第19話 アンジェリカの異変
影からの報告によれば、アンジェリカは下町で問題の子供に接触していたらしい。
「どうやら、最初に治療した子供に噛まれたそうです」
その一言に、わたくしは思わず顔をしかめた。
「噛まれた……?」
やっぱり噛まれたことによる発病なのね。
治療法はあるのだろうか。
「すぐに自分を治療しようと光魔法を使ったようですが……効果がなかったようです」
パトリック様が言ったとおりだ。
それにしても、光魔法が効かないというのは、どういうことだろう。
イベントでは瀕死の子供を救いたいというアンジェリカの願いが、光魔法をさらに強化した聖魔法に覚醒する。
ということは、アンジェリカの力が足りずに聖魔法が覚醒しなかったってことかしら。
聖魔法が使えなければ聖女になることはない。聖女にならなければ、パトリックルートに進むことはできない。
そのことにホッとする自分がいて、うろたえる。
わたくしは……もしかしたら……。
そ、それよりも、伝染病よね。
「その後どうなったの?」
わたくしの問いに影は少し口ごもりながら答えた。
「アンジェリカ嬢は一旦寮に戻ったようですが、どうやら体調が急激に悪化しているようです」
「悪化?」
影は深刻そうな顔で頷く。
「喉が渇くと言って水を大量に飲むそうですが、それでも足りないようで、今は肉しか食べたくないと言っているそうです」
「下町で流行っている奇病と同じ症状ね……」
単なる栄養不足や偏食であればいいのだけれど、光魔法が効かないという事実を考えると、それがもっと恐ろしい要因に基づいているのではないかと危惧する。
「下町などでは食事代がいらなくなるということで、奇病に罹ると喜ぶそうです」
「貧しい暮らしであれば、そうでしょうね」
その日暮らしの平民であれば、食事代が浮くだけでもかなり助かるだろう。
「ただ……」
わたくし直属の影の中でも筆頭の男が少し言いよどむ。
「ただ、段々と動作が遅くなり、喋るのもゆっくりになっていくので、治らないままだとどうなるのか……」
「いずれ寝たきりになってしまうかもしれない」
「その可能性はあります」
わたくしは考え込んだ。
伝染病というのは、大抵、貧しくて栄養の足りていない平民が多く暮らす下町から広がっていく。
「貴族街が離れているといっても、下級貴族は平民街で買い物をしたり、平民のメイドを雇ったりするから交流があるわね」
影は静かに頷いた。
「はい。特に使用人を通じての感染拡大が懸念されます」
前世での伝染病に関する知識が頭をよぎる。
空気感染、接触感染、そして排泄物による感染――伝染病が、平民から下級貴族に移り、そこから高位貴族に移る可能性は十分に考えられる。
「そういえば……あなたの家族は確か下町に近い場所に住んでいたわね?」
目の前で膝をついて報告をしている影の家族構成を思い出す。
娘の体が弱く、薬を服用しないといけなかったはずだ。
「はい」
「では、奇病が収束するまで、公爵家の使用人棟の使用を許します。閉鎖している区画にわたくしの直属の影たちの家族をすべて呼び寄せなさい」
「よろしいのですか?」
期待に満ちた目で見上げる男に、わたくしは鷹揚に頷く。
「その分、しっかり励みなさいね」
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
膝をついて報告をしていた影の長が、一層深く頭を下げる。
家族が奇病に倒れれば、逆恨みしてくる可能性がある。
これくらいで影のような裏の仕事をするものたちの信頼を得られるならば、安いものだ。
「引き続き彼女の様子を探ってちょうだい。何か分かったらすぐに報告してね」
影にそう命じると、わたくしは自室に戻って、受け取った書類を読む。
「喉が渇いて肉を好む……。喉が渇くだけなら糖尿病があるけど、この世界の平民が、糖尿病になるほど贅沢な食事をしているとはとても思えないし……」
やはり、この世界独自の病気なのだろうか。前世の知識を頼りにするにも、情報が少なすぎる。
窓の外を眺めると、日が沈み始めていた。橙色の空に、わずかな不安が広がる。
「いったい、この病気の正体は何なの……?」
手探りの状況の中、奇病を収束させるための解決策はまったく見つからなかった。
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