第35話 馬車で王宮へ
パトリック様とまた顔を合わせると、先ほどの口づけを思い出して赤面しそうだが、ぐっと堪えて落ち着かなくては。
パトリック様が持ってきてくれたのは、神殿にあった予備の騎士服だった。
大柄な女性でも大丈夫なように大き目だったが、袖と裾をまくって、ウエストをベルトで締めればなんとか着られる。
着替えた後にパトリック様が赤面したのは、きっと令嬢がズボンを履いたところを見るのが初めてだったからだろう。
「お待たせしました。参りましょう」
わたくしは杖を持って神殿の入口へと向かう。
「王宮まで移動する馬車と護衛は、神官長が手配してくれた。道中でゾンビに襲われる危険も考えられるから、万全の警戒態勢だ。ただ、あのアンジェリカがどこに潜んでいるか分からない。くれぐれも気を抜かないでほしい」
パトリック様の真剣な忠告に、わたくしは背筋を伸ばして力強く返事をする。
「分かりましたわ。魔力はともかく、体力が十分に戻っているとは思えませんが、《浄化の炎》は問題なく使えます」
パトリック様は頷き、何かを言いかけたが、既にアラン殿下たちがわたくしたちに気づき、こちらを睨むような目つきを向けているのが見えて、口をつぐむ。
やはり公の場で、あまり二人だけの会話を深めるのはまずいだろう。
わたくしもまた表情を硬くし、アラン殿下たちに声をかける。
学園を出る時よりは幾分マシな顔つきになっているものの、アラン殿下やトーマスの目には疲労と苛立ちが渦巻いている様子だ。
ゾンビから解放された経緯を考えれば、わたくしやパトリック様に素直に礼を言う気にはなれないのだろう。
でも一緒の馬車に乗りたくないという気持ちはわたくしだって一緒だ。
彼らに好意があるかと聞かれればまったくないと断言できる。でも、ゾンビを倒すために彼らと一緒の馬車に乗らなくてはいけないので我慢するだけ。
神殿が用意してくれた馬車にわたくしとアラン殿下、トーマス、そして女性神官のメラニーが乗り込む。
パトリック様とタイラーは護衛たちと一緒に馬に騎乗している。
本来であればゾンビから人間に戻ったばかりのタイラーも馬車に乗ったほうが良いのかもしれないけれど、さすがに馬車の中にアラン殿下、トーマス、タイラーとわたくししかいないというのは許容できない。
だって未だわたくしを嫌っているアラン殿下に、どんな嫌がらせをされるか分からないではないか。
それで、メラニーも少しではあるけれど光魔法を使えるというので、危険ではあるけれど同行をお願いした。
御者が手綱を引くと、ゆっくりと車輪が回り始め、わたくしたちは王宮へ向かって出発することになった。
結界の外にいたゾンビは、いつの間にか姿を消していたらしく、道ががらんとしているのが不気味だ。まるで嵐の前の静けさのように感じる。
(アンジェリカはどこにいるのかしら。下町にはゾンビがあふれているとか……恐ろしい)
馬車の揺れに合わせて不安がこみ上げる。アラン殿下は疲労の色を隠さずに黙り込み、トーマスも気まずそうに外の景色を眺めている。
神殿が手配してくれた二頭立ての馬車には、護衛として数人の神殿騎士が周囲を固め、王宮へ向かって進んでいる。
外の景色をちらと見れば、両脇に見える街並みは恐ろしいほど静かだ。
王都へ向かう馬車も、道を歩く人々の姿も、家々から見える煙突の煙も、何一つ見えない。
明らかに、王都には異変が起こっている。
ガタガタと馬車が石畳を進む中、どうしてこうなったのか、と考える。
やはりアンジェリカには聖女にふわさしい魔力があって、その過剰な魔力が死人を生き返らせてゾンビにしてしまったのだろうか。
元々乙女ゲームのヒロインなのだから、特別な魔力を持っていても不思議ではない。
それが悪いほうに作用してしまっただけで。
……でも、もしかしたら、この世界は乙女ゲームではなくて本当にゾンビゲームだったらどうしよう。
だとしたら、わたくしがやるべきことは《浄化の炎》をもっと強力にすることだわ。
どうしたらもっと強くできるだろう……。
そんな思考を巡らせていると、トーマスが突然落ち着かない動作をし始めた。
軽い動悸でも起きているのだろうか、顔が青ざめている。わたくしは正面に座っている彼に小声で聞く。
「トーマス様、まだご気分が優れないのですか?」
「いや、別に……。ただ、あんな光魔法を使うゾンビが相手じゃ、ただの剣の腕じゃ勝てそうにないと思って。アラン殿下もそれが分かっているから……」
そう言ってトーマスが隣に座るアラン殿下に目を向ける。
アラン殿下は相変わらず黙りこくり、窓の外に嫌そうな顔を向けていた。
正直、わたくしとは目を合わせたくないのかもしれない。わたくしもだけれど。
先刻から感じるピリピリとした空気は、彼の不安や苛立ちを物語っていた。
「それをどうにかするために、王宮へ行くのです。あなた方も、ゾンビになっていた時のことをよく思い出して陛下に報告してくださいませ」
わたくしの言葉に、馬車の中は再び沈黙に覆われる。
わたくしは、それ以上の沈黙に耐えられず、窓の外を見た。
この道は下町の外れを抜け、王宮へ向かう街道と合流するはずだ。
なのに、やっぱり人の気配がまるでない。小鳥のさえずりすら聞こえず、ただ馬の蹄の音だけがやけに響いている。
王宮に着くまで、なにもなければいいのだけれど……。
その時、外から騎士の声が上がった。
「何か来るぞ!」
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