ネオンテトラと漆黒の女王 13
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午後の講義を終えて、教室を出ると、河内が仁王立ちで待ち構えていた。
「おい」
素知らぬ顔で通り過ぎる。
「おい、ちょ、待て!」
「お前に用はない」
ものすごく嫌そうな顔で、答えてやった。
そうだ、俺は英語で行われていた講義の内容を、頭の中で反芻するので忙しいのだ。
「俺はお前に用があるんだよ、岸谷!ちょっと顔貸せ」
「嫌だよ。じゃあな」
スタスタと立ち去ろうとしたら、追い縋ってきた。
しつこい奴だ。
「頼む、待ってくれ!」
「……男に言われても響かんな」
「で?」
「実は、どうして良いかわからなくてなぁ」
目の前には、安いコーヒーが置いてある。
学食の隅っこのカフェスペースである。
一限が終わったばかりなので、人は少ない。
運悪く二限は講義がなかったので、体良く断る理由がなかった。
結局、話を聞く事になってしまった。
気乗りはしない。
河内はその華やかなルックスも相まって、学内ではちょっとした有名人だ。あまり邪険にすると、変な噂が立ってしまう。
めんどくさい。
「何で俺に?」
「岸谷と言えば、予言者だ。
未来を見通し、人を導くと言われている」
どんどん噂が一人歩きし始めている。
誰も導いてない。
「いや、それは話に尾鰭がついた、ただの噂だよ」
「うむ、俺も信じてるわけじゃないが、
岸谷が投資家として成功しているのは、悔しいが確かなことだ。
広い視野も持っているし、曽良岡さんのことをよく知っているしな」
両手を膝に置いて、子犬のような顔でこちらを見ている。
根は良い奴なのかもしれない。
好きにはなれないが。
「まあいいか。
どうしていいかわからない、とは、おまえの父親の会社のことか?」
「そうなんだ。
他に相談できる相手もいなくて。
岸谷も知っての通り、ウチの親父の会社は、良からぬ噂が絶えない。
そして、それらの幾つかは事実だ。
俺の知らないものも、その多くは事実なんだと思っている」
「ふむ。まあ、俺の知り合いの会社も、酷い目に会っている。
言っちゃなんだが、素行はだいぶ悪いな」
コーヒーを一口啜る。
【河内葉通信機器】にイライラはしつつも、河内豪太郎がやってることではないのだ。
それに近いうちに消滅する。
「俺は2代目なんて言われてるが、こんな会社を継ぎたいとは思ってないんだ。ウチの父親の言うこともわかるっちゃわかるんだが、やっぱり、誰かを犠牲にしてまで会社を大きくしようとするのは、間違っている」
「そうかもな」
……青い、若い、ボンボン。
ビジネスの世界は、食うか食われるか、だ。
法を犯してでも、売上を増やし、株価を上げ、競合を蹴落とす。
そして従業員とその家族の生活を保障する。
経営者とは、基本的にそうあるべきなのだ。
豪太郎の父親は、そういう意味ではかなり優秀な経営者なのだろう。
数字上、【河内葉通信機器】は申し分ない会社なのだから。
おそらく、巨額の不良債権が、余裕を無くさせているのだろうな。
ま、でも、正しくあろうとする青年は嫌いじゃない。
「でも、俺がこうして好きに暮らせているのも、親父のおかけだ。
俺は、親父のことが嫌いじゃないんだ。
ちょっとぶっきらぼうで、昔気質なだけでさ……。
だから、どうしたら良いのか、わからないんだ。
こんなこと、誰に相談出来るわけでもない」
「おまえなりに悩んでいるんだな」
「曽良岡さんに告白したけどさ、こんな自分のままで、彼女と付き合えるのか?それは彼女に対して失礼じゃないか?自分で自分を誇れるのか?そう思ってしまうんだ。
だからこうして、予言者様に相談しに来たというわけさ」
自嘲気味に笑う河内。
愛の力は偉大だ。
妙子の魅力に取り憑かれた人間は、崇拝に近い感情を抱く。
かく言う俺自身が、体験者だからな。
俺は、空いたコーヒーカップを置いた。
「だったら、くよくよ悩んでないで、自分がしたいように動いてみたらどうだ?」
「え?」
「誰が間違っているのか、どんな利害関係があるのか、考えても仕方がないだろ。おまえが大事にしたいと思っている部分、それに従って行動すればいい」
「そ、そんな簡単に」
「何もしなければ、何も変わらない。
何かすることで、幸福になるか、不幸になるかは、わからない。
だが、それは現状維持でも、同じ事だ」
現状維持で、確実な死が待っているのだ。
だったら、何かした方が良いのは確かだ。
これ以上は修正力様が怖いので、何も言えないがな。
「確かに……その通りだ」
ガックリと肩を落として、河内は去った。




