第6話 黒メイド
「前方、150メートル先に不審な動き……大人が20人近くいる」
森の中、帰路に着いていたレインたちを呼び止めたのは、警戒するように耳を逆立てたティーユの一言だった。
『……賊の類いか?』
「うん。防具がまちまち、動きも素人。たぶん……中央に馬車があって、それを囲んでる」
長年の付き合いである兄が見事に言い当てる。
妹も防具が擦れあう金属音の違いや足音の数から状況を把握し、簡潔に報告をしていた。
「カレア、隠れてなさい」
「えぇー! なんでー!?」
「どうせあなた、人間相手に手加減なんてできないでしょ?」
「ちぇー根絶やしにしてやろうかと思ったのにぃー」
グレイたちの横でそんな物騒なやり取りをするレインたち。
彼女はグレイが両肩に担いでいたブーデントを降ろしたことで、彼が次に何をするのか察していた。
相方の妖精は戦力過剰なため緊急時以外は待機せざるを得ない。対人戦闘を行うのであれば自分の出番である。
「あなたって結構なお人好しよね。それは何でも屋をやってる性分なのかしら?」
『……そうでもない。俺は利己的で自分勝手な生き物だ』
「そう? 出会ったばかりの冒険者を泊めたり、出会ってもいない御者を助けに行く……なんて、変よ」
敵は少なくとも10人以上。対してレインたちは3人と1羽。
数の上では圧倒的に不利な状況だ。
それにもかかわらず助太刀に行くという選択肢を即決する人間をお人好しと言わずしてなんと言うのか。冒険者として様々な人間を見てきたレインでも、あまり出会ったことのないタイプの人間であることは間違いない。
『ティーユは先に街に戻り応援を呼んでくれ。警邏の兵士に事情を伝えれば馬車ぐらい寄越してくれるだろう』
「いえっさー……」
「?」
レインは兄妹のやり取りに違和感を得た。
足の速いバニー獣人であるティーユを使いとして立てることに異論はない。問題はグレイが要求した救援の内容だ。
一足先に街へと駆けるティーユとその背中を視線で追うグレイ。
そんな2人を眺めながらレインは思ったことを口にする。
「まるで馬車だけで十分、みたいな言い草ね」
問い詰めているわけではなく、それは単純な疑問だった。
しかし、返ってきた答えはレインの予想を遥かに上回るものだった。
『そうだな。俺たちに足りないのは捕縛した賊を護送する馬車だけだからな』
そう言ってグレイは襲撃現場へと走り出した。
まるで自分一人で問題を解決すると言わんばかりの疾走に、レインは慌てて追走する。
『……? なぜついてくる。子どもは隠れていろ』
「なぜって……曲がりなりにも私たちは臨時パーティーだし、人のクエストについてきておきながら今更どの口が言うのよ」
『……』
(言い包めてやったわ……!)
押し黙るグレイを余所に、レインはしたり顔を隠すように前方へと視線を向ける。
「……すごい、情報通りなのね」
ティーユが聞き分けた通り18人の人族の男とそれに囲まれている馬車が鎮座していた。
彼女たちが到着したのは現場から約20メートル離れた林の裏側だ。
丁度、盗賊たちからは死角になっており、小声で話せばまず勘付かれることはない。
『相手は魔物ではない、人間だ』
「……? だからなに?」
『やれるのか?』
やれる。
随分と曖昧な言い方だ。
だが、レインはなんとなくグレイが言いたいことはわかっていた。目の前の仮面男は自分のことを意味もなく子ども扱いしてくるからだ。
「くどい。私は冒険者よ。盗賊だって何度も相手にしたことがあるし、他の冒険者と協力して住処ごと潰したこともある。殺れるわ」
情けや躊躇は己の死を招く。
生半可な気持ちでは冒険者は務まらず長続きもしない。修羅場をくぐり抜けてきたと自負するレインにとって、子どもだからと軽視されるのは癪に障る。
『そうか』
「……?」
意外にも張り合いがなかったことに、レインは目を丸くする。
彼女のその瞳の先にはグレイの灰色の仮面があり、さらにその奥にはフードの陰に隠れる黒っぽい彼の眼があった。
(こんな間近で見上げたことなかったかも……)
彼の眼は何故だか物悲しさを漂わせていた。
子どもの自分を馬鹿にしていたのかと最初は思ったが、どうやらそれは勘違いだったようだ。人を馬鹿にするような人間の目ではない。
過酷な世界で育ったレインには彼の憂いの正体がわからなかった。
「とりあえず私が魔法で援護するから、あなたは――」
『待て』
「なによ。まだ言い足りないことがあるの?」
『いや、どうやら俺たちの助けはいらなかったようだ』
何を言って……とレインはグレイの視線を追うと、丁度1人の女性が馬車から降りているところだった。
