第7話 宮廷魔法使
戦況は圧倒的だった。
宮廷魔法使アリージェと彼女のスライム精霊ツィーペルターによる連携に一切の隙は無い。
スライムでできた4本の触手が戦場を掻き乱し、その合間を縫いながらアリージェが盗賊を一人一人潰していく。
ある者は触手に殴り飛ばされ、またある者はアリージェに蹴り飛ばされる。
アリージェが腕を振るえば、飛散したスライムが盗賊の顔にへばり付き、彼らの口を塞ぎ溺れさせた。
反攻は無意味だった。
盗賊が苦し紛れに薙いだ剣はアリージェのドレスグローブに受け止められ、即座に融解してしまう。それはグレンラタンを纏ったティーユと同じ原理であり、スライム型の手袋をはめたアリージェの手が溶けることはない。
無論――
「があああああああっつあああ!?」
彼女たちが敵と判断した相手には関係の無い原理だ。
アリージェに触れられた盗賊の1人が痛みのあまり崩れ落ちている。彼の腕は肉を溶かされ骨が剥き出しになっていた。
「そこで大人しく寝ていることが賢明ですわ。事が終われば応急処置くらいはしてさしあげます」
アリージェはそう言って盗賊を捨て置き、また戦場を駆けた。
その姿はまさに一騎当千。
王宮が誇る最強の召喚士軍団の1人だった。
「……すごい、あれが宮廷魔法使の力」
レインは素直に憧憬の念を抱いた。
冒険者という道ではなく、普通に学園に通うことができていたら、自分は彼女のような召喚士になっていたかもしれないと夢想してしまう。
召喚士でありながら妖精も使役する世界初の魔法使いとして名を馳せ、その横にはもちろん召喚獣――つまり、精霊が――
(バカバカしい……)
妄想を振り払うように頭を振る。
レインにとってそれは捨てた未来だ。現実は甘くない。彼女はただの魔法使いの冒険者であり、その横には誰も――
『……敵が逃げ腰になってきたな。挨拶がてら俺はアリージェの援護に回る』
「え?」
『君はここで待機だ』
レインが隣の仮面男を見上げた――その時点で彼はもう盗賊に向かって疾走していた。「ちょっ、あなたみたいな不審者が出ていったら彼女に返り討ちにされるわよ!?」という忠告も口には出たが、彼の耳には届かず手遅れだった。
しかし、よくよく思い出してみると、あの不審者を雇ったのはもともと“宮廷魔法使と面識がある”という話だったからだ。精霊の名前も知っていたことから、グレイが言っていた宮廷魔法使の友人とはアリージェのことかもしれなかった。
「……」
アリージェと合流し、共闘するグレイを様子を木陰から眺める。
レインの位置からは彼らの会話は聞こえなかったが、どこからどう見ても怪しい男である闖入者を宮廷魔法使のアリージェは瞬時に味方だと判断していた。あれは知り合いでなければできない動きだ。しかも険しかった黒メイドの表情がどことなく柔らかくなっており、信頼というものも感じ取れる。
「浮気現場ね。エルフの奥さんに会えたらあること無いこと吹きこんで告げ口しようよ!」
「やめなさい」
悪戯好きの妖精を戒め、レインは2人の戦闘を見守る。
脳筋男ことグレイが特攻し、持ち前の馬鹿力で盗賊たちを一撃で屠っている。彼の狙いは足だ。足の骨を折ることで盗賊たちの逃走を防いでいる。
方やアリージェは前衛をグレイに任せ、盗賊たちをスライムで拘束することに専念していた。
まるで最初から役割が決まっていたかのような洗練された戦いだ。
「レイン、あれ! あそこを見て!」
掃除も終盤に差し掛かり、自分の出る幕はなさそうだと高を括っていたレイン。
そんな彼女の横で、カレアが馬車を指差しながら叫んでいる。
「なんか小っちゃいの出てきたよ!」
「あなたがそれを言うの……って、魔物?」
カレアが指差した先、そこには狐型の魔物のような生物が馬車のドアから顔を出していた。
小さくて可愛らしい銀色の毛並みの狐。
その子はまるで戦闘を観戦するかのように視線を彷徨わせ、ふらふらと外へと出てしまう。なんとなくその視線はグレイのことを追っているようにも見えた。
