第3話 依頼
『本気で言っているのか?』
グレイは再確認するようにレインに問う。
「本気よ。私は黒騎士に会うために王都に来たの」
『理由は?』
「確かめたいことがあるの。それを直接、彼に問いただす」
『……』
レインには黒騎士に会わなければならない理由があった。それは彼女が冒険者になった切っ掛けに繋がるものだ。
『1つ断っておくが幻魔の王を名乗った黒騎士は人ではない。化物だ。野次馬根性で近づける相手では――』
「そんなの、百も承知よ。勘違いしないで。私は別に観光気分で王都に来たわけじゃない。私なりの目的があってここにいる」
『……』
「……それに、誰が好き好んで幻魔に近づかなきゃならないのよ。自殺志願者じゃあるまいし」
『だったらなぜ追っている? 君は黒騎士に会って何を確かめるつもりなんだ』
「それは……」
勢いに任せレインは質問に答えようと口を開くが、
「――言えないわ」
先程までの勢いが嘘のように衰えていく。
正直に告げたところでレインにはメリットがない。
そもそも目の前の仮面男が依頼を引き受けるのかすらわからない状況だ。馬鹿正直に教える義理も無ければ依頼とは無関係の内容だ。
「……で、引き受けてくれるの? 噂ではあなた、お城の関係者に顔が利くそうじゃない。黒騎士が現れる舞踏会当日に私がその会場に参加できるように取り持ってほしいんだけど。できる?」
『そういうことか……』
グレイは納得したように頷く。
黒騎士が次に姿を現すのはクララ姫をかどわかす仮面舞踏会当日の夜。その日に王城に潜り込むことができれば確実に黒騎士と接触できるという寸法だ。
ただの冒険者であるレインでは王城で行われる舞踏会に参加することなど不可能であり、口利きは必須。グレイの協力があればその問題も万事解決という流れだ。
『確かに俺には宮廷魔法使の友人がいる。彼女たちに頼めばそう難しい話ではないな』
「……」
グレイの言葉にレインは人知れず感嘆の息を漏らした。
彼の言葉が嘘でない限り、王都最強の部隊と顔見知りだと言い切ったのだ。感心したくもなる。
(仮面で顔は見えないのに。変なの)
だが、レインから見てグレイは小娘相手に見栄を張るような男には見えず、“嘘つき”とも言い難いのは事実だった。これで宮廷魔法使の協力も得られれば、さらに黒騎士に近づくことができる。
しかし――
『今のままでは仲介役を買って出ることはできない』
「な!? どうして!」
『答えは簡単だ。君が信頼にたる人間か、俺にはわからないからだ。ギルドに所属し、ある程度は身元も保証されているようだが……だからといってただの冒険者を友人に紹介するわけにはいかない』
「それは……! そう、だけど……」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。
だからこそ依頼として素性の不確かな自分を紹介してくれと頼んでいるのだが、これでは八方塞がりだ。
「……どうすれば、あなたの信頼の得られるの?」
諦めることはできない。
レインには頼れる知り合いなど王都にはいない。それどころか冒険者として放浪の旅を続けてきた彼女にとって、拠り所になってくれる人など世界のどこにもいない――“いなくなってしまった”。
今更、宮廷魔法使を友人に持つグレイほどの優良な人物を探しだすのは困難であり、チャンスをふいにすることは考えられなかった。どうなことをしてでも、彼には協力してもらう必要がある。
『食い下がるのか。俺としては断ったつもりだったんだが――』
「どうしても黒騎士に会いたいの。せっかく王都に来たのにこんなところで引き下がれないわ」
『――ふむ』
グレイは困ったように息を吐く。
邪険にしている……というよりは扱いに困っている様子だ。取り付く島もなければ、さすがのレインも諦めたかもしれない。だが、何か一押しがあれば漕ぎ着くことができる――そんな態度だ。
