第29話 神官長(パトリック視点)
「まずはヴィクトリア嬢を救護室へ案内してやれ……と言おうと思ったが、救護室には相当数の避難者が詰め込まれているとのことだ。大怪我ではなく魔力切れなら、貴賓室で休ませるほうが良いだろう」
さすが神官長だ。ヴィクトリアの顔色を一瞥しただけで、焦って応急手当をする必要はないと見抜いている。
私もそれに賛成だ。彼女が倒れた一番の原因は魔力の酷使なのだし、回復すればすぐに体を動かせるようになるだろう。
「お願いします」
神官長に頭を下げてから改めてヴィクトリアを見る。
頬の赤みは戻ってきつつあるが、いまだに意識はなく、心配だ。
「ああ、それからアラン殿下とトーマス殿のことも後ほど話を聞かせてもらおう。結界の外をうろつくアンデッドどもも、なんとかせねばならん」
「はい」
アンデッドではなくゾンビだが、今は説明する暇も惜しい。
私はヴィクトリアをしっかり抱きかかえたまま、神官長とともに神殿の奥へと進む。
長い回廊の先には、幾つもの扉が並んでいた。
石造りの壁にはステンドグラスがはめ込まれていて、差し込む淡い光が神秘的な彩りを与えている。
目まぐるしく戦っていた身体には、この静謐さが心底ありがたく思えるが、一歩外に出ればゾンビたちが蠢いている事実を考えると、安心などできそうにない。
貴賓室は小ぶりながらも神殿内では一番落ち着いた内装が施されており、白い壁と淡い青のカーテン、簡素だが質の良いベッドが置かれている。
ヴィクトリアをそこに下ろすと、女性の神官が一人近づいてきて彼女の状態を確認する。
「おそらく魔力切れですね。怪我はありませんので、しばらく様子を見ましょう」
「良かった……」
私はそう漏らして安堵の息をつきかけ、慌てて表情を引き締める。
騎士としては、いくら神殿内とはいえ、あまり弱いところを見せるべきではないし、何より今はまだ事態が収束したわけではない。
ヴィクトリアが回復したら、またゾンビたちに立ち向かわねばならないかもしれない。
それどころか、アンジェリカという脅威を倒すためには、彼女の力が不可欠だ。
しかし、彼女をこれ以上危険にさらすのは……と考えて、胸に痛みが走るのを感じる。
「ヴィクトリア嬢は彼女に任せて、隣で話を聞かせてもらおう」
私は神官長に促され、落ち着かない気持ちのまま隣の部屋へと移動する。
いつからだろう。ヴィクトリアのことが気になるようになったのは。
独特な笑い方をする令嬢という印象はあったが、それも強がりや自衛の手段だと気づくと、むしろ愛おしささえ覚えた。
婚約者であるはずのアランに好みの顔ではないなどと言われても、なんとも思わないと笑い飛ばす彼女の姿を見て、気丈な人なのだと知った。
そして時折ふっと見せる弱さに気づいた。
アランが彼女を蔑ろにする姿を見るたび、どうしてそんな扱いをするのだと、ヴィクトリアを不憫に思った。
だが、自分には関係のないことだと顔を背けていた。
その後悔が今になって押し寄せてくる。
彼女が会得した《浄化の炎》の力を知りたいと協力するうちに、気がつけば視線が彼女を追うことを止められなくなっていた。
彼女に目を奪われるたび、自分にはそんな感情を持つ資格などないと言い聞かせていたのに、学園での激戦を共にくぐり抜けるうちに、自分の想いに気づいてしまった。
理性では分かっていても、心は止められない。
学園の戦いで、彼女がいなければ大勢の生徒を救うことはできなかった。アランやトーマスはもちろん、私自身も、下手をすればゾンビ化していたかもしれない。
その彼女が今は魔力を使い果たし無防備になっている。
ここが神殿の中で、彼女にとって最も安全な場所だと分かっていても、他の誰かに、それが誰であっても、任せたくない。
私が、ずっと側にいて守りたいのだ。
なんと浅ましい。
これで神殿騎士だと、胸を張って言えるのか。
「それで、一体なにがあったのだ」
神官長に椅子を勧められたが、落ち着かないので私は立ったまま報告を始めた。
ヴィクトリアが何年も前から火魔法の修練を積み、特別な《浄化の炎》を編み出していたこと。
その力をもっと高めるために私に協力してほしいと頼まれたこと。
そして研究のためにダンジョンへ行っていたこと。
学園でゾンビが初めて確認されたときの経緯、アンジェリカが原因であるらしいこと。
ヴィクトリアの《浄化の炎》と私の聖水を組み合わせることでゾンビ化した生徒を人間に戻せることを突き止めたこと。
実際にアラン、トーマス、タイラー、そして他の多くの生徒を救ってきたこと。
一方でゾンビが生まれる大元となったアンジェリカが逃げ去ってしまい、今なお危険が拡大している恐れがあること。
そのすべてを語る中で、神官長は一度たりとも言葉を挟まず、時折うなずきながら真剣に聞いていた。
しかし、額に刻まれる皺が深くなっているのを見れば、その衝撃は大きいに違いない。
そして全てを聞き終えると、静かに口を開いた。
「つまり、あれらはアンデッドではなくゾンビという新しい種類の魔物で、噛まれると生きたままゾンビになり、光魔法を使える者までいるというわけか。……そんな災厄などこれまで聞いたことがない。結界を破られぬのはありがたいが、もし街にも広がったらと思うと恐ろしいな」
昔から私は彼の表情から神殿の危機度を推し量ったものだが、神官長の声は低く懸念の色を帯びていて、この危機を深刻に捉えているのが窺える。
私も、雑念を払って真剣にならなくては。
私は改めて姿勢を正すと、神官長の言葉に耳を傾けた。
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