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第9話 愛嬌と無愛嬌

 奇襲は空からだった。


「グレイ――ッ!!」


 王城に到着したレインたちは案内役の兵士を追って庭園を歩いていた。そして、いよいよ城の内部へと足を踏み入れようとした矢先、仮面男の名を愛らしく叫ぶ可憐な声が天気雨のように降ってきたのだ。


「な、何事――!?」


 レインは声を頼りに空を見上げる。

 するとそこには白銀の毛玉がこちらに向かって落下してきていた。

 一瞬だけレインは昨日出会った銀狐のクゥが落ちているのかと錯覚した。しかし、それは空目に過ぎない。なぜならば彼女がどう目を凝らしてみても、クゥにしては毛玉が大きすぎたのだ。


『……』


 呼ばれた当の本人はというと、慣れたように毛玉の落下地点へと先回りし、両手を広げていた。

 その手袋の指先からは糸が飛び出ており、グレイが手首を振るうと蜘蛛の巣のようなハンモックが一瞬にして頭上に出来上がる。

 受け止めるつもりなのだろう。

 ぽすん、という柔らかい音が鳴り、毛玉を優しく包み込む。

 そしてハンモックに沈み込んだ毛玉と待ち構えているグレイの距離が間近に迫ると、


「きゃ~!」


 嬉しそうな悲鳴と共にクッションの役割を果たしていた糸の束が途切れた。


『また無茶をして……』


 まるで葉から零れ落ちた朝露をすくうように、銀色の雫をグレイが受け止める。

 その声色は呆れながらもどこか優しく、仮面男の新たな一面を覗かせた。


「もう、もう! 遅いです! 遅いですグレイ! 今日は大事なあの日だというのに(わらわ)とセルティアをいったいいつまで待たせるつもりですか!?」


 銀色の毛玉がグレイの首の後ろに腕を回し、人目もはばからず抱き着いている。ばたついた足は不満げな子どものようでありながら、大きく揺れ動く尻尾が喜びを隠しきれていない。

 レインが「大事なあの日って何のことだろう?」と疑問を抱くも、答えが返ってくるような空気にはなりそうになかった。


『少し仕事が立て込んでいたんだ』

「くぅー!?」


 グレイが言い訳のような言葉を口にすると毛玉が驚いたように獣耳を逆立て可愛らしく鳴く。


「仕事と妾たちのどっちが大事なのですか!?」

『それはもちろん2人のことを一番――って、この寸劇はいつまで続ければいいんだ?』

「……えっと、仕事に(かま)けて妻をおろそかにする夫に我が儘を言って気を引く――という設定のまだ導入なので、お母様がおっしゃるには本番はまだまだ先だそうです」

『妙にリアルな設定を持ち出してくるな……あの人も』


 賑やかな登場から一転して殊勝な態度に早変わりする毛玉――もとい獣人の少女。そっちが素の彼女なのだろう。


『だからと言って飛び降りるのは感心しないな。怪我でもしたらどうする』

「グレイなら受け止めてくれると信じていますから。それに……こうして普通に(・・・)甘えられる時間も残りあとわずかなので、一刻も早く貴方に会いたかったのです」

『……ララ』

「グレイ――」

「ちょっ、ちょっ! ちょっと待って、置いてかないで……! 勝手に2人の世界に行かないで!!」


 レインが思わず割って入ってしまう。

 しかし、それも仕方のないことだ。唐突に始まったグレイと獣人少女の夫婦漫才とも呼べぬ何かを間近で見せつけられていたのだから。しかも、そのグレイの相手というのが――


「その左手の紋章……『ノイシスの加護』ですよね?」


 グレイの首にしな垂れかかる獣人少女。彼女の左手甲には漆黒の紋章が描かれていた。それは大召喚士ノイシスから加護を受けた証であり、レインが知る限り世界で周知されている加護持ちは現状1人しかいない。


「ふふ、気づかれてしまいましたか。そうです、妾こそ――」


 妖狐の獣人は目を細め名乗り上げようとその場で身動ぎをするが、


「……あ、あの、ル――グレイ? お、降ろして、もらっても、いいですか? この格好では御礼もままなりません」


 自分が抱き上げられている事を思い出し恥じているのか、今更ながら赤面している。

 

