第二話「信仰と清貧の幸せな司祭」
「ハーディ家の屋根の上サークル」に、アナントの飼い主がルターと呼んでいる猫が来ました。
黒白模様で、ふさふさの尻尾の猫です。
ルターは、確固たる信念を持った司祭でありながら、同時に深い洞察力を持つ哲人でありました。
「屋根の上サークル」で喧嘩が起ころうとすると、瞬く間に、喧嘩をしかけた二人の間に入り、威嚇するのではなく、何事か言い含めるようなしぐさをして、両者を鎮めるのです。
丁度、その時、岩盤浴の順番を争っていた二匹も、ルターが神妙な顔をして間に入ると、さっきまで互いに飛び掛からんばかりだった勢いを無くしました。
ルターは首輪をしていますから、しっかりした飼い猫です。可愛いと言うより、威厳ある風貌をしていて、体つきも大きかったのです。
ですが、彼も、人に飼われる雄猫である悲劇には出会っていたようです。
高く尻尾を上げると、其処に在ったはずの丸い物の痕を覆うように、濃い灰色の毛が密集していました。
アナントの飼い主は、最初はルターを女の子だと思っていましたが、彼が岩盤浴の後、股の手入れをしている時に、かつて彼が男の子であった事を知ったのです。
ルターは常に、思索にふけるような表情をして、じっくりと遠くを見ていました。
そして、遠くから湿り気を運ぶ暗雲が近づくと、瞬く間に屋根の上から去りました。
その様子が、まるで雷を怖がっているようだったので、意地悪なアナントの飼い主は、彼をルターと名付けたのです。
アナントの飼い主は、彼に興味を持って、追いかけてみる事にしました。
ルターは屋根から屋根へ上下に移動して、ある家の高い塀の上に着地すると、その家の庭木を伝って低い塀に降りました。
アナントの飼い主がカメラレンズを彼に向けると、塀から降りようとしていた彼は「何の申し訳があるのだね?」と、唱えました。
アナントの飼い主には、「みゃーお!」としか聞こえなかったのですが、無礼であると言いたいのだと言う事を察して、カメラを引っ込めました。
ルターには、教育しなければならない子供が居ました。彼の実の子ではないでしょう。だって、その子供は犬なんですもの。
ルターは思想的な事から、普段の礼儀まで、細かく子犬達に指導をしました。
そのため、彼の躾けた子犬達は、犬らしく足を投げ出して座ったりしませんでした。猫のように、前足を体の下にしまって、四角い箱のような形になってくつろぎました。
生誕祭の日に、ルターは子犬達に、異国で布教活動をしている使徒の話をしました。
「彼等は今どうしているだろう。レオ神の祝福と救世主の物語を、皆に伝えられているだろうか。
レオ神が導いた、偉大なる猫が世界を救ったのだと言う話は、伝説として語られている。
だが、彼等はその物語を『ペテン』だと思われながらも、他の神を信じる者がいる異国で語らなければならないのだ。
何せ、世界には百の神話と伝説がある。その神話と伝説を信じている者は、レオ神と救世主の伝説を、容易に信じはしないだろうからな」
すると、子犬の一匹が、「救世主のお話をして!」と、ルターにせがみました。
ルターは少し微笑んで、ゆっくりと語り出しました。
この世界とは違う、乾燥した原野でのことだ。
一匹の猫と、一匹の山猫が、共に旅をしていた。食べ物を探して、何日も彷徨った。二匹はネズミやモグラを見つけて捕まえると、一緒に分け合った。
しかし、そのわずかの食料では、体の大きな山猫は生きて居られなかった。
ある日、ついぞ倒れると、山猫は猫に「俺が死んだら、土に埋めてくれ。他の生き物に食べられるなんて、耐えられない」と述べ、息を引き取った。
猫は、友の言葉を胸に、一心不乱に土を掘った。体の大きな山猫が、すっかり隠れてしまうくらいの大きな穴を掘らなければらならない。
体の小さな猫にとっては、ずっと一ヶ所に居なくてはならない、大変な仕事だった。
何日も、水を飲むことも出来ず、獲物を捕まえる時間も全て費やして、猫は山猫のための大きな墓を掘った。
ずっと地面に横たえていた、友の亡骸を連れてこようと、猫が墓の底から顔を上げた時、其処に一匹の勇猛な獅子が居た。
猫は、彼を威嚇した。その者は、きっと山猫の亡骸を食べてしまうに違いないと思ったのだ。
大急ぎで、猫は山猫の下に向かった。
そして、地面に伏している山猫の亡骸の向こうに、全身が真っ青になった山猫が、凛々しく四つの肢で立っているのを見つけた。
「お前、どうしたんだ?」と、猫は声をかけた。
「俺は、これから天空川を渡る。彼と共に行って、お前を見守る事になろう」と、真っ青になった山猫は言った。
猫はカラカラの口を動かし、青い山猫に訴えた。
「嫌だよ、友よ。行かないでおくれ」
「迷い児よ。よくお聞き」と、猫の後ろから、獅子が声をかけてきた。
「山猫はね、大地を眺めるために天空川の彼方に行く。そして、私とお前の橋渡しをしてくれるのだ。だから、彼を引き留めてはいけないよ」
それを聞いて、猫は獅子に反発した。
「天空川が何だって言うんだ。一体、お前は何者なんだ?! 好き勝手なことばかり言いやがって!」
「そんな口を聞いてはいけない」と、獅子は厳かに言う。「これからも、私はお前に教えなければならない事があるのだから」
猫が、山猫のほうを見ると、山猫はきっぱり頷いた。
「友よ、墓をありがとう。我が去った後、きっと、この躯を土に還しておくれ」
そう言い残して、山猫と獅子は天に昇って行った。
猫は驚きをもって二つの影を見送った。
その後、山猫の亡骸を墓の底に横たえ、今度は掘り起こした土をかける仕事をした。
何日も食べていないし、渇きも限界を超えているのに、猫は粛々とその仕事をやり終えた。
仕事を終えた猫は、水を求めて原野を歩いた。
意識も朦朧としてきて、足がもつれた。乾いた土の上に横たわると、とても眠たくなってきた。
「友よ……」と、猫は呟いた。「どうして、此処に居てくれないんだい?」
その猫の頭の中に、山猫の声が閃いた。
――呼びたまえ。お前の望むものを。
猫は少し考えた。考えてから、こう言った。
「一滴をこれへ」
すると、地面の奥底から何かが呼び出されるように溢れてきて、猫の目の前で一結びの水の塊になった。
猫は、夢中でその水を飲んだ。
その時から、猫は目が見えるようになった。それまで見えていた目ではなく、大地の底を見通す目を持った。
そして大地の底に、「蟲の住む洞」を見つけた。
彼の世界が何故乾いた原野だったのか。それは、洞に住む蟲によって、水を枯らされていたためだ。
そう知った彼は、渇きから世界を救う事を考えた。
こうして、その猫は世界を救う主となられたのだ。
全部語り終える頃、子犬達はとても好い気分で寝息を立てていました。
すっかり聞いた者は何匹いるだろうと、ルターは思いましたが、子犬達を起こしはせずに、その後ろ首をそっと舐めてあげました。




