第10話 噂の魔女
交渉相手であるセルティアの髪結いが終わるまで約1時間。
手持無沙汰となったレインは彼女の副官であるアリージェの厚意により城を案内されていた。無論、ただの一般人であるレインに紹介できる場所など限られているのだが、待ちぼうけになってしまうよりは幾分マシである。
なによりも暇をもっとも嫌う相方の妖精が騒がしくならないというだけで、レインにとってはありがたかった。
しかし、その心配は杞憂に終わっていた。
「どうしたのよ、カレア。今日はやけに静かじゃない」
「……」
いつもなら顔を覆いたくなるほどうるさい妖精が今日に限ってずっと服の中に隠れたまま出てこないのだ。しかも返事すらしない。
もぞもぞと身動ぎをする気配は感じるのでいるのでいないわけではないのだが、どこか様子がおかしい。
「……大人しくしてて、とは言ったけど別に隠れる必要はないのよ?」
「……」
やはり返事はなかった。
確かにレインは粗相があっては駄目だと入城する前にカレアに告げたが、まさかここまで殊勝な態度をとられるとは思っていなかった。ここまで聞き分けのいい相方を見るのは初めてだと言っても過言ではない。どこか調子が悪いのだろうかと不安にさえなる。
「お腹痛いの? 食べ過ぎた?」
ポコ。
胸を軽く殴られた。
どうやら違うようだ。
「? レインさん?」
不審に思ったのか前を歩いていたアリージェが怪訝そうな顔をして振り返る。
傍から見れば自分の胸元を話しかけているレインは不審者そのもの。アリージェが訝しむのも無理はない。
「違うのこれは……うちの相方が妙に大人しくて、ちょっと心配で」
レインは手袋をはめた手を振り弁解する。
「相方……――あぁ、妖精のあの子ですわね。姿が見えないと思ったらそんなところに隠れていましたの
」
合点がいったとアリージェが頷く。
「よう、せい? もしかしてあの妖精さんのことですか!?」
一緒にいたクララ姫ことララが食いつくように目を輝かせる。
「妾、妖精さんに会ってみたいです!」
「だってさ? いい加減出てきなさいよ」
お姫様からのお願いを無下にするわけにもいかず、レインは諭すような口調で再度問いかける。
だが、
「……」
答えは沈黙。
外に出るつもりはさらさらない様子だ。
レインはため息を吐き呆れたように肩を竦めると、改めてクララへと向き直った。
「ごめんなさいお姫様。どうやら虫の居所が悪いのか外に出たくないみたい」
「そう、ですか……それは残念ですね。城内は森と比べると緑が無いのでつまらないのかもしれませんね」
「もしくは食べ物で釣ってみましょうか? 匂いに釣られて出てくるかもしれないわ」
「虫みたいですね!」
クララが無邪気な笑顔で言い放つ。
いつものカレアであれば真っ向から否定する場面ではあるがやはり外には出てこない。悪気の無い相手には反抗しても無駄だと理解しているのか、それとも別の理由があるのか。誰にもわからなかった。
「なら、丁度いいですわ。もうすぐ隊長の髪結いも終わる時間。この先の食堂で一息入れましょう」
アリージェの提案に頷き、レインたちは城の兵士たちが利用する食堂へと足を運んだ。
大衆食堂のようなその場所は木製のテーブルと椅子がずらりと並んでおり、200人は軽く収容できそうな広々とした空間だ。時間帯はまだお昼時には程遠いが、休憩中であろう一般兵たちがちらほらと座っており談笑をしている。
その中の1人がレインたち――正確にはクララの存在に気が付き、軽い会釈をした。それに気づいた他の兵士たちも続いて軽く挨拶をする。中には「おはようございます! 姫様! 本日のランチは灰騎士様考案のレシピだそうですよ!」と大声で手を振りながら教えてくる者もいた。クララはそれに笑顔で手を振り応えていた。
一国の姫と一般の兵の会話とは思えないほどフランクだ。
「お城を案内してもらって感じたけど、クララは随分と兵や使用人たちと距離が近いのね」
食堂の兵士だけではない。
庭師やメイドに執事。レインが案内されたあらゆる場所にいる人間がクララを慕って声を掛けていた。国が違えば不敬だと罰せられてもおかしくはない光景だが、彼女の親衛隊であるアリージェはそれを咎めるようなことは一度もしなかった。
「わたくしが副隊長としてクララ様の親衛隊に所属する前からこのような感じでしたの」
その答えをアリージェが口にする。
「姫様は城外に出ることを禁じられていましたから、その間ずっと城内の施設に顔を出して交流していたそうですわ」
「暇だったのです!」
むふん、と鼻を鳴らし得意げにふんぞり返るクララ。
