幕間 万屋とメイド
小気味好いスキばさみの音だけが響いていた。
宮廷魔法使セルティア・アンヴリューに与えられた私室には部屋主であるセルティアと彼女の専属美容師であるグレイの姿があった。
グレイが灰色のスキばさみを操る度にセルティアの透き通るような長い髪が深々と降る雪のように床へと舞い落ちる。2人の間に言葉は無く、この場に第三者がいればその者はグレイのことを美容師ではなく人形作家と見紛うだろう。なぜなら、『氷の仮面』改め、宮廷魔法使第三騎・王女親衛隊長セルティア・アンヴリューは感情の無い人形のように表情を動かさないからだ。
「――」
姿見に映るセルティアは美しく、そして物静かな女性だった。口は一文字に結ばれ、呼吸をしているのかすら疑わしい。思い出したかのように瞬きをする瞬間のみ、彼女の“生”を感じることができる。
そんなセルティアの性格を表しているのか、彼女の部屋はとても簡素だった。
業務用の机にベッド、メイド服をしまうためのクローゼットと必要最低限の家具しか置いておらず、他には魔法関連の書物が本棚に敷き詰められているのみ。ただ一つ特別なものといえばベッドの上に置いてあるぬいぐるみのような置物だろうか。それは騎士の姿を模しており、灰色という地味な色合いをしていた。丁度、グレイが扱うスキばさみやセルティアが纏ったケープと同じ色をしていた。もしかしたらまったく同じ材料で作られているのかもしれない。
『……』
グレイが手慣れた手つきでセルティアの長い髪を切り揃えていく。量を調節し、切り過ぎないように細心の注意を払うその姿は、まさに職人の1人だ。その腕前は美容師一筋で生活ができるほどなのだが、彼の場合、自分に近しい人間にしか披露しないため万屋としてのサービスには含めておらず、一見さんお断り状態となっている。
つまり、美容師としての彼を見ることができるのはセルティア・アンヴリューぐらいしかいないのだ。
『……? どうした、そんなに見つめて』
蒼の瞳が小さく揺れていることにグレイは気が付いた。
どうやらセルティアが鏡越しにグレイのことを視線で追っていたようだ。第三者では気付くことすらできない感情の機微。2人の関係の深さを物語っている。
「彼女をどうするつもりですか」
『彼女……? あぁ……レインのことか。とりあえず今は現状維持だな。見守るだけで特に何も考えてない』
「報告書に目を通しました。黒騎士を追っている危険因子だと。そのような女性が貴方の側にいることが、私は不安でなりません」
グレイを気遣う発言をしながらもセルティアの表情は変わらない。
親衛隊長としての行儀なのか、それとも彼女の性格に由来したものなのか。傍からは理解できないがグレイは気にした様子もなく仮面の下でセルティアに笑いかける。
『心配性だな。俺の正体はばれないように注意する。みんなに迷惑をかけることはしないさ――』
だから安心してくれ。と続けるつもりだったのだが、セルティアの「違います」という一言で遮られてしまった。
そして首を傾げるグレイに彼女は言葉を続ける。
「きっと貴方はまた無茶をする。誰かのために自分が傷つくことを選ぶ。そんな嫌な予感がするのです」
『……やっぱり、心配性だな。俺の召喚士様は』
「当たり前です。貴方は私の召喚獣なのですから」
グレイがフードを脱ぐとそこにはアリアストラでは見掛けることのない黒髪が晒された。人族、獣人、エルフ、竜人などあらゆる人種が存在するこの世界でも、黒い髪を持つ人種は存在しない。そして灰色の仮面が突然塵となり空気に溶け込み、グレイの素顔があらわになる。
十代後半の好青年。
彼もまた時が止まってしまったかのように若々しく、左頬にはセルティアの右手甲と同じ紋様が描かれていた。
紋様の意味は契約。
召喚士と精霊が交わす絆の証である。