ネオンテトラと漆黒の女王 22
2-22
思考が追いつかない。
は?結婚?父が倒れた?
なんで別れなければならない?
俺は何かまずい事をしたのか?
「私ね、許嫁がいるの。麦田くんて言うんだけど」
は?誰よそれ。
「大学を卒業したら、名古屋に帰って、麦田くんと結婚して、会社を継がなければならない。両親との約束だった」
「な……!そんなこと……」
「……うん、言ってない。最低よね。
私、岸谷くんと、もっともっと一緒に居たかった。
だから、大学を卒業した後も、しばらく名古屋に帰るつもりはなかった」
横浜港に目を遣りながら、有希は絞り出すように話した。
「でも、先月父が、脳溢血で倒れた。
命に別条はなかったけど、引退しなきゃいけなくなった」
だんだん事情が掴めてきた。
有希は、元々会社を継ぐ立場だったんだ。
おそらく、大学はその前の最後の自由時間として、与えられていた。
そして、それを隠して、俺と付き合った。
こんなに長く付き合うつもりはなかったのかもしれない、あるいは、先のことなんて、何も考えていなかったのかもしれない。
いつかは言い出さなきゃいけないことなのに、なんて馬鹿なんだ。
有希が時折見せる、寂しげな表情は、そういうことだったのかもしれない。
一つ確かなことは、有希は、もう少し俺に付き合ってくれるつもりだった。それが、出来なくなった。
「……お父さんが無事で、何よりだった」
何を言ってるんだ俺は。
「岸谷くんは、いつも、いつだって優しいね。
こんなひどい女なのに、……うっ」
堪えきれずに、有希は泣き出してしまった。
俺は有希をそっと抱きしめた。
「馬鹿だな、大馬鹿だよおまえは」
「ごめんなさい!私、言い出せなかった。
岸谷くんをずっと裏切ってたの!
ごめんなさい……ごめんなさい……」
俺は前世で、有希のその後を知らない。
だからいまの今まで、有希の事情を知らなかった。
名古屋……ドードー亭……麦田……
麦田!?
ああ……繋がった、繋がってしまった。
気が付かなかったなんて、俺はなんて馬鹿だったんだ。
2020年代、名古屋発祥のファミレスチェーン、【ムギタ珈琲店】が、全国、そして全世界展開しており、ファミレス業界に旋風を巻き起こしていた。
その女社長が確か、麦田 有希だ。
2000年代から徐々に店舗を増やし、株価も上昇基調だったから、少し調べたことがあった。
【ムギタ珈琲店】の前身は、【麦田コーヒー販売】という、大手の珈琲豆卸業者だった。ある時、業績が著しく低下し、元々仲の良かった洋食チェーンの子会社となる。
その時、両社の子女の結婚が先にあったことが、決め手になったそうだ。
武家のようだな。
そして、洋食チェーンの社長であった有希の旗振りで、コーヒーが美味しくて、大ボリュームの名古屋洋食を提供する、新業態のファミレスが誕生した。
それが、【ムギタ珈琲店】だ。
その基幹となった洋食チェーンが、【ドードー亭】だったんだな。
【ドードー亭】は、いつの間にか全ての店舗が【ムギタ珈琲店】に業態変更されたのか、消滅していたので、覚えてなかった……。
有希は、未来の超大物だったのだ。
胸が苦しい……息ができない。
ああ、わかってるさ……ここで、有希を止めてはいけないんだろう?
俺は全力で有希を引き止めようと思った。
全部関係ない、俺と一緒に生きてくれ、と。
無様に土下座して、頭を擦り付けて、有希の足に縋って、わずかな可能性をこじ開けようと思った。
だが、それは許されないみたいだ。
俺は胸を押さえて膝をついた。
気が遠くなる。
「岸谷くん、大丈夫!?」
「……はあ、はあ」
わかった、わかったよ。
この世界の異分子である俺に、選択の余地はないんだろう?