「わざわざ宮廷魔法使が運んでいた子だよね。ってことは絶対に希少種だよ」
「運んでいたかは知らないけど、確かに見たことはないわね」
「あんなところにいたら危ないよ! 助けようよ!」
「……そうね」
戦闘に集中しているのかグレイとアリージェは銀狐の動きに気付いていない。
守れるのはレインたちのみ。
それに――
「今なら宮廷魔法使に恩と顔を売るチャンスだよ、レイン!」
「冴えてるわ、あなたも私も」
助けない理由などなかった。
元々自分にできることをする予定だった。銀狐と宮廷魔法使アリージェに深い関わりがあるのなら一石二鳥である。
「カレアはこっち」
「うん!」
切り札を胸元へと忍ばせた後、レインは草むらから飛びだした。
「!? 敵襲……です、の?」
アリージェにとっての闖入者はレインだったようだ。
グレイが飛び入りした時とは違い、あからさまに警戒し、迎撃しようかと逡巡している。レインとしては素直に納得できない反応だが、それも仕方のないことだ。アリージェからしてみれば見知らぬ少女が突然馬車に向かって走り出して来たのだ。盗賊の一味かと疑いもしてしまう。
『アリージェ、大丈夫だ。その子は俺のクライアントで、冒険者ギルドの者だ』
グレイがアリージェの誤解を解く。
不審者に身元を保証されるというのも変な話ではあるが、この場ではレイン自身が説明するよりグレイから紹介された方が円滑である。それを期待していたためレインは自分から身分を明かすこともしなかった。
「助力、感謝いたしますわ」
盗賊をいなしながらアリージェは謝辞を述べる。だが、
「ですが、いったい何をするつもりで――」
一直線に馬車へと向かうレインに疑問を感じたのか、アリージェは目を丸くしている。
そして、気づいた。
「ク――!? クゥ様!? 外は危険だとあれほど!」
悲鳴に近い驚きの声が上がった。
10人以上の盗賊に囲まれても動揺すらしなかったアリージェだが、銀狐が危険にさらされているというだけでうろたえているのだ。
(やっぱり、王宮にとって大切な何かなのね、この子は)
レインが手を伸ばし、「危ないからこっちへ来て!」と銀狐に声を掛ける。
すると言葉を理解しているのか、銀狐は「くぅ!」と一鳴きするとレインに駆け寄り、彼女の胸へとダイブした。
「あっと……」
落とさないように両手でキャッチし、抱きしめる。その瞬間、胸の間から「ぐへぇ」という妖精が押し潰れたような汚い鳴き声も聞こえたが、特に問題はない。
(よし、無事に回収完了っと――)
後は銀狐を連れて安全なところに逃げるだけ。
このまま車内に逃げ込むこともレインは考えたが、盗賊たちに自分たちの姿を見られてしまったので賢明な選択肢とは言えない。外から魔法や火を放たれたりでもしたら防ぎようがないからだ。
「だったら――」
来た道をそのまま戻るようにレインは踵を返した。
戦闘の邪魔にならないように森に身を隠すことにしたのだ。
しかし、そこで思いがけない敵に出くわす。
「うっしゃあああ! 俺はついてるぜえ!!」
「きゃっ!」
なぜか馬車の裏から盗賊の1人が現れ、レインを拘束したのだ。
敵の数は倒れ伏している者も合わせてこれで19人。どうやら伏兵としてこの男も今まで姿を隠していたらしい。
「おい! そこの召喚士と男!! これが見えねぇのか! さっさと戦闘をやめろ!」
体のいい人質ということだろう。
男はグレイたちを脅すように叫び、見せつけるようにレインの首にナイフを当てる。
「死にたくねけりゃ下手な真似はするなよ、ガキ」
「っ――」
「へへへ、手こずらせやがって……この礼は高くつくぜぇおい」
まるで獲物を前に舌なめずりをする獣だ。
レインが無詠唱の魔法を使えることや、彼女の相方が静かに「――殺しちゃう?」と囁いているなど露とも思っていないのだろう。
逃げ腰だった他の盗賊たちも形勢が逆転したと錯覚したのか、口元を醜く歪ませ嗤っている。それがただの幻であることに気付かない。
