歓迎の炎1
魔王城、玉座の間――
アリスは玉座に深く腰かけ、その横にはエンプティが佇んでいる。
この広い空間には二人しかおらず、他の幹部も部下達も出払っていた。リーベすらおらず、広く静かな空間に二人分の声だけがこだましている。
「いるねぇ」
「ええ、いますね。いつ入ってくるつもりでしょうか」
「人間には、心の準備が必要なんだよ」
アリスは退屈そうに大きな欠伸をする。この城で一番余裕を持っているのは、彼女くらいだろう。
エンプティも余裕を持っていたが、親愛なるアリスを待たせている連中に怒りを抱いていた。
欠伸をしているアリスを一瞥すると、玉座を離れ出す。
「それでもアリス様をお待たせするというのは、下位の生物としてはあまりにも失礼すぎます」
彼女のスキルで腕を武器へと変形させる。一人で突っ込んで、彼らを〝迎える〟気なのだ。
一人でスタスタと歩いていくエンプティを、アリスはそのまま見送るはずもなく。
「待ちなよ、エンプティ」
「ですが、アリス様……」
「悪役は余裕を持って、待っててあげるものだよ」
「……そういうものなのですか?」
「んー、少なくとも私の中ではね」
もちろん、そうじゃない時もある。アリスは気まぐれで、我儘だ。
今は単純に待てるだけで、これが苛立ちなどを含んでいれば、勇者達を待たずに殺していただろう。
やっと勇者を殺せるという喜び。
アリスの中に確かにある感情だったが、昂りを通り過ぎて、彼女は冷静だった。
これで戦い始めてしまえば、再びアドレナリンが溢れ出してしまい、変わっていくかもしれないが。
ぎぃいい、と重たげな音を立てて、扉が開く。
扉の隙間から見えたのは、アリスを睨みつける瞳。
彼の中に抱いているのは、確かな正義なのだろうが、アリスにとってはどうでもいいことだった。
アリスはにんまりと笑う。これから楽しいことが起きると思うと、抑えられなかった。
「やあ、この間ぶりだ。オリヴァー・ラストルグエフ」
「……魔王」
「ふふっ。君は一度たりとも、私の名前を呼んでくれないな」
アリスはくすくすとわざとらしく笑った。
オリヴァーは本当にアリスの名前を呼ぼうともしない。まるで忌まわしい名前のように。
パルドウィンを旅行していた最中は、普通に呼び掛けてくれたのに――と、アリスは少し寂しげに言った。
オリヴァーはそんなことを気にもとめず、話を続ける。彼がここに来たのは、お喋りをする為じゃないのだ。
「ユリアナを返せ」
「おやおや。彼女を渡せば、また戦わずに帰るのか?」
「……今回は違う」
「あはははっ」
覚悟の籠った声に、アリスは耐えきれず大声を出して笑い始めた。
彼の中に、前回の反省はあったのだろうか。自分のしてしまった甘さが引き起こした、今回の一連の出来事。
それを悔やんだりはしているのだろうか。
アリスは一瞬でそれらを思えば、面白可笑しくて仕方がなかった。
「何がおかしい!」
「何もかもだとも、オリヴァー。人類最強と言われて、英雄の子ともてはやされ、世界の頂点レベルに達した。それで図に乗っているのか? 私を目の前にして、勝てるとでも?」
「……」
彼の様子では、まだ自分がアリスに勝てるという自信が溢れていた。愚かなことだ。
アリスのステータスすら、まともに分かっていないのに。アリスの魔術を見破れず、一緒に旅行をしたのに。
それでもなお、まだ自分が勝てると思っている。勇者であることが、彼をそうさせるのだろう。
この世界の頂点であるレベル199に到達したということが、彼に自信を与えているのだ。
だからアリスは、それを簡単にへし折るだけだ。
「オリヴァー。あいつと会話しても無駄だ」
「ああ」
アンゼルムがオリヴァーにそう話しかける。
お喋りはおしまい、ここからは命をかけた戦いだ。
オリヴァーは長年使っていた、友でもある剣を取り出した。この日のためによく手入れしたそれは、この暗い空間でもキラリと光を放っている。
それをギュッと握りしめると、足に力を込めた。弾丸のように飛び出したオリヴァーは、アリスの元へと駆けていく。
「うおぉおお!」
オリヴァーは叫びながら走る。何も知らずに散ったマイラのため、奪われたユリアナを取り戻すため。今もどこかで戦っている、王国軍の仲間のために。
目の前にいるこの悪魔の権化を、倒すために。
アリスはそんなオリヴァーを受け入れるように、優しく微笑んだ。オリヴァーには挑発的な笑みに見えただろうが、アリスは心の底から楽しんでいる。
「エンプティは、な~んにもしないでね!」
「もちろんでございます。アリス様が弱者を踏み躙る様を、しっかりと両目に焼き付けますわ♡」
ここでようやっと、アリスは玉座から立ち上がった。ゆっくりと降りていく。
オリヴァーとは反対に、彼女の動きはゆったりとしていた。攻撃を仕掛ける様子も見受けられない。
向かってくるオリヴァーに対して、何もしないで歩いているだけだ。
「援護するよ、オリヴァー!」
「僕も手伝うぞ!」
もちろん、アンゼルム達は何もしないわけじゃない。
長く広い玉座の間を駆けているオリヴァーを補佐するように、アンゼルムとコゼットが動いた。
コゼットが弓を引き絞り、その超人的な技術で矢を放つ。動物と会話をする彼女だが、狩人としての腕も高い。本人曰く、友達を殺すのは嫌だけど生きるため――らしい。
アンゼルムもコゼットに合わせて、攻撃を仕掛ける。洗練された魔術攻撃は、オリヴァーの横を通ってアリスを狙った。
