第11話 手のひらで
結果としてレインはクララ姫専属のダンスレッスンの相手を拝命することとなった。
「今日はここまでにいたしましょう」
メイド服を貞淑に着こなした妙齢の女性がパチンと手を叩き、練習の終了を告げる。
「最初は姿勢だけは様になっているズブの素人だと落胆しましたが……目を見張る上達の早さです。レインさんはやはりどこかで基礎を習っていたのでは?」
ホールドを解いたレインとクララに近づくメイド服の女性――ドロシー。彼女は長年メイド長補佐として王宮に仕える優秀な侍女であり、仮面舞踏会が迫るこの準備期間はダンス講師も務めていた。
「ドロシーさんの教え方がいいからよ。それに根無し草の私がダンスなんて洒落たことをしていたと思う?」
「それは――」
「あと、最初に自己紹介したけど私は冒険者。冒険者の過去を探るのは御法度よ」
「失礼しました」
一介の冒険者にすぎないレインに頭を下げるドロシー。そんな態度に思わず恐縮しそうになるレインだったが、取り繕うよりも前に感嘆の声が目の前から上がった。
「でもたった8日でこんなにうまくなるなんてすごいです! 妾なんて毎年練習をしているのにいまだに足を踏みそうになったり転びそうになったりするんですよ」
興奮した様子でクララが尻尾を振る。
レインはそんな無邪気な彼女を見つめながら首を傾げた。
「そうなの? でも私はララに一度も踏まれたこと無いはずだけど……」
「レインとはまだ背が近いので問題ないんです。でも、その……彼――殿方と! 踊る時はどうしても身長が足りなくて」
身体の成長が早ければこんなことには……と嘆くクララ。
レインが王宮へ来てから約8日が経過し、2人の関係は友達と呼称しても差し支えないほど打ち解けていた。朝はダンスの相手役、昼は姫の護衛を交えながら昼食を食べ、夜は暇を見つけてはなんてことのない世間話に花を咲かせる。内容は専らレインの冒険の話。どんな旅をして誰と出会いどうやって困難に立ち向かったのか、など。
クララは好奇心旺盛な姫だった。そしてまた、悩める乙女でもあった。
人族と比較すると成長速度の遅い獣人の身体。年齢に対し容姿が幼く見え身長もまた低い。獣人の成長とはそういうものなのだから特段気にするようなことでもないのだが、どうやらクララには想い人がいるらしく会話の端々から“彼”の存在を連想させてくる。
本人は秘密にしているみたいだが、誤魔化し方も強引なため功を奏しておらず隠せていない。雇われて以来ずっと一緒にいたレインは早々に勘付き、そして気付かないふりを続けてきた。今もまた「ああ、なるほどね」と前置きし、深入りすることはしない。冒険者は相手のことを探らないのだ。
「始めた頃にも言ったけど殿方と踊る予定なら私では力不足じゃない? もう少し身長の高い女性に頼むとか、そもそも男性を雇うとか……」
言葉は続かなかった。
クララがニコニコしながら上目遣いでレインを見上げていたからだ。
「王宮は宮廷魔法使と一部のメイドのみが入城を許可されています。警備の中枢を担う彼ら宮廷魔法使は常に多忙で、国に幻魔が出現すれば遠征隊の主戦力としても駆り出されます。現に今も人型精霊『紅騎士』が幻魔討伐のための任務で出払っています」
「……最初に聞いたわ。近頃は幻魔の活動が活発になってきて人員が足りないと」
「はい。ですので妾の相手をしてくれるのは友人であるレインだけなんです」
という建前だ。
クララは「お忙しいお兄様にお願いするわけにもいきませんから」と締め括ったが矛盾を孕んだ言い訳に過ぎない。
王宮が王族の護衛である宮廷魔法使と身の回りの世話役であるメイドしかは入れない厳重な場所ならば、なぜ自分は潜入できたのか。その説明がまるでつかない。
しかも手を繋ぎ腰に手を回せるほど至近距離だ。
「身分不詳で雇われている者の言葉ではありませんね」
「うぐっ」
氷柱のように冷たく鋭い正論がレインの背中に突き刺さる。
レインが唸るように声を上げ振り返ると、そこにはいつの間にか宮廷魔法使のセルティア・アンヴリューが控えていた。いつもは人形のように微動だにせず、部屋の調度品と化していた彼女。護衛役として親衛隊長の任を全うしていた彼女はクララとレインの練習風景を部屋の片隅で見守っているだけだった。
今日は何か思うところがあったのか、その感情を見せない瞳はレインを捉え離そうとしない。もしくはその逆でレインが目を離せなくなっただけなのかもしれない。
「今更正気に戻ってどうするのですか? 仮面舞踏会本番はもう明後日に控え、練習も明日で最後。ここまで来て仕事を投げ出すつもりですか」