軟禁とほぼ変わらない待遇であるにもかかわらず屈託のない笑顔で見せる少女に、レインは人知れず感嘆の念を覚えた。
(強いな……)
自分であれば逃げ出してしまいたくなるような環境だ。
そのような場所に身を置いてなおクララ姫は一国の姫として責務を『加護持ち』という重い肩書とともに果たそうとしていた。
レインにはそれが眩しく見えた。どちらかといえば彼女は逃げた側の人間であり、己の欲求を最優先に考え行動する人種だったからだ。自分の想いを犠牲にしてまで誰かに決められた道を歩むことなど耐えられない。
「……ふふ」
そんな真逆の二人がこうして同じ場所に立っているのが可笑しかったのかレインは静かに口元を緩めた。それは自虐かそれとも運命のいたずらにくすぐられたためか本人でさえわからない。あるいはそのどちらでもなく尻尾を振るお姫様が愛らしかったからという単純な理由から込み上げてきたものかもしれない。
「初めて笑いましたねレイン」
「え、そうかしら?」
レインは自分の頬に触れる。
王城という正念場。気負っていた自分がクララによって毒気を抜かれているのだとレインは自己分析する。
「こちらにいらっしゃったのですね。クララ王女」
和やかになりかけていた空気。
それに水を差し一変させたのは、軽薄でありながらも通りのいい男の声だった。まるで食堂の活気を押し退けるようなそんな図々しさを感じさせる一声。
「探しましたよ、本日は私たちの将来について話し合いましょうと先触れしていたはずですが……」
「バルド卿……いらしていたのですね」
クララが振り返りこの日一番の低い声を発する。
目の前で聞いていたレインは驚いたようにバルド卿と呼ばれた男を盗み見、すぐにクララへと視線を移した。天真爛漫が服を着た少女がここまで不快感を示す相手がいるとは思わなかったのだ。
「いた、とはこれは手厳しい。仮にも婚約者である私に――」
「口にはお気を付けを、貴方は婚約者ではなく元許嫁にすぎません。それもたった数日の肩書でしかない」
取り付く島もないクララにやれやれと首を竦めるような態度をとるバルド卿と呼ばれた貴族。
ブラド・ローゼル・バルド。
彼は最近まで確かにクララの許嫁という立場にいた。しかしそれは――
「本気であの『幻魔王』の生贄になられると? そのためにこの私との婚約を破棄されると?」
幻魔王の登場により天災の如く白紙へと流されたのだ。
その事実に苛立ちを隠せないのか、バルド卿は己の長い髪を指先で弄びクララを睨みつける。
「当然です。彼――あの黒き騎士は妾の命一つに、この国の存亡を天秤に掛けました。であれば王族としての責務を果たさなければなりません」
強い意志を感じる言葉だった
民の前で演説をしていた時と同じ口調。レインにとっては初めて見るクララの王女としての姿。クララ・ラスティム・クランベル・リ・アリアの覚悟の現れだ。
『……』
いつのまにか食堂には沈黙が下りていた。
自国の姫と貴族のやり取り。それを遠巻きに見つめていた兵士たちが談笑をやめて立ち上がり、アリアストラ式敬礼をクララに向け押し黙っていたからだ。その表情は一様に影が差しており受け入れがたい事実として彼らの胸中に重くのしかかっている。
「……っく、この腰抜けどもが」
バルド卿は周囲のその姿を煙たがるように吐き捨てた。
はたから見れば元婚約者であるクララを心配するあまり暴走気味になっている貴族の青年――のように見えなくもない。だが、実際は政略結婚を破棄されなりふり構わず文句を言いに来た男にすぎない。油断をすればすぐにボロが出る。
周囲の人間も彼の思惑を理解はしている。王位継承権が無いとはいえクララ姫との婚姻は王族との関係を強固にするもの。それがわけのわからない横槍で無に帰したのであれば慌てない貴族などいないだろう。
それが同情を集めるかはまた別問題だが。
「これは何の騒ぎですか?」
木枯らしのような冷たい声。
髪結を終えたセルティアが食堂の入り口で静かに佇んでいた。その背後には彼女の専属理容師であるグレイの姿もあった。
「……『呪い人形』が」
忌々しそうに悪態をつくバルド卿。
彼が発した呼称は間近で聞いていたレインには馴染みのないものだったが、それは紛れもなくセルティアに対して蔑称なのだと理解できた。何故なら彼女の直属の部下であるアリージェが眉間に皺を寄せて不快感を露わにしていたからだ。その鋭い視線はバルド卿を射抜き、敵意を超え殺意すら感じさせる。
「王女の懐刀がまた場所をわきまえず男と逢引ですか。いやはやいいご身分ですなぁ」
非難の視線など跳ね除けるようにバルド卿は言葉を続け、クララの狐耳がぴくりと動く。
