ネオンテトラは始動する 2
-2029年3月-
俺が死んだのは、2029年、55歳の春だった。
俺は、カメラ機器メーカー【リブーソ】の、商品開発の仕事をしていた。
デジタルカメラが流行した時は、そりゃあ景気が良かった。
しかし、スマートフォンの登場で、カメラの需要は徐々に減っていった。
それでも、技術力を活かしてOA機器、近年はプロジェクションマッピングやドローンに活路を見出して、そこそこしっかりやっていたと思う。
40代で部長になっていた。
仕事はさておき。
俺が20代後半で結婚した妻は、気立は良かったが浪費家だった。
30代にはマイホーム資金として結婚前から貯めていた1,000万をカバンやアクセサリー、親戚の冠婚葬祭などで景気よく使い果たした。
まあ、好きで結婚したんだから……と諦めた。
40代には、政府の増税施策がサラリーマンと個人事業主を狙い撃ちにし始めていた時期で、かつ一人娘の私立の学費がランニングコストを圧迫し、なかなか手元に資金が残らなかったが、老後の蓄えとして爪に灯ともす思いで500万貯めた。
それを、娘の洋服や塾、習い事、自分も含めたファッションやアクセサリーなどで、やはり景気良く使い果たした。
50代になって貯蓄は無く、借金すら出来ていた。
そしてどんどん膨れ上がっていった。
それすら浪費する妻には、もはや何も感じなくなっていた。
さすがに離婚を考えた。
だが、妻や娘を悲しませることに躊躇いがあった。
何だかんだと家族を愛していたのだろう。
仕事での稼ぎに限界を感じていた俺は、20代で始めていた株式投資を30代から本格的に始めた。
それまでは、かなり研究して競馬もしていて、割に勝っていたのだが、株式投資に専念した。
情報収集も欠かさず堅実に運用し、死ぬまでの最終成績としてはまあまあプラスだったと思う。
が、ITバブル、不良債権問題、ローマンショック、円の乱高下、ソロナショックなどで尽くダメージを受けたのが痛かった。
2020年代に入って、日経平均は上昇を始めた。
2025年には40,000円を突破。
その影響で、塩漬けにしていた株が、いつの間にか3倍になっていた。
そろそろ売り時だろう。
俺がそろそろ売り時だろう、と思うということは、今すぐ暴落してもおかしくないということだ。
サラリーマンとしては、やりたくもない仕事を引き受けて残業代を上乗せし、年収ベースで所得税の跳ね上がるラインギリギリまで働いた。
仕事と家庭と、投資のストレスで酒とタバコの量は年々増え、心身ともにボロボロだった。
増税に物価高、働きにくい、住みにくい、若者は意欲を失い、治安も悪化し続け、穏やかな老後など期待するべくもなかった。
唯一安らげるのは、趣味の熱帯魚を眺めている時、くらいか。
そんな時だ。
「岸谷さん、残念だけど来年のボーナスは四割カットです」
上司である執行役員から、無情な宣告があった。
「え、な、なんで……」
「一昨年から始めたAI評価で、残業代を含めたコストと、成果を比較したところ、相対的にコストパフォーマンスが低いという診断になりました」
「……」
「よって、ボーナスで調整することになりました。残念です」
「そんな……」
確かにコスパは低いだろう。
だが、残業代を稼ぐためとはいえ、俺は管理職としての業務以上に雑務をこなし、外回りをし、いくつも新しい商品開発事業を切り拓いてきただろう!
て言うかAI評価って何だよ!!
上司の目の奥は何の感情も、こもっていなかった。
虚無の目だ。
いや、そんなことより、ボーナスが減るということは、娘の大学の新年度の学費が、借金の返済が……元々足りてないのだから、株を売ってボーナスを上乗せしてもらって、ようやく一年乗り切れるか、という目算だったのだ。
……何かが切れる音が聞こえた気がした。
目の前が暗くなっていく。
何だろう、胸が痛い。
……いや、痺れる。感覚がなくなってきた。
上司の顔がフレームアウトした。
「お、おい、岸谷さん!」
なぜだ、なぜ床が目の前に?
意識が遠のく。
死ぬのか?
山野辺大学という私立大に通っていた時代に。
死ぬほど愛した彼女の笑顔が浮かんできた。
これが走馬灯というものか。
それもすぐにかき消えた。妻と娘の顔だ。
……ああ、妻よ、株を今すぐ売ってくれ。
そして俺の生命保険は使うんじゃない。
安定した投資信託にでも回して……働くん……だ……。
あと、熱帯魚のことを……。