(まずは首のナイフをどうにかしないと……)
「おやめなさい!」
レインが冷静に対処しようと頭を働かせようとした時、最初に焦ったのは声を出したのはアリージェだった。彼女はレインがそこそこ優秀な魔法使いであり、相方に妖精がいるという情報を知らない。
「悪いことは言いませんわ! 今すぐその娘を解放しなさい!」
だが、言い換えればそれは“レイン以外の情報は知っている”ということだ。
「あなたたち……死にますわよ」
アリージェの警告と共に、周囲一帯の温度が急激に下がる――そんな錯覚を盗賊たちは得た。
それは気温の変化ではない。肌を刺すような殺気を本能が感じ取り、冷や汗が彼らの身体を冷ましたのだ。
「グレ、イ……?」
レインは戸惑う。
この異様な雰囲気の原因が“彼”であることに。
佇まいは昨日今日と何ら変化はない。ただ棒立ちで仮面の奥からこちらを眺めているだけ。それだけなのに空気が違う。顔を見たこともないのに、別の顔を見ている――そんな感覚だ。
異変が起きたのはすぐ後だった。
盗賊たちが急に悲鳴を上げながら倒れ始めたのだ。
彼らの両脚はあらぬ方向を向いて折れたりねじ曲がったりしている。
(無詠唱魔法? ……いいえ、そもそもこんな魔法があるなんて聞いたこともない。じゃあ、精霊の仕業……?)
レインは宮廷魔法使を見つめるが、当の本人は困ったようにグレイを見守っているので必然的に彼の仕業なのだと立ち返ることとなった。
「なんなんだよ、これはよう……わけわかんねえよ……」
レインを人質にとった盗賊が恐怖に慄き、語気を強める。
彼が最後の1人だった。まるでメインディッシュのように残された男は、自分が次の瞬間どうなってしまうのかを考えるだけで膝が笑ってしまう。
「う、うごくんじゃねえ!」
先程から動いているのは痛みでのたうち回る盗賊たちだけだ。アリージェはもちろんグレイに至っては微動だにしていない。
これは最後まで残ってしまった男による苦し紛れの抵抗だ。
グレイたちに人質を見せつけ、自分だけでも助かろうと必死に足掻こうとしたのだ。だが、
「……!?」
男は動けなかった。
なぜなら身動きを封じる“武器”が、彼の身体を縛り付けていたからだ。
「“糸”……だと――!?」
男が自分の身体を見下ろす。
そこには腕や足を拘束するように糸が幾重にも巻き付いており、己の自由を奪っていた。糸の束は白が煤けたような色合いをしていた。逃げようにも、ちょっとやそっと力を込めたぐらいではビクともせず、千切れるどころか肉をさらに締め付けるだけだった。
「いつの間に――」
男の言葉は続かなかった。
『……』
グレイが腕を振ると、連動するように身体が引っ張られ、そのまま後方20メートルほど吹っ飛び、樹木へと叩きつけられたからだ。
「――」
気絶してしまったのか、男の首が力なく垂れ下がっている。
木の側で宙吊りになるその姿はまるで壊れた操り人形のようだ。腕や足が折れ曲がった姿は糸の威力を物語ると共に、連想に拍車をかけさせている。
「……ただの脳筋じゃ、なかったのね」
糸使いと遭遇するなど、レインにとって初めての経験だった。
そんな人間がいたということすら知らない。
『怪我はないか、レイン』
当の本人は何事もなかったかのようにレインたちに近づき――
「え、えぇ……おかげさまで――って、近い! なになに!? どうしたのよ、急に――っ!?」
レインは慌てた。
心配で駆け寄ってきたグレイがそのまま自分に抱き着いてくるのではないか、と不安になるほどずかずかと急接近してきたからだ。
『自分ではわかっていないだけかもしれない。少し、見せてみろ』
だが、それは杞憂だった。
彼は腰を落とし前屈みになると、レインの眼の届かない首などを重点的に観察し、怪我の有無を確かめ始めた。
先程まで得体の知れない殺気を放っていた男とは似ても似つかないほどの過保護ぶりだ。
(……ちょっと、恥ずかしいんですけど)
