、結構、ミートボールって好きなんだけどなぁ……」と呟いて、「元の形を知っちゃうと、食べづらいかも」と述べました。

「お嬢様は、お嬢様のままで居なさい」と、メビウスは優しく皮肉を言って、素材屋のほうに歩いて行きました。


 実際に、自分が獲ってきた兎を肉団子にしているかもしれない食堂で、メビウスは「トマトのサラダとチキンミートボールスープ」を注文しました。

 彼女の座っている席の隣には、メビウスに目元が似ている中年の男性が居ました。どうやら、彼女の父親のようです。

「私も同じものを」と、男性は言います。「私のほうのスープは、ラディッシュ無しで」

 注文を受け付けたウエイトレスが、奥の厨房にメモを置きに行きます。

 去年、母親が亡くなってから、メビウスとその父親は、この食堂で昼食をとるのが日常でした。


 メビウスの母親は、内臓の一部を「キャンサー」と言われる、異常な細胞に侵食されていました。

 その異常な細胞は、宿主の体中に自分のコピーを振り撒き、内臓のいたる所に、正常に機能しない細胞を散りばめていました。

 どれだけ魔術による治癒を施しても、薬物や手術による治療を重ねても、母親は次第に衰弱して行きました。

 でも、病床の彼女は、娘にこう言ったのです。

「メビウス。私が先に神様の所に行っても、文句は言わないでよ? きっと、もう、私のこの世界での役目は終わったのだから」

 その言葉を聞いて、メビウスは、自分の心の中にあった「甘えたい気持ち」を抑えました。

 そして、「うん。神様によろしくね」と答えました。

 その言葉を聞いたメビウスの母親は、「本当、貴女って、強い子ね」と言って、すっかり背の伸びた娘の肩を叩きました。


「物思いに耽ってる?」と、メビウスの耳に、父親の声ではない声が聞こえました。

 声のほうを見ると、見知った顔の青年が笑んでいました。

「アーサー。久しぶりだな」と、メビウスの父親は応えます。「剣術はどのくらい覚えた?」

「まだまだ、研修生だよ」

 アーサーはそう言って、両手を開いて見せました。そこには、血豆から発達したタコができ始めています。

「剣の扱いの他に、槍と斧の使い方も学んでる。それから、弓も」

「うちの娘に敵うかな?」と、父親は笑顔で青年の肩に手を置きました。「肩の筋肉がしっかりしてきてるな。体を鍛えるには、良い年頃だ」

「そう言ってもらえると、ありがたい」と、アーサーは返し、親子の隣のテーブルにつきました。

 ウエイトレスが、メビウス達の席に、サラダを乗せた皿を持ってきます。それから伝票を手元に用意し、アーサーに向かって「ご注文は?」と聞いてきました。


 食事を終えたメビウスとアーサーは、二人でメリューの家に向かいました。

 その背を、メビウスの父親は心配そうに見ていました。何か声をかけたそうでしたが、深く息をついて、言葉を飲み込みました。

 メリューの発案だとは言え、子供達に「自警団」をやらせるなんて。

 そんな風に思って、メビウスの父親は、皴の寄りやすい眉間を撫でるのでした。


 そこまで万年筆を操ってから、僕はヴィノ氏から聞いた話のメモを読み返した。

 大体のあらすじ通りには書けているが、やっぱり描写が足りないような気がする。

 食堂のシーンなのだから、もっと美味しそうな食べ物の様子や、メビウス達以外の人がどう行動しているかを詳しく書いたほうが良いだろうか。

 それとも、主人公達の行動のほうを詳しく書いたほうが良いだろうか。

 そんな風に迷っていると、足元でアナントが「ちょっと」と鳴いた。

 僕は組んでいた脚をほどいて、椅子に座ったまま膝を揃えてあげた。アナントはひらりと僕の膝の上に飛び乗り、脚を折って座り込んだ。

 暫く下書きの執筆を続けたけど、昼下がりの陽光のせいか、アナントの体温のせいか、くらくらと眠くなってくる。

 僕はアナントを膝に乗せたまま、まだインクの乾いていない下書き用紙を机の離れた場所においた。

 それから、机の端に両腕を置くと、その腕を枕に居眠りを始めてしまった。


 潮騒のような音が聞こえる。見てみれば、目の前は青緑色の透き通った海原だった。どうやら僕は、大きな船の甲板にいるらしい。

 波は穏やかで、水夫達が甲板をデッキブラシで磨いている。その水夫達は、服を着た猫だった。

 操舵室に入ってみると、やっぱり服を着た猫の操舵手が働いている。

 僕は、船長は何処かなと思って、船の中をふらふら歩きまわった。

「せんちょおしつ」と書かれている、立派な扉を見つけて、部屋の中に踏み込んだ。

 そこでは、猫の航海士と猫の船長が話し合いをしていた。

 船長は僕を見つけて、「なんだね、お客人。此処はお前の来る場所ではないよ?」と声をかけてきた。

「船長……」と、僕はぼんやりしたまま声をかけ、述べたのだ。「明日の午後に、西から竜巻が来ます」と言う、突拍子もない事を。

 それを聞いて、船長は金色の光彩を輝かせた。

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