美しい女性だ。
年の頃はまだ20代になったばかりといったところだろう。スカートを摘まみ足音を立てずに地面へと降り立つさまはまるで貴族のように優雅だ。ただ不思議だったのは彼女がメイド服を着ていることだろうか。黒を基調としたフリル付きのエプロンドレスを身に纏い、肘までを覆うドレスグローブとヒールの高いロングブーツは一際黒く染まっている。
金髪の髪が映える装いだ。
(真っ黒……グレイよりはましだけど)
レインは人並みの感想を抱いた。
だが、強奪目的だった盗賊たちは思いがけない報酬に歓声を上げていた。
下卑た視線で舐るように女性の身体を見詰め、やれ「順番」だ「奴隷」だの下種な相談を言い争っている。
「――気持ち悪い」
吐き捨てるレインの隣で同調するように『同感だ』とグレイが頷く。
レインとしては傍から盗賊たちの会話を聞いているだけでも寒気が襲ってくるのに、当事者であるメイドの女性は怯えていないだろうかと心配になった。
しかしグレイが言うには助ける必要はないという。
(……やっぱり、見てるだけなんて無理よ)
言動が一致していないグレイの横で臨戦態勢を整えようとレインが身構える。
だが――
「ツィーペルター」
なんと、最初に動いたのは黒メイドの女性だった。
まるで呪文のような謎の言葉と共に、スカートをゆっくりとたくし上げていく。
挑発的な仕草だ。
盗賊たちはゲラゲラと彼女のショーを観察している。女性が血迷い、命乞いをしているとでも思ったのだろう。そこに警戒の二文字はない。
そしてたくし上げられたスカートの裾が太ももに差し掛かり、いよいよ下着が露になってしまうその瞬間――
「ぶえっ」
「が――っ」
後方にいた盗賊の2人が血をまき散らしながら宙を舞った。
女性の色香に当てられ興奮した――などといった滑稽なものでは無い。彼らは黒い触手によって吹き飛ばされ、腹を殴られ、顎を砕かれたのだ。
「な、なんじゃこりゃああああ!?」
仲間の異変に気付いた盗賊たちが一斉に振り向く。
彼らの目の前にはブヨブヨとした液体の塊のような触手が2本、地面から生え出るように突き出ていた。その黒い触手はまるで踊り子の腕のようにしなやかに身をこなし、盗賊たちを挑発する。
誰も彼もが触手に目を奪われ、メイドから注意をそらす中。
傍観者になってしまっていたレインが彼女の動きを捉える。
(……ネコ?)
黒メイドが突然、四つん這いなったのだ。
それはネコ系獣人や猫型の魔物がするような姿勢。獣人ではない人族の女性には馴染みのない動きだったが、異様に様になっていた。
そして次の瞬間には別の盗賊が新たに生えた触手によって弾き飛ばされていた。
触手の数は計4本。
それは黒メイドが地面に脚を付けている数と同じ数だった。
「てめぇ!! なにをしやがった!?」
盗賊のリーダーと思しき男が吠える。
「……はぁ、まったく。まだわかりませんの?」
呆れたように答えるメイドがそう言って立ち上がると、彼女の手が地面に引っ付いたかのように伸び始めた。
「!?」
衝撃の光景に動揺する盗賊たち。
しかし、レインは気付いた。伸びたのはメイドの手ではなく、彼女が身に着けていた黒いドレスグローブが伸びているのだと。
現に、指先から千切れたドレスグローブは元の手袋の形に戻り、残りは触手のようにうねりながら地面へと吸い込まれた。
盗賊たちを襲った触手はメイドが生み出したものだったのだ。正確には――
「もしかして、精霊?」
精霊好きの妖精に問うた答えは、なぜか隣の仮面男から返ってくる。
『ご名答。あれは普段、手袋や靴に化けている変態スライム精霊だ。名前はツィーペルター。またの名を――』
「『猫脚』に撫でられた程度で喚かないでくださる?」
猫脚――その二つ名が響いたとき、盗賊たちに緊張が走る。
それはこの国において有名な精霊の字だったからだ。
「びょう……きゃ、く……だと? まさか、てめえ……宮廷魔法使の――」
「気付くのが遅すぎますわ。あと、あなた方のような下賤な輩は、わたくしの名を口にしないでくださいませ。汚れてしまいますわ」
「ふざけ――」
盗賊の言葉は続かなかった。
なぜならスライムでできた触手が彼を叩き潰したからだ。
「改めて名乗らせていただきますわ」
「……」
盗賊たちが潰れた仲間を前に押し黙る中、黒メイドはあえて気取ったように振る舞い、小さくお辞儀をする。
「宮廷魔法使第三騎・王女親衛隊副長アリージェ・メル・ヴァトー。あなた方を豚箱へ送る召喚士の名ですわ。短い間ではありますが、お見知りおきを」