幕間 騎士とメイド
一方その頃。
宮廷魔法使セルティア・アンヴリューに与えられた私室では部屋の主であるセルティアと彼女の長い髪を三つ編みに結っている少女の姿があった。化粧台の椅子に座っているセルティアはやはり人形のように無表情だったが、その背後を陣取っている少女は特に気にした様子もなく楽しげに話しかけている。
「ホント大変だったんだよ! 幻魔王が派手に幻魔たちを殺しちゃうから街の人や騎士の人たちがビビりすぎちゃってさ! もう無言! 沈黙! からの阿鼻叫喚のオンパレード! 幻魔を討伐するより周りを落ち着かせる時間の方が長かったんだから!」
「仕方ありません。このタイミングでの幻魔の出現は完全に予定外でした。ですが例え作戦が雑でも幻魔王の脅威を周知できたのは渡りに船だったと納得しましょう」
「それはまぁ、うん」
セルティアは少女を宥めるように自分の肩に乗った彼女の手と自分の手を重ねた。
熱く遠征の愚痴を語る少女はグレイと同じ黒髪、そして右頬にはセルティアの左手甲と同じ契約の紋様が描かれていた。
「お疲れさまでしたアリアンジュ。貴女が無事に帰ってきてくれて安心しました」
「当然よ。なんたって私は宮廷魔法使セルティア・アンヴリューの最強の精霊『紅騎士』のアリアンジュなんだから」
己の召喚士と二つ名を誇るように、黒髪の少女――アリアンジュはふふんと鼻を鳴らした。
クララの生誕祭で見せていた『紅騎士』の威圧感と迫力は欠片もなく、中身は見た目相応の十代後半の少女でしかなかった。
「ほい、できあがり。髪、きつかったりしないかな?」
「完璧です。いつもありがとうございます」
二人は色違いのネグリジェで身を包んでいた。色はセルティアが黒でアリアンジュが赤を基調としていた。まるでそれが自分のイメージカラーだと言わんばかりの着こなしだ。
さらにはお揃いの柄であるため二人の仲の良さも窺い知れる。
「で? こっちの愚痴――報告は終わり。セルティアは何か変わったことあった?」
「一つだけ気になることがありました」
セルティアの言葉にアリアンジュが「ほう」と化粧台の鏡越しに見つめ返す。
そのまま次の言葉を待つが、セルティアは瞬きをするだけで微動だにせず口を閉ざしてしまった。
「珍しいね、セルティアが言い淀むなんて。私に言いづらいこと?」
「いえ――」
「……はっ! まさか先輩が女の子を連れて来たとか!? ここ数年は落ち着いてたのにまたすけこましに戻っちゃったの!?」
「……」
「あ~やだやだ、モテる先輩を持つと気が気じゃなくなっちゃう。ただでさえ仕事が忙しくて私たちと居られる時間も限られているのに、他の娘にうつつを抜かしてる暇があるのか――……って、あ、あれ?」
アリアンジュは口早に文句を語るがその内容は薄く声色も柔らかかった。本気ではなく冗談を語っているのは一目瞭然であり“先輩”と呼び慕う相手への信頼すらも感じさせた。
だが、おかしい。
アリアンジュは首を傾げた。
いつもならこんな冗談を口にしていればセルティアが宥めてすぐに止めてくるはずなのだ。それが今は無言でアリアンジュを見つめ、彼女にかける言葉を選んでいるようにさえ見える。
「え、まさか本当に連れてきたの?」
「……はい」
気まずそう――に見えなくもないセルティアの首肯。
それと同時にアリアンジュの眉尻も下がった。
「そう、なん、だ……先輩また増やすのかな……でも、遠征中は何も言ってくれなかったし、いやでも立場上話をできる時間もなかったからしょうがないか」
自分を納得させるように独り言を呟くアリアンジュは、そのままセルティアの肩に顎を乗せるように後ろから抱きついた。
「紅騎士はこれからさらに都市の防衛を任されるから国を出られない。逆に先輩の任務は外の仕事が増えていく。ますます私とは会えなくなっちゃうのに……」
一人落ち込むアリアンジュ。
そんな彼女を励ますようにセルティアがよしよしと頭を撫でた。
「アリアンジュ。盛り上がっているところすいませんが、誤解していますよ」
「盛り下がってるつもりなんだけど……って、誤解?」
「彼が連れてきた女性は『幻魔王』に会うためにやってきた冒険者です」
「……はい? 何を言っているの? 意味が分からないんだけど」
