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プロローグ 黒騎士

 晴天の空に割れんばかりの歓声が上がる。

 それは城塞都市と謳われる王都アリアデュランの国壁を振動させ、国全体が歓喜に喉を震わせているようだった。


「姫様さまー! クララ姫さま~!!」

「お誕生日、おめでとうございまーす!」


 市民の沸き立つ声と生誕を祝う言葉がアーチのように飛び交う大通り。

 宮殿へと続くその道を通り抜けるのは式典の主役である王女――クララ・ラスティム・クランベル・リ・アリア。彼女は現在、今回の式典のために用意された絢爛豪華な儀装馬車から身を乗り出し、あどけない笑顔を向けながら自国の民たちに手を振り応えていた。


 クララ姫は美しい姫である。

 現国王であるマクゼクト王と第二王妃ローゼ女王の娘として生まれたクララ姫は人族と獣人の混血だった。

 マクゼクト王が妖狐の獣人の長を務めていたローゼを見初め、第二夫人として求婚を迫ったのが今から十六年ほど前のこと。

 そして今日。

 十五歳の誕生日を迎えたクララ姫を祝福するための生誕祭が王都で行われていた。

 

「姫様の御姿……何年ぶりでしょうね、こうやって見ることができるのは」

「あの襲撃事件から七年は経っているからな。それ以来ずっとお城に軟禁――っと、籠もりっぱなしだったが……まぁ、お元気そうで俺ぁ安心したよ」

「まったくですね」


 客の青年と出店を構えていた肉屋の店主が感慨深そうに行列を見送る。

 彼らの言葉通り、クララ姫は城に軟禁されていた。それは今からちょうど七年前、城と国内に賊が侵入し、クララ姫を誘拐しようと企てた不届き者がいたのだ。当時のマクゼクト王はその事実を重く捉え、警護の強化に加え、国民への被害の拡大化を防ぐためにクララ姫が成人するまで外部との接触を断った。

 宮廷魔法使と呼ばれる王都お抱えの精鋭召喚士を先頭にした物々しい警護部隊。彼らが王女の馬車を取り囲むように移動し、厳重な警戒態勢を敷いているのは先の事件が起因している。


 しかしクララ姫が成人を迎えた今。長い監禁生活も終わりを迎えようとしていた。

 そもそも、アリアデュラン王国における生誕祭とは現国王であるマクゼクト王の誕生日を祝日としたものであり、クララ姫を含めた三人の王子と二人の姫の生誕祭は生後一年目の誕生日にのみ行われた。つまり、本来は成人を迎えた時に行う通例などないのである。

 ではなぜ、クララ姫だけが今一度、生誕を祝福されるのか。

 それは彼女が少しだけ、この国にとって……いや、この世界(アリアストラ)にとって特別な存在だからだ。


「また何か起こらないといいんだがなぁ……」


 城を抜け出して買い食いをしていたやんちゃだった頃の姫と王子のことを思い出す。

 店主は丁度七年前にクララ姫を間近で接待する機会があった。あの頃と比べてもクララ姫の姿はあまり変わってはいなかった。妖狐という獣人は体の成長が著しく遅いため人族と比べると年齢の割に見た目が幼いままなのだ。

 不敬だと思いながらも、成人だからといって安心できるような心強さは感じられない。むしろまだまだ護ってあげなければならないガラス細工のような儚さすらあった。


「大丈夫ですよ。必ず精霊(・・)は姫様に応えてくれるはずです。彼らは僕たちの良き隣人であり友。そして姫様は大召喚士ノイシス様に選ばれた御方。精霊が姫様を守ってくれますよ!」