二つの攻撃は、避ける動作すらないアリスに、直撃した。
弓矢の攻撃なんて論外。アリスの体に触れた矢は、カラカラと虚しい音を立てて、アリスの足元へと矢が落ちる。
アンゼルムの攻撃も当たるが、大したダメージは与えられていない。服の一部が焦げたり濡れたりしていたが、数秒で元通りとなった。
「なんだ。まだ私に慈悲を見せてくれているのか」
「なにあれ!? 矢が通らない!」
「バカコゼット! ちゃんと当てているのか!?」
「見たでしょ!? アホアンゼルム!」
ぎゃあぎゃあと後方で喧嘩が始まる。
勇者パーティーからすれば、よくあることなのだろう。こんな局面でも軽口を叩き合うとは、見上げたものである。
アリスには、エキドナの物理完全無効化スキルがあるので、コゼットの攻撃は通らなかった。
アンゼルムの攻撃は通っているものの、常に発動している回復スキル〈永遠の福音〉が存在するため、瞬時に回復してしまうのだ。
つまり援護射撃の二つはないも同然。アリスに対して意味をなしていないのだ。
(うーん、ハンデでもつけてあげようか。せっかくの魔王戦なのに、即死じゃあ可哀想だなあ)
何よりもアリスがつまらない。
ずっと楽しみにしていたというのに、すぐに終わってしまう。楽しいことは長く味わっていたいのだ。
それにせっかくこんな辺境地まで、装備を整えてわざわざ来てくれた客人に、恐怖も絶望も与えられぬまま死んでもらうのは――魔王としては悲しいこと。
(どれどれ。スキルは常時発動だけど……切れるかな?)
常に発動しているタイプのスキルは、幾つもある。それらのオンオフは、試したことがない。出来るのか否かと悩んでいる時間ももったいないため、一か八かで試してみることにした。
魔術はたいてい、詠唱を省く場合は頭の中でイメージするだけで済んでいる。同じ要領で、スキルも止められるのかと念じてみる。
運良くスキルは停止することが出来た。彼女を常に回復していたスキルは、一旦その力を止めている。
止めた瞬間だった。ちょうどオリヴァーが目の前にやって来ていたのだ。
ザシュッと肉が切れる音がして、腕に攻撃を受けていた。
アリスは数歩距離を取って、オリヴァーから離れていく。その表情は傷つけられたことによる嫌悪などではなく、喜びに満ちていた。
滅多にダメージを受けることのない彼女にとって、貴重な体験だからだ。
「! 攻撃が通った!」
「やったね、オリヴァー!」
アリスが行ったことも知らない三人は、腕から血を流している彼女を見て歓喜している。しかも、異常なほどの回復もない。
特にコゼットとアンゼルムは、自分達の攻撃が通らなかったこともあって、一層喜んでいる。
やはり、魔王を倒せるのは勇者たるオリヴァーなのだと。
「おぉー。幹部以外に初めて傷つけられたな……、――ハッ!?」
「フゥーッ、フゥ……ハァ……、この……人間風情が……!」
殺気を感じて後ろを見やれば、玉座の横でブルブルと震えているスライムが一人。アリスの命令を守って、必死にその理性を保っている。
今すぐにでも突っ込んでいきそうなその勢いを、なんとか我慢しているのだ。エンプティとしては、成長したほうだろう。
(ちゃ、ちゃんと自制出来るようになったんだ……! ギリッギリだけど! うれし――じゃなくって、あんまり私が遊びたいからって、勝手にしちゃ駄目なやつだなこれ……!)
とはいえ長続きはしない。次の攻撃を貰った瞬間、きっとエンプティは本気を出して飛びかかってくる。
エンプティは戦闘に特化したタイプではないが、それでもレベル200という――世界の常識を超えたレベルを有している。
この場において、勇者を蹂躙し、その仲間を殺すのは難しいことじゃない。
だがそれは、アリスの望みではない。アリスの手で殺したいという、夢を壊してしまう。
そうならないためにも、アリスは手加減なんて出来ないなと考えを改めた。
アリスが手を軽く振るえば、床に散らばっている――コゼットが放った矢がふわりと浮かぶ。そして矢はそのまま、アリスの手元へと飛んできた。
アリスは矢を手に取ると、魔力を巡回させ、魔術の付与を行い始める。
「〈滅亡の業火〉」
矢は一瞬だけ赤く光ると、すぐに元通りになった。見た目はただの矢だったが、これはたった今、Sランク魔術を付与された矢へと変化していた。
アリスはそのまま、矢をダーツのように持つ。狙いを定めた先は、コゼットだった。
軽く投げただけだったが、その矢は目にも留まらぬ速さでこの空間内を駆け抜けた。オリヴァーですら反応できず、目標であるコゼットへドスリと着弾する。
「コゼット!」
「だ、大丈夫、まだ肩に当たっ――」
コゼットが言い終わる前に、魔術は発動した。
彼女の体は一瞬で紫色の炎に包まれた。彼女に悲鳴をあげる時間すら許さなかった。瞬時に燃え上がったと思えば、その炎はすぐに消える。
しかしだからといって、コゼットが生きているわけではない。
ぷつりと糸が切れたかのように、コゼットは立つ力を失い、そのまま倒れていく。
「……え?」
「コゼット……?」
お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
絵付きの年末年始のご挨拶を、活動報告に投稿しました。
興味があればどうぞ。
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