『……』


 グレイが頷き、ゆっくりと少女を地面へと降ろす。


(身長は私より小さいのね)


 レインは改めてその少女と向き合う。

 彼女はレインより1つほど年上のはずなのだが、人族の者からしてみればどう見てもレインの方が年上に見えた。ティーユしかり、獣人は見た目では年齢が判断できない種族なのだと再確認させられる。


「――ふぅ」


 柄にもなく、レインは緊張していた。

 普段なら冒険者として不遜な態度をとるべきところだが、今回は相手が悪い。

 さすがのレインも自国の王族に対し、わざと礼儀を欠くことなどできない。


「お初にお目に掛かります。私は――」

「クゥを救ってくれた冒険者の方ですね! ありがとうございます!」

「――え? あ、はい」

「妾のことはララとお呼びください」

「へ? いや、あの……第一王女のクララ様ですよ――」


 ね? という問いは最後まで口にできなかった。

 なぜならララと名乗った銀色の姫君に抱き着かれ、そのまま両手を握られてしまったからだ。レインにとってこの場で手袋が脱げてしまうような不慮の事態は絶対にあってはならない。

 その思いがララの手を自然と握り返していた。


「冒険者さんのことはなんとお呼びすればいいですか?」

「……レイン」

「レイン! 素敵なお名前です!」


 ぶんぶん、とララが腕を振るうせいでレインの腕も振り子のように揺れる。

 何がそんなに嬉しいのだろうか。

 レインの疑問は次のララの一言で氷解する。


「……あ、すみません。年の近いお友達は初めてなので舞い上がってしまいました。痛く、ありませんでしたか?」

「と、とも……だち……?」


 目が点になってしまう。

 レインはただ『黒騎士』を追うために交渉に来たのだ。断じてお姫様の友人になるために城に出向いたわけではない。それがなぜ友達であることが前提で話が進んでいるのか。彼女にはまったく見当もつかなかった。


「――妾とは、お友達になりたくありませんか」

「!? そんなことは――!?」


 しゅん、と肩を落とし、それどころか獣耳や尻尾を垂れさせ落ち込んでしまうララを前に、レインはたじたじだ。

 一国の姫君が騙すつもりの欠片もない偽名を使って、自分と友達になろうとするこの状況。

 誰か説明して! とばかりにレインは周囲に視線を彷徨わせる。

 最初に目に映ったのは案内役の兵士だ。彼は目に涙を浮かべ「姫様にもご友人が……」と静かな歓喜の声を上げていた。


(使えない……! しかも姫様って言った! 隠す気ゼロじゃない……!!)


 次に視界に入ったのは仮面男だ。

 相変わらず視線がどこを向いているのかまったくわからないが、彼自身はレインに見つめられたことに気付いたのか、ゆっくりと頷き、


『そういうことだ』


 と一言だけ呟いた。


(どういうこと!? このままお姫様の戯れに付き合ってあげればいいってこと?)


 謎は深まるばかりだ。


(あの頃なら……)


 昔ならいざ知らず、身分や立場を捨て冒険者に身を置いた自分には分不相応だ。一介の冒険者には身に余る光栄であり、恐れ多くて受け入れることなどできないだろう。

 しかし、レインはそんな常識的な感情とは別に相反する感情をクララに抱いていた。


「……ノイシス」


 それは親近感だ。

 クララ姫が城に軟禁される契機となった賊の襲撃。

 国からの正式な発表はなかったが、巷ではクララ姫が狙われたのではなく『加護持ち』が狙われたのではないかという噂が当時から広まっていた。その年は丁度、『加護持ち』である召喚士セルティア・アンヴリューが伝説と名高い人型精霊を召喚――しかも二柱の召喚に成功した年だったからだ。


 強大な力を有する人型精霊を『加護持ち』が召喚できるようになったのではないか。そんな憶測が世に流れたのは必然であり、力を欲した他国が姫君を狙ったのだと取沙汰す者も後を絶たなかった。

 なによりも国が『加護持ち』の管理を強化したことが噂に拍車を掛けさせた。もし、クララ姫以外の『加護持ち』がアリアデュラン王国で現れたとしたら、召喚士となるべく半ば強制的に魔導都市にある学園へと送り込まれることが決定している。

