上陸1
船のデッキにて――
(この船、ほしいなぁ……)
ゆらゆらと船で揺られながら、アリスはふと思った。
魔族となった影響なのか、それとも生前のしがらみややらねばならぬ仕事、生活、税銀諸々から解き放たれて枷から抜けたからなのか。
彼女は酷くわがままになっていた。
欲しい物を欲しいときに欲しいだけねだっても、部下は許してくれる。絶対で圧倒的な力の前では、人間は無力であり彼女の要望欲望に答えざるを得ない。
そんな状況であれば、目の前の良いものをほしいとすぐ思ってしまうようになった。
園 麻子のときのように、財布と口座と、次の給料までの計算をする必要はもうない。ほしいな、と思ったらもう手を出して良いのだ。
それを可能にする力が彼女の手の中にはある。
「アリス様?」
横に居た美少女に声を掛けられて、欲で満ち溢れていた脳みそが冷静に戻る。
しばしの間アリスはぼんやりしていた。それが心配になったガブリエルが声を掛けたのだ。自分よりも遥かに弱い存在に心配されたことで、アリスはあんまりぼんやりするのをやめようと思った。
「さん、でしょ」
「アリスさん! どうかしました?」
「いや……なんでもないよ」
「えー、そうですかぁ?」
「うんうん」
大きく括って所謂〝客商売〟だったガブリエラ。それだけあって洞察力は素晴らしい。
アリスが「大丈夫、なんでもない」と言っているが、本能的にはそうではないと気付いているのだ。
しかしそれを深く突っ込めるか、といえば別である。
前述の通り彼女はアリスよりも圧倒的に弱い。レベルという観念からも、それを抜いた戦闘力からも。
何より隷属契約を結んだ奴隷、配下、部下。アリスが「ノー」といえばそれに従うしかないのだ。
出来ることは、こっそりとアリスを案じておく程度だろう。
「で、どしたの。ガブリエラ。さっきまで船内散策するって……」
「あ、そうです! 陸地が見えてきたって言ってたので、教えよーって」
「もう着くのかぁ」
「ですです」
ガブリエラも嬉しそうだ。生まれてからアリ=マイアどころかアベスカを抜けたことのない弱い少女だ。そうなっても当然だろう。
ソワソワと落ち着けないのか、アリスと川を交互に眺めている。
そんな様子を可愛らしいと思いながらも、アリスも久々に見る海のような川で感動していたのは間違いない。
仕事と会社を行き来するだけの毎日。
社会人にあがって、友人とのやり取りはもっと減った。唯一のオアシスは映画、本、アニメ、諸々。家に居てただ受動的に見るだけのコンテンツ。擦り切れるほど見たところで、台詞を覚えたところで。
会社の同僚、上司。近所のコンビニの店員。宅配業者。必要最低限の会話とやり取りで暮らしてきたこの数年は、川や海なんて見ることなど無かった。
そんなところに一緒に行ける友人はおろか、恋人なんていなかった。見た目を綺麗に保っていても、仕事用のさっぱりしたものだった。
新しい服を買うことはないし、年も年で化粧品も冒険するなんてことはもうない。
自分の給料を圧迫しない程度の安価なものばかりを選んで、無難な髪型と化粧。
――これは出会いもないわけだ、と思いながら。
だがこの世界に来てからは違う。
好きなことをして、欲しい物を手に入れて、着たかった服を着た。
自分を好いてくれる好みの幹部達に、誰も到達できない強者の力。
(いつかは、手放す時が来るんだろう)
〝神〟は、世界の均衡のために勇者を殺す、といっていた。
であれば、強くなりすぎた魔王はいずれ殺される。それがいつかはアリスには分からない。少なくとも、勇者の首をとった後だとは思っている。いや、そう思いたい。
それに勇者側の人間も神が誤って殺してしまった人間の一人だと考えると、早々に殺させてはくれないだろう。
彼にとっては勇者としてこの世界の頂点であることが、死に対しての詫びなのだ。
アリスとて相手が簡単に死んでしまうのはつまらない。
まだ息のあるうちに羽根をもぎ、手足を千切って、目を潰し、殺してくれと懇願する様を見ながら望み通りにしてあげる。
