第28話 神殿への避難(パトリック視点)
神殿に着くと、思わず安堵の息をもらした。
あれほどの学園の惨状から、ようやく隔絶された安全圏に来たのだと実感すると、全身の緊張が一気にゆるみそうになる。
けれど、そのわずかな隙が命取りになる可能性だってある。
自分の腕の中にいるアランとトーマスは、ゾンビ化から解放されたばかりで意識が朦朧としているし、周囲では神殿に辿り着いた他の生徒たちが荒い息をついている。
ほんの数分前まで、あれほど整然としていた学園が地獄のようになってしまったなんて、まだ信じられない思いだった。
それでも神殿の結界は幸いにも健在で、敷地の外に蠢いているゾンビたちは中へ入れないでいる。
私が長年仕えてきた神殿の結界は、やはり簡単に破られはしない。
ただ、結界の向こうには、まだ蠢くゾンビたちの姿がある。
どこかで声を上げる者もいるが、その呻き声は呂律が回らず、まともな言葉には聞こえない。
哀れに思うが今はどうしようもない。
ここにいる生徒たちだけでも助けられて良かった。
アランとトーマスを抱きかかえて一緒に神殿へ入りかけたところで、ヴィクトリアの身体から力が抜けるのを感じた。
その瞬間、反射的にアランたちを地面に投げ捨てる形になってしまったが、そっちを構っている暇などなかった。
ヴィクトリアが地面に崩れ落ちたら、頭を打ってしまうかもしれない。
だから私は迷わず彼女を抱きとめ、彼女の杖が手から落ちないよう注意しながら身体を支えた。
「痛いじゃないか!」
転がったままのアランが怨嗟まじりに声をあげる。
これだけ元気に文句を言えるのだから、命に別状はないだろう。
私は冷たい目をアランに向けて言い放つ。
「助けてもらっただけ感謝しろ。ゾンビになったのを戻してやったんだ、ちょっと乱暴に扱われたくらいで文句を言うな」
アランはそれを聞いてなお不満げに口を開こうとするが、こちらの剣呑な表情を見て控えめに唇を噛んだ。
隣にいるトーマスは、気まずそうに目をそらしている。
アンジェリカという少女が原因で学園にゾンビが蔓延したのは明白だし、それにアランたちが関わっていた以上、状況によってはもっと深刻な事態を招いていたかもしれない。
もう少し罪悪感を持っていてもいいと私は思うが、今それを問い詰めるつもりもない。
最優先は、ヴィクトリアをすぐに休ませることだ。
神殿の結界はさすがに強力で、ゾンビになった生徒が敷地に侵入することはできない。
これでなんとか神殿の内部だけは安全を確保できる。
ただ、学園から逃げ遅れた人たちはゾンビ化した生徒たちに阻まれ、もうやってこられない可能性が高い。
内部に避難してきた人々は、生存者の最後の集団かもしれないのだ。
(まずはヴィクトリアが回復するまで待って、それから改めて聖水を作る。ゾンビ化した者を元に戻す術は貴重だし、いずれ街のほうにも被害が及ぶかもしれない)
頭の中で段取りを組み立てようとすると、神殿の扉がぎしりと開き、神官長が姿を見せた。
落ち着いた面差しの、五十代ほどの男性だ。やせぎすで簡素なローブを着ているが、その佇まいには神聖な空気をまとっている。
私は駆けつけてきた神官たちにアランたちを任せると、ヴィクトリアを腕に抱えたまま、神官長に頭を下げた。
「この方は、私と学園で一緒に戦ってくれた公爵令嬢のヴィクトリアです。ゾンビ化した人間を元に戻す力を持っています」
私が挨拶もそこそこに言うと、神官長はすぐに目を細め、私の腕の中のヴィクトリアへ目をやった。
そして結界の外のゾンビたちを見て「あれは何だ」と指を差す。
早くヴィクトリアを休ませたい私は、状況を手短に報告した。
「アンデッドのように見えますが、厳密には違います。『ゾンビ』といいます。生きたまま死体になるので、アンデッドとは性質が異なるようです」
「生きたまま死体……どういうことだ。そもそもアンデッドも死者が魔物化したような存在だが……。本当に別物なのか?」
「アンデッドは死体が魔物化したもので、生前の意識は何もありません。ですが、ゾンビは人の意識をある程度残したまま、死体のように動き、時に魔法までも使うことがある。本人が魔法を得意とするなら、その記憶を引き継いでしまうんです」
私の説明を受け、神官長は深くため息をついた。
「なんて厄介だ」
神官長の言う通り、ただでさえアンデッド同様、痛みを感じない相手なのに、人間の理性や魔法のスキルまで持ち合わせているときたら手が付けられない。
加えて噛まれれば高確率で感染して、いつの間にか周囲もゾンビだらけになる。
私は自分の眉間を押さえつつ、さらに言葉を継いだ。
「ですが、普通のアンデッドと違って、人間に戻すことが可能です。実際に私たちは、ヴィクトリアの作った聖水で何人もの生徒を救いました。アランたちもその方法で元に戻したところです」
「なるほど。ではそのヴィクトリアという女性も、何やら特別な力を持っているのか」
神官長の視線が、私の腕の中で気を失っているヴィクトリアへ向けられた。
彼女は浅い呼吸を繰り返してはいるが、頬がわずかに赤みを帯びてきている。
貧血ではなく、魔力切れだろうというのが私の見立てだ。
本人の表情は苦しそうに歪んでいるが、これでも先ほどまでよりはマシになった。
「ええ。彼女がいなければ、ゾンビ化した者は救えなかったでしょう。詳しくは中で話します」
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