「親衛隊長には妾の指示で少しの暇を与えました。それに不服があると?」
「滅相もない。ただ、彼女は色々と噂の絶えない女性です。国の最高位召喚士としての自覚を持っていただけなければ示しがつかないでしょう。ましてや男遊びに耽っているなど他国にでも知られたらアリアデュラン王国の恥になりましょう」
「貴方――っ!」
隊長への侮辱に耐えられなくなったアリージェが身を乗り出すが、それと同時に牽制するような一声が場を制した。
「そうですね。これではクララ様の親衛隊長として失格でしょう」
それは意外にも当の本人であるセルティアからの肯定の言葉だった。
カツカツと食堂の床を踏み鳴らしクララたちの元へと歩むその姿。レインにはそれはまるで結氷した水面を歩く氷の妖精のように見えた。彼女が登場するたびに気温が下がったと錯覚し、雪の化身のような風貌にまた目を奪われる。だが1つ、初めて出会った時とは異なる部分があった。
「……かわいい」
それは髪だ。
地面スレスレまで伸びていた長すぎる髪は柔らかく編み込まれ、黒色のリボンで結ばれている。元々綺麗な水色の髪はさらに透明感を増し、窓から差す陽の光を反射しているようだった。そのせいだろうか。レインはセルティアに最初に会った時よりも温かな印象を受け、つい口走ってしまった。
「……」
レインの声と視線に気付いたのか無言で彼女を見つめるセルティア。
ふと、
(あれ?)
笑って、る……?
レインを見つめるセルティアの表情が一瞬だけ笑っているように見えた。静かに微笑むような、それでいてどこか無邪気さを感じさせる少女の笑顔。
(いや……ただの見間違いよ)
だがそれは瞬きした瞬間に勘違いであったと現実が教えてくれた。レインの目の前には仮面ように
無表情な女しかいない。
「クララ様、ただいま戻りました」
他のものには目もくれず主人であるクララに優雅な一礼をする親衛隊長セルティア。
「おかえりなさいセルティア。今日も一段と素敵になりましたね」
「ありがとうございます」
セルティアは再び一礼しクララの笑顔に応える。
彼女たちがいつものやりとりを行なっている間に、遅れてやってきたグレイが『おまたせ』とアリージェの隣に陣取った。
「――で? 先ほどの親衛隊長失格というのはどういう意味でしょう。貴女自身の言葉でも聞き捨てなりませんよ」
妾は怒ってます、と言いたげなあどけない笑顔を器用に見せる。
そんなクララに対しセルティアはバルド卿を一瞥した後、
「悪い虫が1匹迷い込んでしまったようです」
と言い切った。
「……なっ!?」
ワンテンポ遅れてその意味に気がついたのか、バルド卿は顔を真っ赤にしてセルティアを睨みつけるが彼女は止まらない。
「甘い蜜に誘われたのか食堂に徘徊しているらしいと情報がありました。そんな危険な場所にクララ様をお連れしたままとあっては親衛隊長の名折れ。一刻も早く私室へと戻りましょう」
淡々と冷静に有無を言わせないセルティアの態度にレインはポカーンと惚けることしかできなかった。そしてそんなレインの様子でも窺うかのようにセルティアの視線が流れ、
「……っ!」
目と目が合った。
(え、嘘。もしかして悪い虫って私のこと!? 確かにお姫様に近づく理由は不純だし不審者そのものだけど……それともうちの妖精のことを言ってるんじゃ……いや、でもカレアのことは事前に知らせているから大丈夫なはず)
自分の胸元とセルティアを交互に見つめ挙動不審になるレイン。そんな彼女を無表情で見つめるセルティアは不思議そうに小首を傾げる。
「レイン、あなたにも話があります。ついてきてください」
「え、あ、うん。わかったわ」
当然、悪い虫とはレインのことではなかったようだ。むしろグレイが話を通していたのかお姫様の部屋にまでお邪魔できるようになっていた。
人知れずほっと胸を撫で下ろすレインの様子に、目ざとく気がついたのはアリージェとクララの2人。そしてレインにとっての功労者であるグレイはというと、
『……』
身じろぎもせずずっと仮面の奥からバルド卿を見下ろしていた。
その姿は姫を護る騎士のように微動だにしていない。
「平民風情が……今、この私がクララ王女と談笑中だとわからないのか?」
我慢の限界だったのだろう。
怒気を孕んだ声を隠そうともせずバルド卿がセルティアを睨みつける。
「……談笑? クララ様はあなたに笑顔を向けたことなど1度もないですよ?」
「んなっ!?」
あまりに辛辣な一言にバルド卿は言葉を失った。周囲にいた兵士たちがセルティアに同調するように噴き出すように笑う。
貴族として生まれここまでコケにされたのはバルド卿にとって初めての経験だった。