 店主の心配をよそに客の青年は串肉を頬張りながらあっけらかんと呟く。


「クララ姫万歳! アリアデュラン王国に栄光あれ!!」

「おいおい……」


 唐突に腕を振り上げ歓声に加わる青年。

 その背中を追うように店主のため息が呆れたように漏れ出る。

 空を仰ぎ見ると晴天を覆うように黒い雲のようなものが現れ始め、雲行きが怪しくなっていた。


「一雨きそうな空だ」


 そう呟き、店主は人知れず空に祈った。

 式典の目玉を邪魔してくれるなよ、と。



 ±



 生誕祭は終盤を迎えようとしていた。

 王都中央の大広場では国民と観光客がごった返し、人の波がうねりを上げる。

 大衆を睥睨(へいげい)するのは一柱(・・)の騎士。

 彼らの視線を一身に浴びる騎士の正体はアリアンジュという名の人型精霊だ。

 太陽の化身の如き紅色の鎧を纏い、紅剣(こうけん)を大地に突き立て微動だにしないその姿は、言い知れぬ威圧感と迫力を備えていた。


 『紅騎士』のアリアンジュ。

 アリアとは王家――延いては国や世界を表す名称である。

 マクゼクト王によりアリアの名を賜ることを許された紅騎士は王国を象徴であり、守護の権化ともいえる存在だ。

 そんなアリアンジュの横を小さな銀色の影が追い抜く。

 微動だにしなかった彼女の視線が、紅兜と共に主の背中を追う。


「王家の膝元、アリアデュランの民よ。今日は妾のために集まってくれたこと、感謝する」


 鈴を転がしたような澄んだ少女の声に、一瞬にして王都に平静が舞い降りた。


「妾は今日、15の時を迎えた」


 幼女のような背格好に白い肌と純白のドレス。

 腰まで伸びたロングストレート、丸みを帯びた三角形の獣耳、太くてふわりとした尻尾。そのすべてが白銀に輝いている。

 紅騎士が太陽であるならば、クララ姫は月だ。

 一点の影も許さない心月の君。

 仰ぎ見る事しか叶わず、手を伸ばしても掴むことなどできない。


「今から約五百年前。“幻魔”という異形の化物に世界は蹂躙され、破滅の危機に晒されていた。だが、大召喚士ノイシスと彼女が召喚した原初の召喚獣――精霊王、そして聖刀剣の継承者である勇者アルス。彼らの活躍により幻魔は滅び、災厄の時代とされた幻魔期に終止符を打ち、世界は救われた」


 風の魔法が組み込まれた拡声器型魔導具がクララ姫の声を国中に送り届ける。市民たちは静かに耳を澄まし、姫を見上げる者、視線を落とし耳だけを傾ける者、大広場に設置された偉人たちの彫像に目を向ける者に分かれた。

 大広場に設置されている彫像とは言うまでもなく大召喚士ノイシス、精霊王、勇者アルスの姿を模した石像だ。

 ローブを身に纏い、杖を構えた少女がノイシス。

 大剣と直刀を握り締め、仁王立ちをするエルフの青年がアルス。

 そして、腕を組みにこやかに笑う何の変哲もない少年こそ、最初で最後の人型精霊と謳われていた精霊王だ。

 

「だが、一度は絶滅した幻魔。その姿が近年、たびたび目撃されていることは妖精の悪戯のように皆の耳にも届いていることだろう。幻魔期の再来とまで危惧するのも仕方のないことだ。――しかし、案ずることはない」


 クララ姫は左手の手袋を脱ぎ、その手の甲を民に向けて掲げた。

 その瞬間、感嘆の息と共に大きな歓声が大衆から沸き起こった。

 彼女の左手の甲には幾何学的な形をした漆黒の紋章が描かれていたからだ。

 それは――


「『ノイシスの加護』大召喚士ノイシス様が世界に残した祝福の証。『加護持ち』である妾が、彼女――紅騎士にも勝るとも劣らぬ精霊を召喚することで、皆をさらなる繁栄と安寧に導くことを誓おう!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 ノイシスの加護とは召喚魔法を編み出し精霊王を召喚したノイシスが世界に残した魔法だ。

 召喚士としての資質がある者の手にいつのまにか現れるその紋章は、使用法、用途、発動者であるノイシスの意図、そのほとんどが謎のままである。

 わかっていることは『加護持ち』が召喚魔法を行うと強大な精霊を呼び出せるということだけであり、そこに紋章の力が働いているわけではない、ということだけ。

 実際、紅騎士の召喚士はクララ姫と同じ『加護持ち』だった。

 今回の生誕祭もクララ姫が『加護持ち』と呼ばれる稀有な存在だったため開催された。なぜなら精霊の召喚を許されるの成人を迎えた後――つまり、15歳になったクララ姫は今日この時、召喚魔法を発動することができるからだ。

 

『……』


 紅騎士がクララ姫に近づくと傅くように膝をついた。

 その両手にはいつの間にか杖が握られており、差し出すように腕を上げる。

 

「ありがとう、紅騎士」


 小さく頷き、杖を受け取ったクララ姫はそれを天に掲げた。

 いよいよクララ姫による召喚の儀が行われようとしている。緊張が伝播するように、固唾を呑む形で無言の声援が国中に広まっていく。

 そして王都にまた静けさが訪れる。

 