 

 その人間がもしレインのように譲れない目的がある者ならば、『加護持ち』であることをひた隠し、家や立場を捨て、訳ありの冒険者として日銭を稼ぐしかなかっただろう。

 それこそ友達など作る暇もないほどに必死に生きていくしかない。

 

「――呪い」

「?」


 レインの小さな独り言は目の前にいるお姫様には届かない。だが、胸の間で休んでいる相方には届いたのかぴくりと揺れる。妖精には話したことがあるのだ。『ノイシスの加護』の所為で安住の地位を得られても自由を奪われてしまうのなら、それは呪いだと。


「……私でよければ」


 いつの間にかそんな言葉をレインは口走っていた。

 気付かないうちにレインも冒険者という孤独な生活に疲れていたのかもしれない。


「……!! ありがとうございます! レイン!」

「お礼を言われるようなことじゃ――っと」


 胸へダイブしてきたララを抱き留める。その瞬間、またも胸の間から「ぐぺぇ」というデジャビュを感じるような汚い鳴き声が聞こえてきたが、やはり問題はない。

 そうして、レインが久方振りの友人の誕生にどう向き合えばいいのか頭を悩ませていたとき、“彼女”は現れた。


「話はまとまったようですね、クララ様」

「――!?」


 レインは思わず身を震わせた。

 突然、知らない女性の声が何の気配もなしに隣から響いて来たのだ。あまりの驚きに腕が強張り、さらに強くララに抱き着いてしまう。


「わぷっ」

「ぎぇぇ」


 可愛らしい悲鳴と濁った悲鳴の二重奏が流れるが、気にしている場合ではない。ギギギ、と壊れた歯車のように恐る恐る首を回すと、そこにはこの世の者とは思えないほど神秘的な女性が立っていた。


「……氷像?」


 レインは最初、その女性を氷でできた彫刻のようだと思った。

 氷柱のような透明感のある水色の髪。雪のように白い肌。深い蒼の瞳。

 水色の少女。

 メイド服を身に纏うその姿はまるで人形だ。感情が氷結しているのか表情は硬く、()てつくような鋭い視線は誰を見据えているのかすら定かではない。

 彼女からは冷たい印象しか抱けない。彼女が醸し出す冷気に当てられた者は例外なく動けなくなってしまうだろう。それは絶対的強者を前にした恐怖か、もしくは――ただ単純にレインのように見惚れてしまったかのどちらかだ。


「宮廷魔法使……セルティア・アンヴリュー」


 その召喚士は、時が凍り(・・・・)付いてしまった(・・・・・・・)かのように美しかった。

 確認するまでもないとレインはそう思った。

 目の前にいる彼女以外に『氷の仮面』などといった人間味を感じない二つ名が似合う存在がいるわけがない。


「あなたが、レインですね」

「――!?」


 セルティアの指がレインの頬を撫でた。

 寒気を感じたのはほんの一瞬で、彼女の指からは当然のように人の体温が伝わってくる。


(人間……なのね)


 失礼なことばかり考えてしまう。

 だが、レインからしてみれば無遠慮に肌に触れられているのだ。不快感は無いとはいえ、無礼はお互いさまとも言えた。


「……え、ええ。冒険者ギルドのレインよ」


 おずおずと頷き、レインはセルティアの次の言葉を待った。

 いったいこの宮廷魔法使は何をするつもりなのか。一挙手一投足に気を配らなければ自分の心が落ち着かない。カレアとララには動悸が激しくなっていることがバレてしまっているだろうが、言い繕う余裕もない。

 そしてセルティアが口を開く。


「そうですか。わかりました。では――」 


 レインの頬をぷにぷにと摘まみ始めたセルティアは、彼女の耳元に唇を寄せると小さな声で囁くように、しかし、はっきりとした口調で宣言した。


「グレイは私の、ですよ」

「……………………………………………………は?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 理解できた後も、今度は意味がわからず思わず聞き返していた。


