イルクナーへ1
アベスカ、王城――
パルドウィン王国に向かう前に、アリスはアベスカの現状を確認しておこうと城を訪れていた。ガブリエラも当然のように付いてきている。
「おい、見ろ! 魔王陛下だ! おはようございます!」
「おはようございます!」
「あぁ、おはよう」
城にいる兵士達がアリスを見るなり挨拶を飛ばしてくる。その表情は笑顔だった。
パラケルススの仕事が進んでいることで、アリスへの認識が変わっていた。
魔王陛下と呼称しているが、彼らに悪意や敵意などは見られない。それは彼らが亡くした、愛する人達を手に入れたからだ。
今となっては国を統治するライニールよりも慕われている。
見た目こそ不気味なものの、その振る舞いは恐怖を感じることはなくみなが受け入れている。
城の正門から歩いていると、パラケルススとルーシーが迎えるように待機していた。
二人はアリスと目が合うと、会釈をして微笑んだ。
「二人は忙しいからって、こっちから出向くつもりだったのに」
「そんなぁ~。アリス様にご足労頂くだなんて、出来ません」
「そうですぞ。それに自分はルーシーと違ってゾンビ。この程度苦でもありませぬ」
「はぁ~!? あーしだって、ぜんっぜん疲れてねーしっ!」
「ちょ、喧嘩は後でしてよ。現状報告をお願い」
アリスは呆れつつも、話を促す。
パラケルススが言うには、城下町にいる一割の人間のケアは完了したという。
もともと勧誘方法が、あまり人を増やさぬようにしていることもある。そのため、進行度が遅いのだ。
とはいえ毎日のようにパラケルススのもとには、死んだ家族の代わりがほしい、とすがってくる人間が多数いる。
実際ホムンクルスを生成時間は、たいして掛からない。
しかし人間に対する説明や、それを本当に理解してくれたかなど……確認する作業に費やす時間のほうが多いのだ。
だがそこを省いてしまえば、面倒事が起きるのは目に見えている。アリスのためでなければ、人間ともに寄り添うカウンセラーのようなことはやっていない。
どんなことも全てはアリスのために。その精神で彼は今日も住民に、彼らの愛するものを与えているのだ。
「そう。でも数日で一割はいい数字じゃない? 来たときの兵士の態度もよかったし」
「ありがとうございます」
「ルーシーは?」
「あーしはたまにパラケルスス手伝ってるだけです!」
魔術開発という地位を与えたものの、場所が場所だったため思うように進んでいないのだ。
やはり魔術に関して何も詳しくない、アベスカを拠点にするのは間違いだった。つまりルーシーは、暇を持て余しているようだ。
アリスは早急に新たな拠点を手に入れたいと思い始める。
一瞬、ルーシーに適切な場所を探してもらおうと思いついたが、まだ今の時点では、我が子を旅に出せるような強い意志は持ち合わせていない。
何が起こるかわからないし、何をするかわからないからだ。
アリスは少しエンプティの気持ちが分かったような気がした。
「ところでアリス様、それは?」
パラケルススが指を指した先にいたのは、ガブリエラであった。指をさされたガブリエラは、先日の旅行会議同様サッと後ろに隠れてしまう。
ガブリエラという存在はパラケルススは会うのが初めてのため、知らない人物なのだ。
アリスは「あぁ」とガブリエラを一瞥し、話し出す。
「サキュバスの奴隷。これから行く旅行に、連れて行こうと思って」
「サキュバス!? そんな種族がいるのですか」
「うん」
「ん~、是非とも助手に欲しいですな!」
わっはっは、と笑うパラケルスス。ルーシーは完全に引いていた。アリスも引きかけたが、彼の言いたいことを理解出来たので失望せずに済んだ。
パラケルススとサキュバスの共通点は、強い男の遺伝子である。雑兵のような簡素なホムンクルスであれば、強い存在の情報は必要なく生成できる。
しかしレベルを上げたり属性を加えたりするには、何かと必要なものが増える。遺伝子もその一つだ。
そしてこの世界のサキュバスは強い男を求めて、喰らい、生きている。つまり彼女たちにはそれを見分ける力と、手に入れる技術を備えているのだ。
パラケルススからすれば良い助手である。
「じゃあ手練を何人か送ろうか」
「頼みます! メンタルケアの傍ら、サキュバスが連れてきた男を使って兵力を上げますぞ!」
「オッケー」
思わぬところでサキュバスの使い所が生まれて、アリスも満足である。
そのままアリスは二人に送り出され、パルドウィン王国へ向けて歩き出した。
パルドウィン王国に向かう手段は様々だ。しかしどのルートでも共通で存在するのは、巨大な河川を渡らねばならないこと。
もちろんアリスの能力をもってすれば、そんなことせずともパルドウィンに一瞬で到着するのだが――それでは風情がない。
偵察ならまだしも、これは息抜きの旅行なのだ。
人間がするように船を使ったり馬車を使ったり、はたまた歩いたり。そういったのを楽しむのも一つの醍醐味なのだ。
