第23話 わたくしは逃げません
そんなわたくしの元へ、パトリック様が近づいてきた。
「ヴィクトリア、ここは危険だ。避難しよう」
パトリック様の声は毅然としているが、その端々に焦燥が滲んでいた。
「避難といっても……どこへ行けばいいのです?」
この様子では、校舎の中にもゾンビが蠢いているだろう。
神殿までの通路も、通り抜けられるのかどうか……。
わたくしは小さく首を振り、静かに問い返す。
パトリック様はわたくしの質問に答えるように、壁際の大きな本棚を指さした。
「王族は代々、生徒会に入る規則がある。それに伴い、万が一の際に備えた秘密の通路が設けられているんだ。この通路を使えば、王城まで安全に避難できる」
「――逃げるのであれば、他の生徒たちを先に逃がすべきですわ」
わたくしは視線を外さず、毅然とした口調で告げた。
きっとまだ神殿に辿り着いていない生徒たちが大勢いるはず。
彼らを見捨てることなんてできない。
「あなたならきっとそう言うと思っていました」
そして、パトリック様はすっと片膝をつき、わたくしに手を差し出した。
「学園の裏手には聖水庫があります。そこには、ゾンビを浄化するための聖水が蓄えられています。もしもあなたが《浄化の炎》を使えるのなら、それと併せて強力な武器になるはずです。どうか、わたしと一緒にそこへ向かっていただけませんか?」
彼の差し出した手を取る瞬間、わたくしの胸に不思議な温もりが広がる。
「もちろんですわ。喜んでお供いたします」
生徒会室の外では、ゾンビたちが蠢く音がさらに近づいている。その音に押し出されるようにして、わたくしは彼と共に動き出した。
パトリック様の手を取ると、わたくしは深く息を吸い込んだ。
彼の手の温もりと力強さが、わたくしの震える心を少しだけ落ち着かせてくれる。
「聖水庫へ向かいましょう。ついてきてください」
パトリック様は剣を片手に構えながら、もう一方の手でわたくしを後ろに庇うように歩き始めた。
その背中はとても頼もしい。
廊下に一歩踏み出すと、窓からは眩しい日の光が差しこんでくる。
まるで外で繰り広げられている惨劇が幻のように、日常の姿を保っていた。
けれど遠くから聞こえる悲鳴が、これが現実であることを伝えてくる。
こんな白昼から学園が恐怖の巣窟と化している現実に、やり場のない焦燥感が胸を襲う。
「日の光の下であっても、あのゾンビたちは完全に動きを止めるわけではありませんのね」
「確かに、アンデッドであれば日の光に焼かれて消滅するはず。やはりあれは別の種類の魔物なのだろう。日中は動きが鈍いのだといいのだが……」
わたくしの知るゾンビであれば、昼であろうが動き自体は変わらないはず。
とはいえ、この勢いでゾンビが増えていくとしたら、夜までわたくしたちが生き延びていたれるのかどうか……。
「日光が弱点である魔物もいるが、彼らにはそれが通用しない。完全に止めるには別の手段が必要だ」
パトリック様の言葉にわたくしは頷く。
その「別の手段」が聖水だという確証はない。だが、手をこまねいている時間はもうない。
わたくしたちは気配を殺しながら聖水庫へ続く階段を目指した。
昼の光がガラス窓を照らす廊下を抜け、わずかに薄暗くなり始めた先、階段の踊り場で影が動く。
「う゛う゛……あ゛……」
不意に響いた低い唸り声に、わたくしは咄嗟にパトリック様の腕を掴んだ。
廊下の先から、アンジェリカのゾンビ化した姿がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。その背後には、アラン、トーマス、タイラーの姿もあった。
「どうやら気づかれたようだ」
パトリック様は剣を構え直し、その鋭い目で相手を見据えた。
「ヴィクトリア、後ろに下がって。私が相手をしている間に、ここを通り抜けるんだ」
生徒会室は最上階だ。聖水庫へ向かうにはゾンビたちが上ってくる階段を下りなければいけない。
わたくしは彼の背中を見つめながら、喉の奥から湧き上がる恐怖を押し殺した。
だが、ただ怯えているだけではいけない。
わたくしには《浄化の炎》がある。それを使えば、少しでも彼の助けになれるはずだ。
「わたくしも戦います」
そう告げると、パトリック様は一瞬驚いたように振り返った。しかしすぐに真剣な眼差しをわたくしに向ける。
「いいでしょう。ただし、無理はしないで」
その言葉に頷き、わたくしは両手を前に出して魔力を集中させた。
「《浄化の炎》!」
白い炎がわたくしの手から放たれ、アンジェリカの足元を包み込む。
彼女の動きが一瞬止まり、その隙にパトリック様が剣を振り下ろしてトーマスを弾き飛ばした。
わたくしはすぐに、アランに《浄化の炎》を放った。
同時にパトリック様がテイラーを剣で弾き飛ばす。
「今だ!」
アンジェリカたちの体制が整わないうちに、彼らの横を通り過ぎる。
でも日頃運動などしたことのないわたくしは、すぐに足をもつれさせてしまった。
ここで転んでしまえば、追いつかれてしまう……!
こみ上げる恐怖と共に、倒れる覚悟をしたが、不意に力強い腕に抱えあげられた。
「しっかりつかまって」
なんと、パトリック様が、右手で剣を構えながら、左腕でわたくしを抱えあげていた。
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