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アイラの実りが揺れる声  作者: 夜霧ランプ
第三章~少年少女の勇気ある逸話~
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第三話「尊ばれるも忌み嫌われ」

 その日も、ネーブル・ドク少年は、医術の勉強をしていました。

 先人が作った「人体解剖図」を何度も眺めたり、それを白紙のノートに描き写したり、描き写した筋肉や臓器の名前を、図解から矢印を引っ張ってノートの余白に書きました。

 知識を得た後は、自分の体を実験台にして、医術師に求められる幾つかの「魔術」の練習をしました。

 ネーブルは、ナイフで左の手の平にちょっと切り傷をつけました。赤黒い血が流れるくらいの、少し深めの傷です。

 溢れようとする血液を「固定」で止めて、痛みを「麻痺」で消します。

 血液の中に含まれる、血小板と言う組織だけを「流動」で傷口のほうに集め、それが傷口の周りで薄く「停滞」するように調節しました。

 それから、細胞の「治癒力」を「増幅」すると、傷は瞬く間に治ってしまいました。

 皮膚にできた切り傷を治すのなら、このくらいの簡単な術で済むのですが、深い火傷を治すのだったらもっと複雑な術が必要で、内臓に負った病や傷を治すなら、さらにもっと複雑な術が必要でした。

 魔術の存在しない世界でも、人間の体を治すには、「自己治癒力」を促す処置や、薬や、手術が必要だとされています。

 魔術文化圏に生きているネーブルは、魔術を使って、人間の「自己治癒力」を高める方法を学んでいるのです。


 医院を併設しているネーブルの家に、また亡骸が運び込まれてきました。

 その日に運ばれてきたのは、黒い髪の毛を二つ分けにして結んでいる、ネーブルとほとんど違わない年齢の女の子でした。

 病にかかっていたのか、すっかりやつれているその頬は細く、衣服で隠している手腕の輪郭も、今にも折れそうでした。

 体はすっかり冷えていて、呼吸も脈も途絶えてから数時間は経過しているようです。

 ネーブルのお父さんは、身づくろいをされ胸の上で手を組んでいる亡骸の、更に胸の上に手をかざして、魔力によって全身の様子を観察しました。

 脳の動きが完全に停止している事を確認してから、亡骸を運んできた家族に、「お気の毒ですが」と告げました。


 その家族が去った後、ネーブルは聞いてみました。

「父さん。あの女の子は……病気だったの?」

 ネーブルのお父さんは、息子のほうを見て、一つ深くため息を吐くと、「そうだ」とだけ答えました。

「どこが悪かったの? 内臓?」と、ネーブルは重ねて聞きました。

「診察の結果が知りたいのか?」と、お父さんは聞き返してきました。「それは好奇心か? それとも……」

「勉強のためだよ」と、ネーブルは先回りして返事をしました。

 ネーブルのお父さんは、真剣な目をしている息子を見て、「分かった」と応じ、カルテを取り出しました。

 

 お父さんから話を聞いてから、ネーブルは難しそうな表情をすると、「少し、考えてくる」と言って、コートを着て家を後にしました。

 難題にぶつかった時、町の中をふらふら歩いて考えをまとめるのは、ネーブルの癖です。

 コートのポケットに手を突っ込むと、何時もそこに入れている木っ端に触れて、坂道の階段を上がって行きました。

「どれだけ飢えていても、瘦せ細っていても、食事を摂ってはいけないと考えてしまう心の病があるんだ」

 さっき、ネーブルのお父さんはそう言っていました。

「本人の心が弱いとか、我儘を言っていると言うわけじゃない。食事を摂ることを『悪い事』だと考えてしまっているんだ。彼等は、周りの者が食事を強要するごとに、自分を追い詰めて行ってしまう。さっきの女の子も、三ヶ月前までは、まだ健康体だったんだが……。先月に入ってから、一回も診察に来ていなかった。

 血液の状態から分かったのは、彼女が『栄養不良による突然死』を起こしたことくらいだ。

 彼女の両親の話では、最期の日の数日前からは、二個の角砂糖を溶かした薄いミルクティーを飲んでいたそうだ。一日に、三杯」

 どれだけ飢えていても、食事を摂ってはいけないと考える……食事を悪い事だと考える心の病。

 ネーブルは、頭の中で、聞いた言葉を反芻しました。それから、外国の話を思い出しました。

 色んな国で、宗教的に食事が制限されてたりするけど、何も食べなくなっちゃう人達は、何か特別な信仰心でも持っていたんだろうか。

 何処までが許された食欲なのか、何処からが暴食(グラトニー)なのか……その線引きは、今の世界では、誰がしてくれるんだろう。


 そんな事を考えながら、岬の灯台の下に来ました。

 其処から町を見下ろしてみると、所々にある青いペンキで塗られた屋根が、白い漆喰の壁によく映えています。

 その傍らで、海は西に傾き始めた日差しを受けて、金色に輝いていました。

 美しいと見とれる事もできますが、その時のネーブルには、金色の海は目に痛いだけでした。

「お腹、空いてただろうな……」と、独り言ち、ポケットの中でずっと触れて居た木っ端を取り出しました。

 六年前。まだ八歳だったネーブルに、メリューがくれた「友達の(しるし)」です。

 同い年だと言うから、何時か、二人一緒に十六歳になる時が来る思っていたのに、メリューは今でも出会った時の、八歳の姿のままです。

 メリューも龍族だと言うから、きっと、成長のスピードが人間とは違うのでしょう。

 アーサーは、ネーブルより二年も先に、十六歳になって、最近では、帯刀許可を得るために、教習所で剣の扱い方を習い始めたそうです。

 びゅうと、疾風が吹き抜けました。風はコートを膨らまして、髪の毛の先と一緒に後ろになびかせます。

 ぞわりと、肌の上に冷たいものが走った気がしました。

 今日はもう帰ろう。

 心持は落ち着きませんでしたが、ネーブルは敢えてそう考えて、重たい足取りで帰路に就きました。


「あー! 疫病(やくびょう)の影踏んだ!」と、意地の悪い小さな子供達が、その日もネーブルの家を「いじり」に来ました。

 家の中が暗く感じるほど外が明るかったので、二階のテラスで勉強をしていたネーブルは、その声を聞いても無視していました。

 恐らく、地面のほうでは、医院の建物が作る影を「わざと踏んだ子」が鬼役になり、「疫病(やくびょう)」を拭いつけようと、他の子を追い回しているはずです。

 子供って、下らない事ではしゃげるんだな。

 ネーブルはそう考えてから、ちょっとした悪戯を思いつきました。テラスにある植木鉢に水をあげるための霧吹きで、悪童達の頭の上に、霧雨を降らせてやったのです。

「何? なんか、頭についた!」と、まだ五歳くらいの子供達は慌てていましたが、手足に纏いつく水滴が何か分からず、本当に怯えだしました。

「こっち来ないで! 気持ち悪い!」と、ヒステリックに叫ぶ幼女の声がします。

疫病(やくびょう)が移る!」と、別の子供の声もしました。

 そんな風に子供達がパニックになっていると、通りかかった大人達が、幼子達の頭を押さえつけ、「お医者様の家の周りで、何やってる!」と怒りました。

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