ネオンテトラと漆黒の女王 21
2-21
-1995年11月-
港が見える丘公園。
横浜港を一望できる、景色の綺麗なスポットである。
食事ついでに、有希は岸谷を、この公園に誘った。
「ねえ、岸谷くん」
「ん?」
「別れましょう」
「は?」
「私ね、結婚するの」
「はい?」
東堂 有希は、名古屋の洋食チェーン、【ドードー亭】の社長令嬢である。
一店舗から叩き上げで、一代で30店舗まで成長させた社長夫妻が、30代後半で授かった一粒種であり、それはそれは溺愛されて育った。
5歳から店の帳簿を見て育ち、10歳で、父親である社長がリードしていた中部地方の飲食産業の寄合に顔を出していた。
15歳で、副社長である母親の実質的な片腕として、事業計画の策定に辣腕を振るった。
高校の卒業と共に、店長として採用、婿でもとって、次期社長街道まっしぐらの人生となるはずであったが、ここで有希は、両親に初めてのワガママを言う。
曰く、
「普通の女の子らしく、大学に行きたい」
というものである。
有希は年相応に、東京に憧れがあったし、キャンパスライフを送り、あわよくば恋の一つもしてみたい、そう思っていたのだ。
職場に入れば、もう二度と普通の女の子ではいられない。
何と言っても、次期社長である。
本心を言えるタイミングは無くなり、人をまず疑ってかかる人生が待っている。それがわかる程度には、有希は聡明であった。
娘に甘い両親に、否やは無かった。
父親はまだまだ引退を考えていなかったし、母親は母親なりに、娘に自由な大学生活を送らせたかった。
こうして、4年間限定の自由を得て、
東京一人暮らしという、人生初の大冒険は始まったのだった。
ちなみに……
一年の時に、気になる男子を見つけた。
写真サークルの同学年で、取り立ててイケメンと言うわけではないんだけれども、優しそうで、どこか安心感を感じさせて、有希の全部を受け入れてくれそうで、
飲み会で飲み過ぎた時に、どさくさに紛れて、勇気を振り絞って接近してみた。
しかし、気づいてもらえず、逆にチャラい先輩に襲われそうになる始末。東京に幻滅した有希は、拠点をさっさと名古屋に移し、【ドードー亭】の仕事をストイックにこなしながら、片手間に大学を卒業することになる……というのが、別の世界線の話。
その男子、岸谷 順也は、有希の期待通りに送ってくれると言い出したので、恋の予感に有頂天になってしまった。
岸谷は積極的にリードして、手を握ってき(ふらふらしてたので手を引かれ)た。
ヒイイ、今日はこのままイケナイ事をしてしまうのだろうか、と心臓は高鳴り、しかし一方で、部屋は片付けてきただろうか?とか、さっき食べたギョウザの匂いは大丈夫だろうかとか、なまじ回転の速い脳細胞が全力で仕事をした結果、頭がクラクラとして……
その後の醜態は、前述の通りである。
閑話休題。
しかし、岸谷との生活は、思った以上に幸福で、エキサイティングだった。
【ネオンテトラ】の活動で、視野はとてつもなく広がった。
【シャインガレット】での仕事は、今まで【ドードー亭】でしか働いたことのなかった有希の見識を大いに広げた。
自身が磨いてきたスキルを、存分に発揮することが出来、自信にも繋がった。
岸谷が非常に裕福であり、投資家として稀有な才能を持っていることで、「実家目当てで近付いてきたんだったらヤダな」という有希の懸念も吹っ飛んでいった。
岸谷は、自分のことをとても大事にしてくれていたし、本気で愛してくれていたと思う。頼りにされているとも思った。
有希自身も、頼り甲斐があって、冷静で、時折ヘタレな所がある岸谷のことを、本気で愛していた。
あまりにも楽し過ぎたのだ。
きっとこの先も、岸谷は自分を愛し続けてくれるだろうし、どんな大きな事を成し遂げるのか、見てみたい。
そして、間近で支えたい、力になりたい、そう思ってしまった。
だから、大学を卒業したら名古屋に帰って婿を取り、社長を継がなければならない所を、もう少し、あと数年だけ、東京に居させて貰えないか?と、場当たり的なワガママを通すつもりだった。
だが……
「父が、倒れたの」




