第九話「猫達の反撃」
猫を脅かす者の無い、月の燈る夜の事。
ヴィルヘルム達を含む七番島の猫達は、一番島の方角を向くように地面に座って、祈るように目を閉じていました。
それから、時折、前足を手のように天に向け、波を描くように舞い始めました。
七番島の猫達だけではありません。他の大陸の、逃げ延びた猫達や、安全に暮らしている猫達も、各地でそのような祈りの舞に参加しています。
七番島からの土羽によって、知らせを受けた猫達は、人の子の天使いを堕落させようとしている、愚かな人間を、許しませんでした。
猫達の祈りの舞は天に届けられ、極地以外の四つの陸塊から中央大陸を覆うように、大きなドームのような光が放たれました。
人間達が用意した「羽贄」を逆に利用して、陸塊規模の大きな祈祷式を、ナイジェル達より先に行なったのです。
集められていた全ての「羽」を天空川の彼方に送り、猫達は夜空の中を、彼等が来るのを待ちました。
偉大なるレオ神と、一匹の青い山猫に連れられた、真っ青な猫の軍団を。
しっかりとした足取りで、北陸塊の大地を踏みしめたレオ神は、「アイラの危機を知り、馳せ参じた。これより粛清を行なう」と、威厳ある声で言いました。
レオ神が空を見上げると、飛翔していた青い猫達の軍団は、青い虹のようになって、各陸塊へ飛んで行きました。
次の日の朝。
人間の世界のニュースを聞いてみると、「ナイジェル・フォークリッド博士は、研究中の実験の折りに、何らかのショックを受け、重篤な状態になりました」と言う事です。
博士だけではなく、彼に協力していた研究員達も、残らず「重篤な状態」になったようで、研究は続けられなくなったそうです。
ナイジェル博士の管理下にあった施設で、何かが入っていたと思しき、巨大な空のポッド等が発見されており、博士が人体に害のある、違法な研究に手を染めていたのではないかと疑われているのですって。
事情が分かってからの猫達の反撃は、あっさりしているのにとても素早い物でした。
「大地に、精霊羽が残っていたのが幸いしたね」と、アナントは僕に言いました。
「彼等は危機を察して、中央陸塊から他の陸塊に避難していたんだ。おかげで、中央陸塊は『乾き』に遭ってたみたいだけど、精霊羽が戻れば、『乾き』も回復するよ」
僕はコーヒーにミルクを入れて、スプーンで掻き混ぜながら、「精霊羽って言うのは、他の『羽』達とは違うの?」と聞きました。
アナントは、猫のポーズで背を伸ばしながら言います。
「そうだよ。精霊羽は、全部の『羽』達の原型にあたる蟲なんだ。どの特性も付いていないけど、地表に適量の『洞の水』を運ぶ役目をしてくれている」
そうです。僕とアナントは、起きている状態でも、言葉が交わせるようになったのです。
その後、ナイジェル博士は、若年性認知症の診断を受けて、病院暮らしをするようになりました。
彼の妻は、離婚する事の出来なかった夫の保護者となる代わりに、残っていた資産を自由に使えるようになりました。
役に立たない研究所は、土地ごと、何処かの会社に売り払って、その資金で、妻は娘と一緒に優雅に暮らしていると言います。
キリクス少年の妹の、ウェンディの父親が誰なのかだけは、分からなかったのですけど。
粛清を終えたレオ神が、僕の所に置いて行った「天使い」が居ます。
先日の事件で、無理に地上に召喚されようとしていた、キリクス少年です。
過剰な「洞の水」の影響で、霊体が腐ってしまったキリクス少年は、もう天空川を超えられません。だけど、理性を失うほど腐敗しても居ません。
レオ神も、彼をどうしようか困っているようだったので、僕は「うちに来るかい?」と、少年に聞きました。
キリクス少年は、嬉しそうに頷きました。
彼は、今、子供が出来るお手伝いをしながら、僕の執筆活動を手伝ってくれています。
キリクスは、お茶やコーヒーの上手な淹れ方を、あっと言う間に覚えました。
全部のごたごたが片付いた後日、ヴィノ氏が僕達の家を訪れました。
何だか僕も、この数ヶ月で「突拍子もない事」に慣れてしまったせいか、相手が宇宙人かも知れない人でも、「まぁ、悪い人ではないしな」と思って、家に通せました。
「なんだか、すっきりした様子だ」と、ヴィノ氏は僕の家の中を、ぐるりと見まわして言います。
「前より片付いてる?」と、僕は嫌味を言いました。「実は、とっても有能な助手が手に入ったんだ」
「へぇ。どんな子?」
そう返してくるヴィノ氏は、何時もの歯を見せない笑顔を浮かべています。
多分この人物は、僕とアナント達の間で在った事なんて、見通してるんでしょう。
でも、僕はヴィノ氏の心なんて分からないふりをして、「キリクス。お客さんだよ」と、キッチンのほうに声を掛けました。
「面白い話が書けたみたいだね」と、ヴィノ氏は、草稿を読んでそう言いました。
「文章として成り立たせるには、加筆が必要だけどね」と、僕は答えました。「だけど、一つ謎が残ってるんだ」
「何が?」と、ヴィノ氏。
「僕とアナントは、『顛末を遮る壁』を超えられたんだろうか」と、僕が言うと、「多分、超えられたから、今のこの世界は存続してるんじゃない?」と、ヴィノ氏は気楽に言います。
「そうかなぁ……」と、僕は気が抜けたように応じました。
でも、なんだかもやもやします。大変な事は、これだけで終わったわけでない気がしていたからです。
草稿を原稿に書き直し、実名を仮名に書き直し、色んな所を色々と誤魔化して、僕は一本の話の筋道を作った。
題名を、「秋の国からのお客さま」と言う……短く言ってしまえば、ヴィノ氏とアナントの物語だ。
先日の、ナイジェル博士の騒動は、別の題名をつけて、別のお話として綴り直した。
その二つの作品を持って、出版社に連絡を入れ、時間を作ってもらって原稿を読んでもらって……と言うのを、数社分、繰り返した。
その原稿自体は本に成ったりしなかったけど、「担当をつけますので、うちの雑誌で連載を持ってみませんか?」と言う、とてもありがたい言葉をかけていただいた。
そんなわけで、僕はようやく、自称ではなく本業として「児童文学者」に成れたのだ。
言葉が通じる猫と、霊体もどきの少年と言う、ちょっと変わった助手達に恵まれて、僕は今日も執筆活動を続けて居る。
雑誌での連載と言う、とても華々しい仕事にも恵まれたので、とにかく書かなきゃ何も進まない。
だけど、話が面白くなかったり、人気が得られなかったり、逆に過激すぎたりしたら、「打ち切り」もあり得るので、其処は慎重に進めなければならない。
「先生」と、キリクスは面白がって僕を呼ぶ。郵便受けから持ってきた紙の束を手に。
「これ、今日の新聞です。それから、今月の振り込みの明細。それから、電気代の支払い通知。それから、新しい喫茶店の開店広告、以上です」
「キリクス」と、僕は少し困ったように呼びかけた。「そんなに『きちん』としなくて良いんだよ?」
しかし、幼い助手は、「いいえ。好きでやってることですから」と言って、にんまりと微笑むのだった。