ネオンテトラは勇躍す 44
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「これはご挨拶ですな。
なに、私はただの立会人です。お気になさらず」
「そうだ。
蒲田さんは、立会人として同席してもらっている」
「そうですか……」
幹水としては、特に問題はない。
今となっては、彼も【ラジオジパング】の経営者と言って良いのだから。
むしろ居るだろうな、と思っていた。
「さて。鶴岡、幹水。
俺がこうして、お前たちを呼んだのは、何でだと思う?」
なんでって、何でだろう?
鶴岡と幹水は、顔を見合わせた。
【ラジオジパング】の経営を手中にした以上、【ツキテレビ】の3割の株式も手中に収めている。
米国の投資家をまとめ上げる手腕があるなら、【ツキテレビ】の過半数も既に見えているのではないか、と幹水は考えていた。
3割の株式を握られている以上、安易な第三者増資割当は決議されない。【ツキテレビ】の株を薄めることすら容易にはいかない。
盤面としては詰みなのだ。
政府筋の介入をとりつけて、無理やり何とかするしかない、もはやそういう運任せの状況だ。
「裏切り者の私たちをあざ笑う為でしょう!」
「……鶴岡、おまえのそういう単純なところは、俺は嫌いじゃないぞ」
「源一さん。
悔しいが、今は私達の負けだ。
もちろんこのままで終わるつもりはないが。
それより、あなたは何か交渉の余地がある、と言いたいんですか?」
「幹水、相変わらず聡いな」
ごくり、と鶴岡が息を呑む。
生き残る手段があるというのか?
幹水は考えた。
源一さんは、嘉之助さんの孫だ。
つまり創業者一族の代表として、我々簒奪者から、【ツキウサギグループ】を取り戻す使命がある。
人の怨念とは、時代を超える。そういうものだ。
我々の破滅こそが、源一さんの喜びなのだ。
そしてそれは、もはや容易に手の届く位置にある。
「わかりません。
ここで何かを交渉する意味が、あなたには、無い。
何もしなくても、あなたの願いは叶うのだから」
巌のような顔で、幹水は絞り出した。
「幹水」
「……はい」
源一は、カーテンを開けて、窓の外を見た。
快晴ではないが、眩しい。
初夏特有の天気だ。
「俺の願いとは、なんだ?」
「我々から、グループの経営権を取り戻すことでしょう」
「うん。それは魅力的だな!
お祖父様も、さぞかし喜ばれることだろう」
違うのか?
幹水はわからなくなった。
「違うのか?とでも言いたげだな」
源一はソファに座り直した。
「違わない。
……それはそれで一つの目標だった。
お前たちに腹を立てているからな。
だがーーー」
源一は、目を瞑って、両手を組んだ。
「お祖父様が言い残したことがある」
「嘉之助さんが……?」
「お前たちを恨むな。
……という事だ。
俺が一族の恨みを晴らすことに、人生を費やしてしまうことを恐れたのかもしれない。あるいは、お前たちのことが、憎めなかったのかもしれない。
ただし、お前たちが道を誤ることがあれば、正してやってくれ、ともな」
鶴岡は、目頭が熱くなった。
その時は、そうするしかなかった。
それが正義だと信じていた。後悔はない。
だが、今まで心の奥底に、大きな棘が、ずーっと刺さり続けていた。その棘が、ふっと抜かれたような気がした。
ん???
幹水もまた感慨を感じなくもなかったが、鶴岡よりは頭の回る男だった。
権力と腐敗で濁った思考ではなく、もっと単純に、誠実に考えろ!
「源一さん、まさか……
株主総会で言っていたことが、
あなたの本当の気持ちだと!?」
源一は、にっこりと微笑んだ。
「ずっとそう言ってんじゃん」
ええーーーー
幹水は絶句した。
あんなの建前っつうか、なんかそれっぽいこと言って、ほんとは金儲けの為にやってる、って思うじゃん。
世の中の99%、いや100%欲に塗れたゴミどもなんだよ。
俺や鶴岡のように保身しか考えてない経営者も、賄賂を要求してくるゴミカス共も、天下り先の紹介をおねだりしてくる脂ぎったジジイ共も、みーんなそうなんだよ。
だって、
だってそうだろう……?
ガバナンスの改善は大事だよ。
俺だってそう思うよ。
でも、
【誰も守ってない】
じゃん?
【裏でせせら笑ってる】
じゃん?
幹水はそう思った。
幹水の汚水に浸かった思考回路では、それが限界だった。
幹水は頭を抱えてしまった。
「そんなバカな。
そんな事のために、あなたはこんな大博打を仕掛けたと?」
「そうだな」
信じられない。
源一さんのゴールは、欲に塗れた【ツキウサギグループ】のガバナンス改善だった。
嘉之助さんの遺言に忠実に、我欲もなく、高潔な精神で。
【ラジオジパング】の経営権奪取も、その手段に過ぎなかったのだ。
鶴岡は、既に考えるのをやめて神妙な顔をするしかなかった。
どうせただの人になってしまっている。
源一がどうしたいのか、最後まで聞くほかなかった。
「幹水。
おまえが想像するように、お前たちを排斥して、俺が【ツキウサギグループ】の総帥となって手腕を振るう。
……それも一つの手だ。
そうできる可能性は高い」
でしょうね。
惨めに抗ってはみますがね。
幹水は自嘲の笑みを浮かべた。
「だが、お前たちを、まだ信じたい気持もある」
は?
鶴岡も幹水も、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
自分たちが破滅しない未来があるのか???
「俺の目的は、ガバナンスの改善だ。
どうだ?俺の話に乗ってみないか?」
源一は、悪戯っぽく、微笑んだ。
鶴岡と幹水には、それが少年時代の源一と重なるのだった。