訝しむアリアンジュにセルティアは近況報告を始めた。
彼女が不在だった間にグレイが『妖精使い』の女冒険者を連れてきたことから始まり、クララ姫のダンスレッスンの相手を務めていたこと、そして今夜は姫の友人としてささやかなお茶会をしていることまで余すことなく説明した。
「危険じゃないの?」
王家直属の騎士である『紅騎士』として当然の疑問が漏れた。
だが、彼女の懸念に対しセルティアの返答は――
「大丈夫です」
即答だった。
「危険はありません。あの娘からは敵意を感じません。なにか目的があって動いているのは明白ですが、クララ様を害することはないでしょう」
「う~ん」
「そもそもクララ様を傷つけることは誰にもできません。彼の魔装が許すはずがないので」
「それもそっか」
「むしろ懸念があるとすれば……」
セルティアはそう言ってアリアンジュを見つめ続けた。
「私?」
「はい。理由はわかりませんが彼女は紅騎士に会いたがっていました。心当たりはありませんか?」
「冒険者の女の子でしょ? 『妖精使い』で名前が、え~と……」
「レイン」
「そう、レインね。う~ん、知り合いではないと思う。聞いたことない名前だし私の立場からするとただのファンって可能性の方が高いし」
世にも珍しい人型精霊というだけあって『紅騎士』と『灰騎士』には熱狂的な支持者が多い。彼女たちに一目会いたいとアリアデュランを観光する者も少なくないほどだ。はたから見れば紅騎士に会いたいという感情はレインでなくとも特別なものではない。
セルティアもそれは理解している。理解はしているが妙な引っかかりを覚えるのだ。幻魔王を訪ねてやってきた少女が紅騎士にも会いたいという願望を抱いていることに、なにか関係性があるのではないかと邪推してしまう。
「とりあえず明日の仮面舞踏会が始まる前にでも、そのレインって子に会ってみようか?」
「いえ、不確定要素が多すぎるので直接顔を合わせるのはやめましょう。遠目で確認するぐらいがちょうどいいと考えています」
「そっか。ま、知ってる顔だったらセルティアに教えるだけだし、知らない子だったら会う必要もないしね」
「お願いします」
「はいはーい。――っと、そんなことよりセルティアもいじわるだよね」
「はて?」
わざとらしく首を傾げるセルティア。
アリアンジュはそんなお茶目な召喚士の両肩に手を乗せ、揉みほぐすように指に力を入れた。
「最初から幻魔王に会いに来た謎の少女って教えてくれればよかったのに、補足するのちょっとだけ遅かったよね?」
「バレましたか。乙女の顔をしているアリアンジュが可愛かったので、つい」
「……っ! そ、んな調子のいいこと言う口はこの口か」
アリアンジュの両手はそのままセルティアの頬へ移動し、彼女の頬をもみくちゃにしていく。マッサージのような動きから最終的には口角が上げられ、セルティアは鏡の前で笑顔になっていた。
「さて、では二人っきりの戯れにも満足したので行きましょうか」
セルティアがアリアンジュの手を掴み、すっと立ち上がる。
「え? どこに? もう寝るんじゃないの?」
「? 何をとぼけているんですか? さっきまで会いたい話したいって言ってたじゃないですか。彼に」
「彼に……って、え!? 先輩に!? 今から!?」
「はい、今からです。会いたいなら会えばいいじゃないですか」
「いや、そんなに会いたいなんて言ってな――」
「そう聞こえましたし、問答無用です」
「理不尽!」
「私は会いたいです」
「そっちが本音じゃん!」
いつの間にか腕を組まれ引きずられるように歩くアリアンジュ。
言葉とは裏腹に無抵抗な彼女を連れ、セルティアは「彼は……今日は灰騎士の部屋で休んでいるはずですね」とドアノブに手をかける。
「ちょ、せめて上に何か羽織ろうよ!」
どこからともなく紅色のローブが現れ、セルティアとアリアンジュの身を包む。
後宮の廊下をネグリジェだけを着て歩くなんてはしたないことはできないしさせられない。もし他の誰かとすれ違ったらどうするのか。
そんなアリアンジュの心配をよそに、セルティアは最初からこうなるとわかっていたように改めてアリアンジュの手をぎゅっと握り、
「彼の驚く顔が楽しみですね」
と、彼女と共に暗い廊下へと消えていくのだった。
あと二話程度で一区切り。