「そういうわけじゃないけど……ララと踊ってみてわかったけど練習相手なんて必要ないほど上手じゃない。むしろ私が指導を受けて上達しただけ」
「当然です。クララ様は7年振りの仮面舞踏会のためにずっとお一人で研鑽を積んできたのです」
「くぅ!?」
急に褒められたからか、はたまた密かな努力をばらされたからか、クララは赤面しながら驚いたように鳴き声を上げた。
「踊る姿はまるで風に揺れる一輪の花。月光に照らされた花びらのように儚く哀愁のある笑みは、孤独でありながらも優美に咲き誇る」
「一輪……! こ、孤独……!?」
まるで舞台役者のように大仰で大袈裟な仕草と台詞を口にするセルティア。特定の単語は槍のようにクララを突き刺していたのだが、彼女は気づいていないのかそのまま言葉を続けた。
「本来であれば召喚の儀を終えて強力な精霊と契約を交わすことで生誕祭は幕を閉じるはずでした。ですが幻魔王の登場により召喚魔法は保留、姫様のぼっちは継続」
「ぼっ……!」
「仮面舞踏会はクララ様の精霊を改めて周知させ強さを誇示する御披露目の場。姫様一人でもそうやすやすと手出しできると思わないでください、と布告するつもりでした」
「……」
「当然、舞踏会という社交場である以上、踊れなければ格好はつきません。だから召喚の儀に合わせて魔法の練習と共にダンスの練習も怠ったことはないのです」
相も変わらず無表情で言い切るセルティア。
レインとしては言い分は理解できたし、納得もできた。だが……
「どうしました? 何か言いたいことでも――」
「とりあえず……そこでお姫様がいじけてるけど、放置していいの?」
レインの指摘に「え……?」とセルティアが振り返る。彼女の視線の先には蹲っている銀色の毛玉の姿があった。
「どうせ妾は孤独でぼっちなお姫様ですよー。引きこもりなので友達もできたことがありませんよー……ぐすっ」
「クララ様……どうされたのですか? いったい誰のせいで――」
「どう考えてもあなたでしょ」
「……」
無表情な侍女とレインの目が合った。
表情からは感情を読むことはできないが、心なしか驚いているようにも見えた。
「クララ様、確かに姫様にはご友人はおりませんが私たち宮廷魔法使とメイドたちがいるではないですか」
「セルティア……」
「私たちはずっと貴女の側におりますよ……それでも今ぼっちであることに変わりはありませんが」
「くぅー!?」
「まさかの追い討ち!?」
いい話かなー? とレインが吟味していたら唐突に従者が主人のことを裏切っていた。
しかし、これはセルティアの罠だったのだ。
矛先を自分から他者へと向けるために練られた緻密な罠だ。
「ええ、今まではぼっち姫でした。ですが……」
セルティアはクララの獣耳と長い銀髪を撫でながら視線を上げる。それに釣られてクララも顔を上げると――
「レイン?」
「……っ」
2人の視線を一身に浴びてたじろぐレインの姿がそこにあった。
思わずレインもそう来たかと舌を巻く。
「……レインは妾のお友達ですよね?」
期待に満ちた瞳を受け、いいえとは答えられなかった。
「そ、そうね。立場にだいぶ差があるけど友達だと言っても良いと思うわ」
「あ、あの、じゃあ今日か明日の夜、一緒に寝てもいいですか」
「はいぃ!?」
自然と声が裏返る。
「いや、さすがにそれはちょっと無防備すぎない? 一国の姫が親族以外のそれも部外者とだなんて」
「でもお友達ですよ?」
「限度ってもんがあるでしょ。それに親衛隊長だって黙って――」
「許可します」
「なんでよ! そこは護衛として主人を諌めなさいよ!」
主人に対し甘々な態度をとる護衛に抗議するが、当の本人は姫から「だからセルティアのこと大好きです!」と抱きつかれ受け止めていた。
「あ、でもそれならその前に湯浴み! 練習で汗をかいてしまったので今日こそ一緒に浴場へ行き――」
「それは無理」
もはや条件反射に近い拒絶だった。
「私は用意してもらった個室で済ますから、貴女ももう行ってくるといいわ。そろそろ時間も押しているでしょ?」
「えっと、でも友達なら――」
「友達でも無理」
「くぅ~」
「鳴いても駄目」
有無を言わせぬレインの態度に観念したのか、クララは項垂れるだけでそれ以上は何も言わなかった。隣ではセルティアが「空気読んでもらえますか?」と言いたげな視線をレインに向けていた。負けじと「あんたに言われたくないわ」と睨む。
「アリージェ」
「こちらに」
セルティアの呼びかけにどこからともなく副長が現れた。
「クララ様を浴場へお連れしてください」
「かしこまりました」