それともあれか。仲間を徐々に殺して、はたまたこちらの戦力として引き抜いて、じわりじわりと精神的に追い詰めた後。
アリスのことを罵倒しながら、非道だとなじりながら立ち向かってくるところをねじ伏せる。
どちらでもいい。ただ、アリスの愛する悪が完全に上位で強いものであると、証明したかった。
「アリスさん」
「なぁに、ガブリエラ」
「あと三十分もしないで到着するそうですよ」
アリスのいる場所からも大陸が見えてくる。
イルクナーでも船の多さと人の多さに圧倒されたが、それと比べ物にならない量の船が停泊している。
恐らく戦争間近で数は減っているのだろうが、それでも多い。物資の輸送船もさることながら、大砲を積んだ戦闘も可能な船も泊まっている。
戦争自体は上流で行われるため、実際に使う船かは分からない。だがパルドウィンの戦力として、こういった船も所持しているのだと把握は出来た。
「行きたい場所とかあるんですか?」
「え? ないよ。だって知らないし……」
「えー! 旅行ですよね? 観光しましょうよ! あたし、船の人に聞いてきます!」
「お願いねー」
アリスはホッと息を吐いた。ガブリエラが旅行に乗り気で助かったのだ。
仕事も与えてもらえずただ暇にしていたアリスにとって、息抜きの旅行という提案はとても素晴らしいものだった。
しかし前世も含めて今の今まで旅行なるものは、修学旅行程度しか味わったことなく、更に言えば計画なんて立てるのもやったことはない。
社会人であれば〝お金があればなんとかなる〟戦法で、行きあたりばったりでも構わないだろうが、そもそもここは世界線が違うのだ。
魔術と剣で形成されるファンタジーの世界。
もちろん金があればある程度はなんとかなるだろう。
しかしせっかくの旅行に来ているのだから、ガブリエラの言う通り観光などすべきなのだ。
そしてここで問題なのは、現代とは違って観光用の雑誌などが発行されていないことだろう。
るる……とか、じゃら……とか。そういった旅行専門誌みたいなのが、書店で手に入るわけじゃないのだ。
基本的には口コミで仕入れるのがベストなのだろう。
(ガブリエラを待っている間暇だな。通信距離確認も兼ねて、ちょっとテレパシー送ってみるかな)
そう思って早速魔王城で働いているであろう部下に、テレパシーを飛ばした。
仕事の邪魔をするようで気が引けるが、部下達からすれば「アリス様最優先ですので、お気遣いなく」とのことらしい。
そろそろ麻子であった頃の癖ややり方を捨てて、魔王らしくワルモノらしく振る舞わねばならない。
だからこれも、アリスにとっては課題であり慣れるべき事柄なのだ。
『はい♡あなたのエンプティです♡』
(だいぶこじらせてるな……)
ご用件は如何でしょう♡、なんてエンプティの声が明瞭に届く。
当初の「添い寝して体調管理をする」という願いも早々にキャンセルされてしまって、主と長いこと会えないことが決まったのも相まって、ストレスはだいぶ蓄積しているはずだ。
それでも我慢して今の与えられた仕事をこなしているのだから。
「通信テストだよ。エンプティは元気?」
『もちろんでございます! アリス様こそ、あのクソ雌下等アバズレ悪魔といかがお過ごしですか?』
(いや、ガブリエラに対しての殺意殺意)
通信のノイズかと思ったが、パリンというなにか陶器が割れる音は聞き間違いではないのだろう。
恐らくエンプティの怒りによって魔力が漏れて、耐えきれなくなった調度品類が割れたのだろう。
ヴァルデマルの大切な私物ではないことを、アリスは密かに願った。
「問題ないよ。彼女のほうが人間の扱いに慣れてるから、助かってるよ」
『チッ。……さようで』
「……。現状報告を聞いてもいいかな?」
『もちろんでございます♡』
いつも閲覧、いいね、お気に入り登録、ありがとうございます!
後書きを書くべきか否かを考えていると無駄に時間を取ってしまいます。
兎にも角にも、皆様ありがとうございます。