(お金……じゃ信頼は買えないし、そもそも金欠。他に私にできることは……)
「わかったわ!」
突然、ティーユに絵本を読んでもらっていたはずの妖精カレアが声を張り上げ、レインとグレイの間に割って入る。彼女はぷんすかと怒ったように仮面の男を見上げると、光り輝く鱗粉をまき散らしながら両手を広げ、レインを護るように立ち塞がった。
「そんなことを言って! あんた! うちの子の身体が目当てなんでしょ!? この変態! ロリコン!」
『……へ?』
「ちょっ、カレア!? なにを言って――」
妖精の暴走は止まらない。
「仮面の下でどれほど下卑た顔をしてるのか知らないけど、そうはいかないよ! あたしの相棒がいくら可愛くて将来有望でも、この子はまだ未成年なのよ!? 手を出したら犯罪よ犯罪!」
『……』
「この6年間、あんたみたいなやつからあたしはずうーっとレインを護ってきたの! 足元に付け込もうとしても無駄! あたしたちにだってずっと追いかけてきたプライドがある! 思い通りになると思ったら大間違い――」
『――待て』
小さな相方の抗議に粛々と耳を傾けていたグレイ。的外れな内容はさておき、“聞き捨てならない台詞”を無視することはできなかった。
「なによ!?」
『“ずっと追いかけてきた”――と、そう言ったのか?』
妖精の背後で「まずい!」と目を見開くレインを余所に、「そうよ! それがなに!?」と強気な態度で返答してしまう。
『黒騎士が初めて公共の場に姿を現したのは二週間ほど前の話だ』
「あ~ん?」
『それを、ずっと追いかけてきた――というのは随分と大げさな言い回しじゃないか?』
「あ~……」
『まさか、黒騎士の正体を知っているのか?』
「……」
『……』
妖精と灰仮面が無言で見つめ合っている。
それは数秒ほどの合間でしかなかったが、その仮面の圧力に耐えられなかったのかカレアはプルプルと震える膨れっ面を維持しながら後ろを振り返り、レインに助けを求めるような目で訴えかけてきた。
「勘違いしないでグレイ。あなたの言う通りこのヘッポコ妖精は大げさなの。ついでに虚言癖もあるから騙されないで」
「へ、へっぽこ!? レイン酷い!」
余計なことばかり口を滑らせる妖精を黙らせるために、レインはカレアを鷲掴みにして立ち上がった。
「相方が失礼したわ。この話は忘れてちょうだい」
『もういいのか?』
「あなたが私の依頼を断ると言ったのよ? ここに止まる理由はないわ」
揚げ足取りの応酬だ。
明らかに“黒騎士に関する情報を握っている”――と物語っているようなものだが、レインも馬鹿正直に答えるつもりはなかった。
『……』
強引に要件を済ませ、立ち退こうとするレインをグレイは黙って見つめる。
「2人とも帰っちゃうの……?」
呼び止めたのはティーユだった。
来訪した客が去ってしまう悲しみ――というよりは仲良くなった妖精と離れるのが嫌なのだろう。目尻を下げ寂しそうな表情でレインとカレアを見上げていた。
「そうよ~もう少しここにいましょうよー。絵本もまだ途中なのにぃ~」
「誰の所為で――って髪を引っ張らないで!」
悪びれもしない元凶に頭を抱えたくなるが、相手は妖精。常識的な考えは通用せず、長い付き合いであるレインとしては慣れたやり取り。怒るだけ無駄である。
「どうせ今日は日も落ち始めちゃったし、後はもう宿を探すだけでしょ~? やだやだ! つまんな~い!」
「それは……そうだけど……」
『お前たち、まだ宿をとっていなかったのか?』
傍観に徹していたグレイが呆気にとられたような口ぶりで会話に割って入った。
「どうして驚くの? 観光シーズンというわけでもないのだから部屋の1つや2つ――」
『この時期は学園の生徒が王都の近くで合宿を行っていて旅館はほぼ貸し切り。普通の宿は競争が激しく明日までは予約でいっぱいのはずだ』
「――嘘でしょ?」
『見込みが甘かったな。仮面舞踏会まではまだ期間はあるが、時期が悪かった』