精霊産ドレスグローブでスカートの裾を掴み、うやうやしくお辞儀をするアリージェ。彼女はそのまま蹲っていた銀毛玉を「失礼しますわ」とむんずと掴み、脇に抱え稽古場を後にする。その際、連れ去られていくクララが「レイン~また明日の稽古よろしくお願いします~」と慣れたように手を振っていた。
「お姫様の扱い雑過ぎない?」
手を振り返していたレインが少しだけ非難するように指摘し隣を見ると、セルティアも同じように己の主に手を小さく振り返していた。
「宮廷魔法使としてクララ様のお近くにいると遠慮がなくなってしまうのです。彼女の悪戯好きに振り回された結果とも言えますが」
そんな返答を聞き、レインは面白くなさそうに「ふ~ん」と鼻を鳴らす。
「また何か言いたいことでも?」
「別に? 私は『もうすぐ生贄にされるお姫様だからぞんざいに扱っているだけなのかな?』なんて思ってないわよ」
「……」
レインの辛辣な言葉にセルティアは口を閉ざした。
「なによ、黙っちゃって。反論ぐらいしなさいよ」
レインとしては無礼だと糾弾し否定してほしかった内容だ。クララの護衛であれば聞き捨てならない暴言である。
だが、それにも関わらずこの親衛隊長は黙ることを選択したのだ。
無意識にレインは奥歯を噛みしめる。
「……クララ姫はダンスの練習を怠ったことはないってさっき言ってたわね」
「ええ、そのために今年はあなたを雇いました」
わかりやすい嘘だ。そのためだけにレインのような冒険者を雇うわけがない。
だが、今はそれでいい。
レインが知りたいのは最初から自分が雇われた理由などではなかった。
「じゃあ、あの子は仮面舞踏会本番でいったい誰と踊るつもりなのよ?」
「もちろん婚約者と」
「……バカにしてるの?」
セルティアの返答はあまりにも現状を顧みない逸脱した答えだった。
それで納得させることができると思われたことが癪に障り、レインは少しだけ顔を歪め感情を吐露する。
「そもそも、なんで私たちはダンスの練習なんかしてるのよ。明後日の夜には幻魔王が彼女を連れ去るっていうのに、それまで呑気に踊ってろっていうの? それとも何? 幻魔王が新しい婚約者とでもいうの?」
幻魔王の登場によりクララの婚約の話は白紙になった。
ブラドとかいう貴族の男が顔を真っ赤にしながら怒っていたのをレインも覚えている。あれは論外だとしてもいったい誰がクララの相手を務めるのか。レインにはわからなかった。
「驚きました。幻魔王に接触することしか考えていない野次馬冒険者かと思えば、一丁前に姫様の身を案じていたんですね」
全く表情を変えることなく、レインの葛藤をセルティアが一蹴する。
ここ数日でお姫様と親しくなり、段々と彼女の未来が気掛かりになっていったのは事実だ。それが同情によるものかもしくは友人としての不安かはわからないが、気持ちに嘘はなかった。
だが、セルティアはこう言い返したのだ。「それを利用するためにあなたはここにいるのでしょう?」と。
「……っ! 私は……!」
反論はできなかった。
初めてセルティアの涼しげで無表情な顔を忌々しいと感じてしまった。
「……シャワー浴びて来るわ」
何も言葉が浮かばず、レインは逃げるように稽古場の部屋を出て行った。
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「彼女をどう思いますか、ドロシー。貴女の最終的な見解を聞かせてください」
取り残されたセルティアが閉められたドアを眺めながらメイド長補佐であるドロシーに声をかける。
「セルティア様。やはりあのレインという娘はどこかの貴族の娘かもしくは家柄の良い商人の子供だったのかもしれません。品の良さが隠し切れていません。わざとらしい口調で礼儀知らずの平民を装ってはいますが、子供の頃から培った所作は抜けていないようです」
ドロシーは人間観察に長け、特に嘘をつく人間を見分けることができる。それは長年の経験と過去の教訓が影響しているため、セルティアはよく彼女から助言を受けていた。そんな彼女の判断は信憑性が高い。
「貴族の娘……ですか。それが冒険者となり幻魔王の足取りを追っている」
「今からでも姫様から引き離しますか? 彼女が不穏分子であることに変わりはなく、計画に支障があってはルダージュ様も――」
「いいえ、だからこそ私たちの近くに置く必要があります。彼女だけ――そう、レインだけが私たちの計画とは無関係の動きを見せています。妨害するのであれば対処するだけ、そうでなければ最後まで泳がせて――いえ、」
踊ってもらいましょう。私たちと。