そんなわけでアリスは今、アベスカ偵察時と同じような見た目になっていた。真っ黒な角も、老婆のような白い髪も、腕の鱗も、白黒反転した目もない。金髪碧眼のどこにでもいそうな少女だ。
着ている衣服は旅をしている人間が纏っていそうな、長袖長ズボンの軽装に、ローブ。
随伴するガブリエラも幻術でヤギの足を隠し、同じ服を着ていた。
「ところでアリス様はどうやって、パルドウィン王国まで行かれるのですか?」
「旅の間は様はよしてよお」
「ん~、じゃあ、アリスさん?」
「それでいいや。――いやね、ライニールから航行の推薦書みたいなの貰ったから、イルクナー経由で行こうかなって」
イルクナーとは、アリ=マイア教徒連合国最北に位置する国である。隣接国はアベスカ、オベールの二国。
そして、いわゆる「宝島」と称される謎の島国に近い位置に存在する。
アリ=マイアはその宗教の精神から、宝を奪う戦争には参加していない。しかし位置が近いこともあって、それに巻き込まれることも少なくはない。
内陸部はそうでもないが、河川に面している場所はさんざんだ。
そんなわけでイルクナーという国は、しばしば戦争に巻き込まれる場所であったが、それ以上に言えるのはアリ=マイアの中ではダントツの港町であることだ。
彼女らの目的地であるパルドウィン向けの船も幾つか出ているし、他国からしきりに船が入ってくるのだ。
「それにしても王が直接許可って……怪しまれませんか?」
「えーっ、そうかな。じゃあ戦争で貢献した、ご褒美でもらったってことにしよう……」
「なんか強引な気もしますが……分かりました」
アベスカからイルクナーまでは時間を要さない。
アベスカの王城が国境からさほど遠くない場所にあることもあって、国を越えることは容易い。
しかし小さな国とて移動が大変なのは変わらない。移動手段も馬車だし、何より港から一番遠い場所より向かわねばならないのだ。
だがアリスは魔術に頼るつもりはなかった。そこでの交流やゆっくり見る景色を、堪能できると思っていたからだ。
「でもまさかずっと徒歩じゃありませんよね?」
「そっ、そりゃね!? 私は大丈夫だけど、ガブリエラは大変なんでしょ?」
「そうですよう……。少し手慣れた冒険者レベルなんですからね」
ガブリエラのレベルは34である。サキュバス全体の平均レベルは50前後であることから、一般的な個体と比べるとやや弱い。
しかしそれでも人間と比べると、一般人よりは強いのだ。とはいえ彼女の言う通り、少し冒険者の仕事に慣れ始めた初心者程度だ。たかが知れている。
「でも私はもう感覚がおかしくなってるから、多分気付きにくいと思うんだ。気付いてなければ、ガブリエラが限界になる前に教えてね」
「はーい」
にぱ、と笑うガブリエラ。アリスは居ても立っても居られず、犬を撫でる要領でワシャワシャと頭をなでた。
――あぁ、今日もガブリエラが可愛い。
アリスは心のなかで刻み込むように思った。そしてこんな場面、エンプティに見られたら大変だ。国を滅ぼしかねない。
だがあの過保護スライムは言い訳――こじつけをして置いてきたのだ。今は何をしても自由なのだった。
アリスはペット――ガブリエラを連れて、街の御者へと向かった。
国と国を行き来する便くらいはあるだろうと思ったのだ。
金銭に関しては、ヴァルデマルが民衆から巻き上げたものを頂戴したので問題はない。
「こんにちは~」
「おう、いらっしゃい!」
何軒か候補はあったが、どこが良いかなんて知らない。見分ける方法も持っていない。
魔術を使う気は全く無いし、どこでも良いと思ったアリスは適当に一番近い場所へやって来ていた。
挨拶をして店に入ると、元気のいい迎えがやって来る。ひとまず愛想という点ではハズレではない。
「どこまで行くんだい?」
「イルクナーまで」
「あぁ~……そうか。残念だったな」
「何かあるんですか?」
「イルクナーは遠いから、週イチでしかねえんだよ。長距離に耐えられる馬が少ないからよ」
魔術に長けている国家と違って、馬が唯一の手段であるアリ=マイア。戦争の影響もあってその馬も数を減らしていた。
さらに長距離走行が可能な馬が軒並み出払っていて、帰ってきたところで休ませる期間を考慮するとやはり次の週まで出せないという。
店主が言うには「他の御者も同じだろう」ということだった。
アリスとしてはこんな早々に挫けるとは思わなかった。国王に頼めば馬のひとつやふたつ簡単に貸してくれるだろうが、アリスとしてはそこまでしたくもない。
「わかりました。ありがとうございます」
「お、おい、良いのかい?」
「はい。徒歩で行こうかと」
「徒歩!? あ、アリスさん……」
「そりゃ……結構無理があるんじゃねえか?」
「大丈夫です、きっと。では失礼します」
泣きそうになっているガブリエラを引っ張りながら、御者の店を出る。馬車で楽できると浮かれていたから仕方ない。
とはいえアリスとてただ歩くわけでもない。
完全に拗ねているガブリエラを根気強く引っ張りながら、しばらく――街の外まで引っ張り続ける。
ガブリエラはガブリエラで、あぁこのまま国境まで徒歩コースだなぁ、と腹をくくり始める。