「クララ様、いつもの(・・・・)(いとま)を賜りたく存じます」


 だが、セルティア・アンヴリューは言いたいことは言ったとばかりにレインの頬を解放し、己の主に頭を下げていた。


「もちろんです! お2人でゆっくりしてきてくださいね」


 もはや姫だということを隠す気もないララが快く承諾すると、セルティアはさらに深くお辞儀をし「失礼します」と一言だけ告げて足早に踵を返していった。途中、グレイを回収することも忘れない。


『どうしたセルティア、今日はいつもより強引――』


 腕の裾を引っ張られながら、グレイはそんな捨て台詞を残して最強の宮廷魔法使と共に消えていった。


「……え?」


 残されたレインはまたも困惑する。

 引っ張られた頬に痛みはないが、熱だけは残っているような気がした。

 それはもしかしたらセルティア・アンヴリューの嫉妬の熱が伝播したのかもしれない。そう考えなければあの反応の辻褄が合わなかった。


「え!? でも、あの人は既婚者……」

「さて、お2人とも1時間は帰ってこないので、その間にレインにはお城を案内してあげますね!」

「い、1時間!?」


 ララの言葉に驚いたようにレインは口元を戦慄(わなな)かせる。男女が1時間も一緒にいればいったいなにができようかと頭の中がぐるぐると回りだす。

 そんなレインの妄想に終止符を打ったのは昨日出会った宮廷魔法使の黒メイドだった。


「何か、誤解されてますわ。レインさん」

「!? アリージェさん……いたのね」

「これでも第三騎士団の副長ですので……残念ながら隊長には置き去りにされてしまいましたが、ここからはわたくしが護衛兼案内役を務めさせていただきますわ」


 宮廷魔法使は気配を殺す訓練でも受けているのか、アリージェに声を掛けられるまでレインは気づくことができなかった。隣にいたララは慣れているのか驚くようなことはなく、終始笑顔だ。


「それで誤解ってどういう意味? 私にはあれが逢引にしか見えないんだけど……」

「……本当に何も聞いてませんのね」


 呆れるような物言い。

 それはどちらかと言えばレインに対してでは無く、グレイに向けられたものだった。だが、すぐに合点がいったのか「聞いたとしても耳を疑ってしまいますわ」と1人納得していた。

 そして、


「貴女は一応、グレイの仕事の助手として入城を許可されていますの」


 アリージェがまるで物わかりの悪い子どもを諭すような優しい声色でレインに向き直る。

 普段のレインなら「子ども扱いしないで」と食って掛かるところだが、今は好奇心が勝っているので話を遮ることはない。それどころか「仕事の助手って?」と自ら続きを促す。


「ずばり、これ(・・)ですわ」


 アリージェが黒いスライム精霊(ドレスグローブ)を纏った手――その人差し指と中指を立てて、くっ付けたり離したりを繰り返した。


「……ハサミ?」


 チョキチョキと指を動かすその姿は鋏そのもの。それどころかスライム精霊(ツィーペルター)の悪乗りか親切心か、手袋の形を変化させ指を刃物のように見せかける。


「カットですわ」

「……カット?」


 思わずレインは聞き返す。

 あまりに予想外の言葉を受け、脳が付いてこないのだ。アリージェもレインの反応が想定の範囲内だったのか賛同するように深く頷き、言葉を続けた。


「彼はセルティア専属の美容師ですの。今日は月に一度の髪結いの日ですわ」


 どうやら冗談ではないらしい。

 確かにレインが見たセルティア・アンヴリューの髪は地面に毛先が擦れてしまいそうなほどの長髪だった。月に一回整髪しなければ維持することは困難であろう。専属の美容師がいるというのも頷ける。

 だが、それでもあの見た目不審者で美容から最もかけ離れた黒尽くめの男が美容師と言うのが納得できない。まだ鋏を武器に魔物と戦う姿の方が想像に容易かった。


「お気持ちはわかりますが、あれでも腕はプロ並みですのよ? あと、彼が万屋であることを忘れてはいけませんわ」

「いやいや……万屋でも限度ってもんがあるでしょ」 


 レインの突っ込みにアリージェは苦笑いを返すだけだった。

 そして彼女もまた隣にいるララから「素敵ですよね」と同意を求められ、返答に窮するのだった。グレイとセルティアのことを知れば、自分も同じような感想を抱くのだろうか。レインにはまだわからない。


「本当に何者なのよ、あなた……」

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