こんな大胆に堂々と見つめられる経験などレインはしたことがなかった。自然と頬が熱くなるのを感じる。しかし、善意を無下にするわけにもいかず、押し退けることもできない。
救いの手は意外なところから差し伸べられた。
「あまり他の女性にばかり目を奪われてしまうのは感心いたしませんわ、万屋さん」
『アリージェ……』
メイド服の襟を正しながら、宮廷魔法使がグレイの背中に声を掛けたのだ。
その内容は若干ズレているような気がしなくもないが、レインとしてはこの状況から解放されるならなんでもよかった。
「相変わらず誰かが掴まることに敏感ですのね。貴方のその心配性を責めるつもりはありませんが、何事も度が過ぎるのはよくありませんわ。それに、現を抜かしてばかりいると“クゥ様”に焼き餅を焼かれてしまいますわよ?」
直後、アリージェに「クゥ様」と呼ばれている銀狐がレインの腕からグレイの胸へと飛び移った。
そして自分の居場所はここだと言わんばかりにグレイの懐に潜り込み、ひょこりと顔だけを覗かせる。
『クゥも無事でよかった。でも、ちゃんとアリージェの言うことを聞かないとダメだろ?』
「きゅ~」
甘えるような銀狐の鳴き声に、グレイが『反省してないだろ?』と苦笑しながら頭を撫でている。
(いいなー……私も撫でたかったなー)
レインが羨ましそうにグレイたちを眺めていると胸元から「あんたには超絶プリティーカレアちゃんがいるじゃない! 撫でていいのよ!?」と主張の激しい妖精が顔を覗かせた。おそらくクゥの真似をしているつもりなのだろう。
とりあえずレインは妖精の小さな頬を指でつまみ、変顔をさせて遊ぶことにした。
「にゃんか扱いが雑ぅ!」
カレアの抗議と変顔によって周囲が笑顔に包まれる。
緊迫した空気が完全に弛緩した瞬間だった。
『時期にティーユが盗賊護送用の馬車を連れてくる』
アリージェに向き直ったグレイはそのまま身体を翻し、
『それまでは彼女――レインと一緒に休んでいるといい。賊の後始末は俺がやっておく』
レインにとって千載一遇のチャンスを得られる提案を残していった。
早速、彼は仲介役としての仕事を熟すつもりらしい。
「そんな、悪いですわ。貴方にだけ押し付けるなんて……わたくしは宮廷魔法使としての責務を――」
『だったら、盗賊退治を手伝ってくれた彼女を労ってやってくれ。魔法使になってからずっと多忙なんだから、今のうちに挨拶しておかないと機会を失うぞ。分離したツペルにも手伝ってもらうつもりだから手は足りているし遠慮するな』
「それも、そう……ですわね。では、お言葉に甘えてお願いしますわ」
『ああ、ゆっくり休んでいろ』
クゥを連れたままツィーペルターの触手の元へ向かうグレイを見送る。
レインは彼が気を利かせて宮廷魔法使との場を設けてくれたことに心の中で感謝した。一方、アリージェもグレイの言動と長い付き合いから、彼が自分とレインを引き合わせようとしていることに勘付いていた。
「……」
「……」
それが態度に出たのだろう。
レインとアリージェは同時にお互いを見つめ合う形となった。
「ぁ……えっと……」
「――ふふ」
言葉に窮するレインとは違い、アリージェはたおやかな笑みを浮かべている。
「露骨すぎて友人としては少し不安になりますわ」
「え?」
「なんでもありませんの。ただの独り言ですわ」
さて、とアリージェが向き直る。
「改めてご紹介を、わたくしは宮廷魔法使第三騎・王女親衛隊副長アリージェ・メル・ヴァトーと申します。この度の賊退治のご協力に心より感謝申し上げます」
賊と相対していたときとは違い、芝居掛かっていた振る舞いではなくなっていた。
「いえ、私は――」
レインは思わず普通に返答しそうになってしまったが、慌てて口を閉じて冒険者らしい喋り方を意識する。アリージェ・メル・ヴァトーのような姓の後ろに家柄を示す名がある者はもれなく貴族である。そういう相手と対峙すると、レインはどうしても昔の感覚を思い出してしまうのだ。