 ――そのはずだった。


「……なんだ、あれ」


 空を見上げていた大衆の1人がぽつりと呟く。

 彼らの視線の先には黒い雲のようなものが天高く渦巻いていた。黒い雲は徐々に徐々に広がっていき、王都アリアデュランの空を埋め尽くしていく。

 これは何かの演出だろうか? それとも召喚魔法の一環なのだろうか? ざわめきが止むことはない。

 大衆は空と姫を交互に見つめながら事の成り行きを見守る。しかし、クララ姫もまた杖を下ろし、彼らと同じように空を見上げているだけだった。

 そして黒い雲に太陽の光が完全に隠され、雨空のような薄暗い世界が訪れた時、1つの影が王都へと落ちてきた。


「……竜だ」


 空を仰いだ誰かが、そう口にした。

 竜とはアリアストラに置いて精霊に続き神聖な生き物とされている。

 アリアデュランの国章には隻角(せきかく)の竜が“強さ”の象徴として描かれており、それと同時に“精霊との友好”が表現されている。なぜなら国章に描かれた隻角の竜はただの竜ではなく、“竜型の精霊”だったからだ。


 『皇竜』ファフニール。

 それが始祖の竜型精霊の名であり国章のモデルだ。大召喚士ノイシスたちの友であり、世界を翔るための翼として活躍した。

 だから国民は竜を恐れない。国のシンボルであり友である竜の降臨に興奮すら抱いてしまう。クララ姫の生誕を祝福するために天が遣わした奇跡だと信じる。


 そして(くだん)の竜が王城へと降り立ち、外壁や屋根を強靭な爪で突き崩すように着地しても揺らぐことはない。竜の降臨こそ最も尊ぶべき幸いであり、後々補修すればどうとでもなる建物など、それが例え城であっても竜の始末なら御愛嬌に過ぎないのだ。


『――我は『魔煌竜』ファヴニール。彼の精霊王の(しもべ)にして始祖精霊』

 

 荘厳な声色に腹に響く重低音。

 竜が放つ圧力に、大衆は押し潰されるような錯覚を得ながらも視線は外せない。

 なぜなら、


「精霊王の僕!? もしかして俺たちの国章の……!」

「嘘!? もしかしてあの伝説の精霊『皇竜』様?」

「でも名前が――」

「お、おい! 見てみろ! 隻角だ! 角が片方だけ欠けている! 本物だ!!」


 色めき立つ大広場。

 ノイシスと共に世界を救った生きる伝説が目の前に君臨したのだ。しかも、今日はクララ姫が精霊を召喚する特別な日。安寧を約束した姫の元に平和の象徴が姿を現せば、興奮するなと言うのが無理な話である。


『……姫、お下がりください』


 凜とした声とともにクララ姫を護るように紅騎士が立ちはだかる。

 伝説の精霊と言えど、守護する側からしてみれば闖入者であることに変わりはない。警戒を強めるような態度をとることはごく自然の行動だった。

 そしてそれは間違いではなかった。


『――告げる。アリアデュラン王国よ。我が王に生贄を捧げよ』

「……」


 水を打ったように大広場が静まり返った。

 最初は何を言われたのか、民はわからなかった。次第に意味を理解し、ざわめきが波紋のように広がっていく。

 生贄? なぜ? 誰を? どうして精霊様が?

 疑問は波となり、さらにそこへ苛烈さを煽るように『魔煌竜』の一石が投じられた。


『――告げる。我が主の名は『幻魔王』。幻魔の頂点に座する、唯一無二にして一方の王である。クララ・ラスティム・クランベル・リ・アリアよ。汝のすべてを王に捧げよ』


 繰り返される要求と衝撃。

 幻魔に怯える国民たちを奮起させるために行われた生誕祭。それが何の皮肉か姫は幻魔の王を呼び込み、さらには生贄として奪われようとしていた。

 改めて竜を見る。

 『皇竜』ファフニールは美しい白き竜と言い伝えられていた。しかし、『魔煌竜』ファヴニールと名乗ったその竜は白鱗の上に禍々しい漆黒の鎧を身に纏っていた。

 名前を上書きされ、呪われているような様相はまるで――


「操られている……?」


 民の誰かがある結論に至った

 精霊王と共に世界を救った竜が、幻魔に与するわけがない。

 その噂は瞬く間に広がり、伝説の精霊が操られている事の重大さに大衆は畏怖する。


「総員ッ! 構え! 撃てええええッ!!」


 騎士団長の号令と共に轟音が鳴り響いた。

 王国に所属する騎士と魔法使いによる波状攻撃がファヴニールの巨大な体躯を襲う。洗練された魔法攻撃は寸分の狂いもなく鎧を狙い撃っていた。

 王国は竜を敵と判断したのだ。

 例え相手が伝説の『皇竜』だとしても、生贄などという時代錯誤な要求に屈するわけにはいかない


「――っ!?」


 しかし、その判断は蛮勇でしかなかった。

 魔法がファヴニールに直撃した――そう誰もが思った瞬間、破裂音のような音が響く。魔法が被弾した音ではない。それはほとんどの人間は聞いたことがない異音であり、一部の宮廷魔法使にとっては聞きなれた音だった。