「……」
「えええぇぇ!! じゃあ、あたしの温かいお風呂にふかふかのベッドはどうなるの!? レインのアレじゃ満足できないのに! 密着具合が足りなくて最近は不眠症気味――」
「悪かったわね。胸が足りなくて。なんなら今すぐにでもぎゅうぎゅうに握り潰してあげようか?」
「ごめんなひゃい」
むんずと小さな身体を鷲掴み、親指でぐりぐりと頬を弄る。
カレアは参りましたとばかりにされるがままだった。
しかし、レインの考えが甘かったのも事実。王都であれば予約しなくともすぐに宿が見つかると腹を括っていたがそれは間違いだった。学園生が利用しないであろう高級旅館という手もあるが、冒険者であり万年金欠のレインには痛い出費だ。
このまま懐事情に優しい宿をとることができなければ、
「野宿……は、確定ね」
「うぅう~やだよ~。また寒空の下でなんてぇ……」
「カレアはどうせ私の服の中に潜り込むからいいじゃない……あぁもう! せっかく王都まで来たのにまた野宿なんて」
知らず知らずのうちに舞い上がっていたのかもしれない。
旅先ではいつも宿探しから始めるレインだったが、王都では初っ端から黒騎士が送ったとされる手紙を読みに行き、ギルドでは黒騎士対策を念頭に置き、万屋では黒騎士に関する依頼をしていた。
黒騎士のことばかり考えてしまっている。
(だって仕方ないじゃない……! 黒騎士は……彼はもしかしたら――)
まだ見ぬ黒騎士の後ろ姿に追い続けた男の後ろ姿が被ろうとした瞬間、
『ここに泊まるか?』
グレイから予想外な提案を受けた。
思わず「え?」と聞き返すレインだったが、グレイの立場からしてみれば目の前の客が助けてくれと言わんばかりに嘆いているのだ。声を掛けずにはいられなかったのだろう。
「あー……気を使わせたわね。でも、大丈夫。これでも冒険者、野宿なんて慣れてるから」
『冒険者だからといって子どもが野宿というのもな……見過ごすこともできない』
「ねーねーレイン~お言葉に甘えちゃおうよ~。仮面のお兄さんがせっかくタダで止めてくれるって言ってくれてるんだよ~。夜盗や山賊に襲われる心配もしなくていいんだよ~?」
レインが冒険者を始めてからというもの賊に襲われた経験は一度や二度どころの話ではない。全てを返り討ちにしてきたが、新米当初は危険な目にも遭っていた。王都やその周辺の治安は他国と比べても水準が高いとはいえ、油断はできない。
安全な寝床で安眠できるなら、それに越したことはないのだ。
ただ、
「もし仮面のお兄さんの正体が変態さんでも~あたしが返り討ちにするからさぁ。とりあえずここは信じてみようよ~」
「な!? 声が大きわよ!」
グレイ本人がそれら賊と同じような野獣だったら、まるで意味のない提案だ。いまいち信用できない相手と一つ屋根の下で寝るなど、冒険者である前に1人の乙女として警戒は怠ることなどできなかった。
その懸念を本人の前で相方が赤裸々に語ってしまったのは計算外だが、当の本人は気にした様子もなく『おいおい聞こえてるぞ』と余裕の突っ込み。それどころか納得したように仮面を上下させ頷いている。
『なるほど、俺も警戒されているわけか。だったら……』
「?」
グレイは右手をテーブルの下に隠し、レインたちの視界から外す。
何事かと彼女が眺めていると、どうやら手袋を脱いだだけらしい。先程まで黒に覆われていたグレイの右手が素肌を晒していた。
そして彼の手首には1本の――
「木の腕輪? ……もしかして耳長族の?」
『そう、婚姻の腕輪だ』
婚姻の腕輪。
それはエルフと呼ばれる不老長寿の種族が結婚を期に相手へ送る腕輪のことである。
よって、グレイがその腕輪を身に着けているということは、つまり……
『俺は既婚者だ。少しは安心できる……か?』
「……」
「……」
レインとカレアが顔を見合わせる。
その数秒後、万屋シラクラに頓狂な声の二重奏が上がったことは言うまでもないだろう。