しかし、アリスはそのまま歩き続けるのではなく、街の外に出ると茂みに足を踏み入れた。
そして辺りに人が居ないことを確認すると、ガブリエラの方を向き直った。
「おいで」
「え!? やだ、アリスさんってばぁ、まさか、青か――」
「こら、性欲バカ。なわけないでしょ。もういいよ」
アリスは強引にガブリエラを抱き上げると、そういわゆる――お姫様抱っこという形をとった。
いくらアリスとガブリエラに、20センチ近い身長差があれど、体重はある。しかもパッと見ではどちらも細身の女性だ。軽々と持ち上げている姿は異様だろう。
「ほら、早く掴まって。落とすつもりはないけど、落ちたら嫌だし」
「えっ、はっ、はい! 失礼します!」
ガブリエラが首に抱きつくと、アリスは優しく微笑んだ。
特に意味もないただの返事のような微笑みだったが、ガブリエラの気持ちを揺さぶるには丁度いい材料だった。
姫抱きにその微笑みは乙女の心には響く。とても狡いものだった。
どきりと胸が高鳴るのを隠すように、抱きついた腕を少し強める。
「〈特殊防壁〉」
アリスが詠唱すると、一瞬だけ六角形シールドが現れる。だがそれもフェードアウトするようにすぐに消えてしまった。
シールドなんて展開する必要があるのか、とガブリエラは不思議に思った。あれだけ幹部の人間に戦闘は避けると豪語していたのだから、ここまで用意周到に守りを固めなくともいいだろうと。
しかしガブリエラは、その考えをすぐ覆すことになった。
アリスは足にぐっと力を入れる。足元の土が音を立てて軽く地面が抉れた――そう感じた時だった。
いや、そう感じた時点で既にもうそこにはいなかった。
「い、や、ぁあああぁあああ!?!?!?」
「あっはははは!」
その行為は走ると言うよりも、射出されていく、と形容したほうが近かった。弾丸にも引けを取らない猛スピード。
シールドが展開されていなければ、ガブリエラは肉塊に成り果てていただろう。
あれは敵用ではなく、ガブリエラの身を守るためのシールドなのだ。しかも危害加える側はアリスときた。
本来アリス単体でこのスピードを出す場合は、保護のシールドなど不要。彼女の肉体はその程度で傷などつけられないのだ。
たった数秒駆け抜けただけなのに、アベスカの城がもう既に小さく見えた。距離からして十数キロはある。
シールドをしてあるのにも関わらず、ガブリエラに降りかかる風圧は強い。アリスが言っていた「落ちるかもしれない」という言葉に、ぞわりと恐ろしくなる。
今、もし。この猛スピードの中、振り落とされてシールドから飛び出たら。
そこまで考えてガブリエラは思考を止めた。これ以上考えても怖いだけだと。
もう少しだけ抱きつく力を強めて、早くこの移動が終わるよう祈っていた。
「あっ……」
「?」
アリスの漏らした声に気付いて顔を上げれば、アリスの表情は「まずい」といったように歪んでいた。
視線の先を見やれば、アベスカから続いていた森が途切れていのだ。
姿をくらませる森がなければ、アリスのこのスピードで移動することは目立つ。
ただでさえ「魔王」という存在になったというのに、そんな目立つ行為を行いたくはなかった。
アリスは徐々にスピードを緩め、森の終点にたどり着く頃には完全に徒歩になっていた。
魔王城のある大森林に比べると、大したことのない森だ。距離もさほどなく、実際今見ている通りすぐにただの草原に出る。
アリスのこの移動方法はここでお終いとなったのだ。
ガブリエラをそっと地面に下ろすと、あまりのスピードの恐ろしさに腰が抜けていたようで、その場にへたりと座り込んだ。その様子にアリスは苦笑いする。
いくら魔物とは言え、自分と160近くもレベル差があるのだ。少しはそこを考慮するべきだったか、と反省した。
「辺りの様子を見てくるね。ガブリエラに透明化はさせないけど――防壁は張っておくから。見つからないように出来るね?」
「はっ、はい」
「よし。――特殊防壁」
ガブリエラに先程と同じ魔術を掛けると、アリス自身に透明化魔術を付与する。
そして最寄りの木を伝い、上空へ飛び出た。
空中で動きを止め、浮遊すると辺りを見渡しはじめた。
後方は先程二人が走ってきた通り森が広がる。そして遠くにはアベスカの王城。
移動時間自体はさほど経過していないが、徒歩で数日と言っていいほどは走ったはずだ。
そして問題のこれから行く先。前方は草原が広がっている。
国境と呼ばれるものはこの草原で超えられるのだろうが、国の都市の入口や城壁は見当たらない。
一瞬道を間違えたかと思ったが、街で言われた通り進んできたわけで。
とりあえず目の前のただの草原からは何も得られない。アリスはガブリエラのいる場所へと戻ることにした。
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最近考えるのですが、主要メンバーにいわゆる「イケメン」がいないのでは…?と…。
国王がイケメンという設定なのですが、補うには弱すぎますね……。