だから、止まらない。
「黙れ! 『呪い人形』! 禁呪に手を染め、呪われの身となったその姿でよくも姫の御前に立てるものだ! 元加護持ちでなければお前のような魔女など――」
「ブラド・ローゼル・バルド卿」
「――っ!?」
バルド卿を止めたのは銀色に輝く妖狐だった。
狐の獣人のなかでも妖狐と呼ばれる希少種族の末裔。成長すると最終的に九尾にまで増える尻尾を三尾まで顕現させ、鮮血のような赤い瞳で狼藉者を見上げる。
「その話はただの噂に過ぎません。これ以上妾の魔法使を侮辱するのであればそれ相応の覚悟があると解釈します」
「し、しかし、その女は昔は金髪で、数年前に突然姿が変わったと報告が」
「二度は言いません」
「くっ」
膨大な魔力を隠そうともしないクララに気圧されるバルド卿。
レインはそんなやり取りを邪魔にならないように静かに見つめ、周囲の顔色を窺いながら思案する。当の本人であるセルティアは眉一つ動かない無表情で何を考えているのかわからない。仮面を被って顔すら隠しているグレイも同じ。その隣にいるアリージェは怒った顔をしているのだろう――かと思えばそういうわけではなかった。隊の長であるセルティアが侮辱されているにも関わらず、不安げな表情でグレイを見つめていた。
(噂、ね……)
レインも耳にしたことがある宮廷魔法使セルティア・アンヴリューの黒い噂。
それはバルド卿が口にした内容と同じ、『膨大な魔力を得るために禁呪を使用して人間ではなくなった』というものだ。
魔法とは大気中のマナを魔力で扱い発動させる技。そして禁呪とはそこに代償が必要になる禁忌の魔法。代償は千差万別であり、体の一部や記憶、寿命だといわれている。アリアデュラン王国では研究すら禁止されているため真偽は定かではない。
セルティア・アンヴリューはそんな呪われた魔法を秘密裏に研究し、宮廷魔法使に選ばれるために自身に使用した。そんな噂が流れたのだ。
実際、彼女が魔導都市学園に在籍していたときは金髪で性格の明るい少女だったが、ある日を境に氷のように冷たく硬い――仮面のような表情をする雪のように白い女に変容してしまった。
表向きは「魔法の実験に失敗して髪の色が変質した」らしいが、あまりの様変わりに禁呪に手を染めたのではないかと当時から噂する声が後を絶たなかったそうだ。
その黒い噂を物ともせず彼女が今の地位に就いたのは、人型精霊を召喚した実績と在学中の数々の活躍。大召喚士ノイシスに加護を受けた選ばれし人間という肩書。その余りある功績によるものだ。
(正直、私には関係ない話ね)
レインにとって噂が本当かどうかなど、どうでもいい些末な問題だった。ただ不興を買うわけにもいかなかったので初めて出会ったときは噂のことなど考えないようにしたし顔に出さないように努めた。今のクララたちの様子を見るにその判断は間違いではなかったと確信する。
「ほ、本日はこの辺りで失礼させていただきます」
と、去っていくバルド卿の背中を見送りながらレインは改めて身を引き締める。
自分はあんな風に逃げ帰るようなことはできない。媚びを売ってでもセルティアたちに気に入られ王城に滞在し、最終的に黒騎士と邂逅しなければならないのだ。
本番はこれからだと独り決意を新たにするレインを横に、セルティアは先ほどまでのいざこざなどまるでなかったかのように振る舞い「さて」と呟く。
「レインにはクララ様のダンス練習相手になってもらいます。それができればあなたを雇います」
「……………え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが……さらに思考を巡らせても意味がわからなかった。
「なにを惚けているのですか。これから適性を確認するので部屋に行きますよ」
説明は済んだとばかりにセルティアはクララを連れて足早に食堂を去ってしまう。
「え、ちょっ」
戸惑いながらも彼女たちに付いていこうとするレイン。このまま追っていいのだろうかと不安になり振り返ると、グレイが親指を立てて見送っている姿が目に映った。
ポーズの意味はわからなかったがグレイの差し金――お膳立てであることは理解できた。彼のおかげでここまでは順調に事を運ぶことができているのは確かだ。ただ、
「私、ダンスなんてもう何年もやってないんだけど……」
もう少し冒険者らしい依頼が欲しかったと嘆くレインだった。
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不定期更新に戻ります! 白黒騎士物語の区切りのいいところまで書いた後は、また灰騎士の追の章の続きを書いていきます。