「私は、冒険者ギルドに所属しているレインよ。そしてこっちが相方の妖精カレア」
「よろしく~」
「妖精……ですの? これはまた随分と珍しい――もしかして巷で噂の『妖精使い』の冒険者とは――」
「十中八九、私のことね」
アリージェが「まあ!」と口に手を充て驚きを示す。
庶民でも貴族でも驚くことに変わりはないが、昨日の冒険者のおっさんたちとは比べ物にならないほど上品である。
「ねえねえ! メイドのお姉さんはグレイとは仲がいいの?」
カレアがレインの胸元から飛び立ち、ぐるぐると興味深そうにアリージェの周囲を回る。
「そうですわね。彼とは旧知の仲といってもいいですわ」
「だったらさ、お姉さんも協力してよ!」
「何の話ですの?」
相方が勝手に話を進めようとしているためレインも「実は――」と切り出し、自分が『幻魔王』黒騎士を探していることを馬鹿正直に説明した。黒騎士を追って王都に来たこと、万屋シラクラの門を叩き宮廷魔法使との仲介を依頼したこと、今日ここでアリージェに会えたこと。
当然、結果は――
「不可能ですわ」
惨敗だ。
しかし、それはレインも覚悟していたことだ。
「現在、城の警備は対黒騎士に備え、かつてないほど厳重を極めておりますの。そこに部外者が入り込む余地などありませんわ。まして「黒騎士に会いたいから」という野次馬を招き入れることなど論外」
厳しい言葉が並ぶが正論である。
「余計な策を弄すことなく、話を通そうとしたことは好感が持てますが……それはただ謀が苦手なだけですの?」
アリージェが言う余計な策とは、例えばクララ姫を護るために護衛の仕事をしたい――などの虚偽だ。だがそれは諸刃の剣であり、そもそも王家は黒騎士への返答を決めかねているのか未だに方針を国に知らせていないため、兵士などの護衛を募ってはいない。
だからレインは嘘は吐かなかった。
「それがばれた時のデメリットが大きすぎるもの。最初から騙すつもりはないわ」
それを聞いてアリージェはゆっくりと頷く。
「賢明な判断ですわ。――わたくし、優しい嘘は好きですが自分勝手な嘘は嫌いですの」
そう言って彼女は呆れたようにグレイに視線を向けた。盗賊たちを集め、縛りあげている彼を見ながら「
何を考えてますの、貴方は――」と独り言ちる。
そして、
「――普通なら不可能ですわ」
先程とは全く異なる言葉が彼女の口から飛び出た。
「ですが、彼の――グレイの紹介とあれば仕方がありませんわ。わたくしも貴女が黒騎士に出会えるよう手配する準備をいたしますわ」
「……いいんですか?」
驚きのあまりレインは目を丸くする。
話の流れが忽然と真逆になったのだ。聞き直しもする。
「安心するのは早計ですわ。それを決めるのはわたくしではなく、我が親衛隊の隊長の判断を請う必要がありますの」
アリージェが所属しているのは第三騎士団と呼ばれるクララ王女専属の親衛隊だ。
そして親衛隊長を勤める女性は宮廷魔法使の中でもっとも有名であり、それどころかこの世でもっとも優れた召喚士と名高い人物だ。
「……あ! もしかして!」
カレアが興奮したように声を上げる。
「アリージェの隊長って、あの人型精霊を召喚した天才召喚士?」
「ええ、その通りですわ」
隊長のことがよほど好きなのか、アリージェの顔が急に晴れやかになる。
「セルティア・アンヴリュー。わたくしが尊敬する親友であり、直属の指揮官でもありますの。彼女の指示を仰ぎますわ」
「……聞いたことがある。学生のころから数々の事件を解決し、二柱の人型精霊を使役する最強の宮廷魔法使。喚名は確か――」
喚名。
それは優秀な召喚士に対し、尊敬と畏怖の念を込めて周囲がつけるあだ名のようなもの。召喚士には自身の精霊に異名を付ける習わしがあり、そこから派生した文化が喚名である。
そして親衛隊長を務める宮廷魔法使には数々の喚名が名付けられ、その中でも特に有名なものがあった。その名も――
「――『氷の仮面』」
レインが交渉しなければならない相手は、そんな冷たい字を持つ召喚士だ。