「まさか……魔法を無効化したのか――ッ! 幻魔と同じように!」


 騎士団長の視線の先には無傷のファヴニールと、いつの間にか肩に乗っている漆黒の騎士の姿があった。

 ファヴニールと同じ色の鎧を纏った騎士が肩から飛び降りると、重力を無視しながら静かに地面へと降り立った。

 王国最強の騎士――『紅騎士』に似たその姿はまるで、彼女と同等の力を保持していると主張するかのように似通っている。誰もが思った。あの『黒騎士』こそ『幻魔王』なのだと。

 誇示したのは圧倒的な力。

 伝説の精霊すら操ってしまう能力に幻魔として魔法を無力化する特性。


『……』

『……』


 紅騎士と黒騎士が対峙する。

 傍から見れば一触即発の対面に見えるが、そう単純なものではない。

 抗戦中でありながら市民は避難する素振りや逃げ惑う姿すら見せなかったのは理由がある。

 できなかったのだ。

 大広場にいる人々の隙間を埋めるように、いつの間にか(・・・・・・)数百体の漆黒の骸骨騎士が忽然と姿を現し、鎌を携え佇んでいた。近くにいた者が少しでも動こうとすれば連動するように鎌を持ち上げる。

 国全体が人質にされているため、紅騎士に下手な動きなどできないのだ。

 このままではクララ姫が黒騎士に攫われてしまう。

 ――だが、市民の懸念は意外な形で裏切られた。

 

『……』


 黒騎士が取り出したのは一通の封筒だ。

 それは俗に言う“予告状”と呼ばれるものだったのだが、この時は誰も知る由がなかった。

 カードを飛ばすように投げ放たれた封筒を紅騎士が受け取るとファヴニールが代弁するように口を開いた。


『――これは交渉である。決断は姫の意思に委ねる』


 人質をとっておきながら不遜な態度は変わらぬまま。

 交渉とは名ばかりの要求が書簡に収められていることは目に見えていた。

 そして用は済んだとばかりに黒騎士が踵を返すと同時に、骸骨騎士たちが灰燼の如く崩れ去り、空気へと溶け込んでいった。

 今なら隙を突くことができるのでは?

 そう考えてしまった騎士の1人が剣を強く握り締めるが、


「彼を傷つけてはなりません!」


 耳聡い獣人のハーフであるクララ姫がいち早く察知し牽制する。

 主人である姫の制止に驚きながらも、何人かの騎士は戦意を失ったように剣を下ろした。その兜の下では無力な自分に歯噛みするように顔を歪め、黒騎士の背を追う。


『――賢明な判断だ、姫よ』


 ファヴニールが淡々と感心したように褒め称え、構えていた腕を下ろした。クララ姫が騎士を止めなければどうなっていたかなど想像に難くない。敵は『黒騎士』だけではなく『魔煌竜』もいることを忘れてはならない。

 もちろん、黒騎士の無防備な後ろ姿など挑発のようなものであり、防御に関しての絶対の自信とも受け取れる。今は下手のことをして刺激する場面ではないのだ。


『――いずれまた相見(あいまみ)えよう』


 白魚のように美しい翼膜と漆黒の装甲に彩られた翼を広げ、ファヴニールが羽ばたく。

 突風が国を駆け、人々は倒れるようにしゃがみ込んだ。

 黒騎士を乗せたファヴニールが空へと飛翔し、瞬く間に黒い雲へと吸い込まれる。

 黒い雲もまた灰燼のように空気に溶け、幻であったかのように消えていく。先程までの出来事などまるで夢であったかのような快晴の空が広がった。


 ――そして、アリアデュランの民に残った陰りは晴れぬまま、生誕祭は精霊を召喚することもなく中止された。


 その日の夜から、人々の前に月が顔を出すことはなくなった。いつまでも暗い雲が空を覆い隠し、月明かりが人々を照らすことはなかった。

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