魔王軍vs王国軍2
ブライアン・ヨースが指揮を取っている、王国軍兵士達。
目の前に広がる戦場では、戦いではなく虐殺が行われていた。様々な経験をしてきたブライアンであっても、この光景はあまりにもむごい。
恐怖と、困惑と、混乱に包まれた頭の中。彼は震えた声で言うのが精一杯だった。
「な、なんだ、これは……」
部下達は逃げる暇も与えられず、ただただ惨殺されていく。悲鳴をあげる前に体が切り裂かれ、潰されていく。
これも全て、先程魔王軍の指揮官が声を荒らげてからだ。
魔術か何かを付与したのだと分かったが、王国でも随一と言われるヨースの知識を持ってしても、知らないものだった。
フォローも何も出来ないまま、兵士達は命を落としていくのだ。
「……ッ、ノエリア!」
「えぇ、分かっております。……天使に愛されし者達よ、天使の加護を受けよ。愛は全てを癒やし、全てを助く。その尊い愛に応えん――〈天使の輪〉!」
ノエリアは両手を広げてそう唱えた。詠唱により発動したのは、彼女の得意とする支援魔術――〈天使の輪〉だった。
これにより、広範囲に回復魔術が行き渡る。そして微量でありながらも、多少のバフが付与された。
策士でもあり、後方支援型でもあるノエリア。彼女はこういったことで、戦いに貢献しているのだ。
ノエリアの癒やしを受けた兵士達は、再び果敢に立ち向かっている。
「私は前に出る。……無理をするなよ」
「勿論です、あなたも気を付けてください」
ノエリアの言葉に、ブライアンは不器用に微笑んだ。その笑顔に、ノエリアは何も言う事はない。
ブライアンが捨て身でこの場所を離れていこうとしているのは、分かっていた。ブライアンも「お見通しなのだろうな」と察している。
ヴァジムとマリーナのように、連携の取れた夫婦ではない。それでも、同じだけ時間を過ごしてきた夫婦だ。お互いの考えていることくらいは分かる。
ブライアンは振り返ることなどなく、敵陣を見つめた。そして駆け出していく。
後方に残したノエリアを見てしまえば、きっと戻りたくなるから。なるべく妻を見ないよう、戦いに集中することにした。
「手足の動くものは自力で後方へ! 他人を連れていけるものは、衛生兵のもとへ!」
走りながら指揮を出していく。
敵の本陣に突入しようと、その足を急いでいる。
走っている最中でも、惨たらしい戦況を目にしていた。転がる死体、負傷者、逃げ惑う者。ブライアンはそれらを見て顔を歪めながら、本陣へと急ぐ。
「ブライアン様、どうかお助けください!」
「!」
途中、声がかかる。見れば兵士が木の下敷きになっているではないか。
きっと後方にいる衛生兵のところまで運びたいのだろうが、木を動かすほど力は出ないのだろう。
かといって、ブライアンもこんな場所で拘束されるわけにはいかない。急いで敵陣の指揮官を叩いて、勝利を手にしなければならない。
とはいえここでまだ息のある兵士を、放置するわけにもいかない。
「〈宝石の踊り子〉!」
ブライアンがそう唱えると、二体の踊り子が生成された。土の属性を帯びた踊り子は、他の踊り子を生み出す魔術とは違い、防御に長けている。
また運搬作業に使われることも多く、怪力で有名である。木をどけることなど、造作もない。
踊り子は喋ることなどなかったが、ブライアンの命令をただ待機している。
「踊り子よ。お前の時間が続く限り、救護にあたってくれ」
二体の踊り子は静かにうなずくと、早速救護活動に入った。一体は木の下敷きになっている兵士のもとへと駆け寄り、もう一体は別の方へと消えていった。
きっと違う場所で助けを待っている兵士を探しに行ったのだろう。
ブライアンはそれを見届けると、再び走り出した。
(誰かが生きて帰らないのは、分かっていたこと。それがまさか、自分になろうとはな)
決死の覚悟で一矢報いようと、指揮官へと突っ込んでいくブライアン。敵陣はまだ遠く、時々声をかけられて援助していれば、また遠のく。
兵士を救助するだけではなく、ブライアンはゴブリンなどのモンスターも狩っていく。悪魔もオークも、この戦場にいる敵を見つけ次第倒していく。
ブライアンのレベルは、勇者と比べれば低い。そのレベルは165である。
けれど、彼には一族を束ねる長として、経験を積んでいた。レベルでは足りないが、経験で全てを補っている。
攻撃力は高くなくても、技術でカバーをしているのだ。
それに何よりも、彼はヨース一族の現当主だ。指揮官相手ならばまだしも、ただの魔王軍の雑魚兵士に負けるはずがない。
剣を取り、魔術を浴びせて、戦場を駆け巡る。敵の本陣が近付くにつれて、そこを守る魔物も強さを増していく。
それでもブライアンはひるまなかった。彼は死を覚悟している。もう恐れることなどないのだ。
あと数メートルのところまで、彼はやって来ていた。命を削れば、ここまで出来るのだな――と心のなかでつぶやく。
「うおぉおぉお! 来いよ、化け物ォオーッ!」
ブライアンは一気に魔術を複数個展開した。体に負担をかける方法で、誰もがすすめない。勇者ならばまだしも、レベルも低い彼にとっては苦痛しかない。
魔術式がブライアンの後ろに幾つも展開された。眩しいくらいにギラギラと輝いているそれは、ブライアンの命令を待っているようだ。
それを見た兵士達は、酷く驚いていた。これがヨース現当主の本気。それを見ることになろうとは。
ブライアンはその魔術を、余すこと無く発動した。一瞬光り輝いたと思えば、魔術式から光の矢の雨や、炎、凍てつく吹雪、様々な魔術が飛んでいく。
ハインツに大量の魔術が降り注いだ。ハインツのいた場所は、爆発音に包まれている。
炎が上がり、強風が吹き荒れる。光の矢が混じった風は、時々雷のようにビカビカと怪しげに輝いていた。
誰がどう見ても、この様々な魔術が混じり合った空間で、生き残っているものがいるはずないのだ。
「……ハァ、はあ……」
想定以上に魔術を駆使したようで、ドッと疲労が押し寄せる。片膝をついて、ブライアンは息を荒げている。
捨て身の攻撃なのは当たり前だが、それでもやりすぎていた。彼にとっては次の魔術を発動するのが、少々難しい。
本当にこのまま命が尽きるまで戦えるのか、と不安にすら思える。
だが血反吐を吐いてでも、戦い続けねばならない。
じわじわと粉塵が晴れていけば、そこにいたのはハインツではなかった。
緑色のドレスを纏った、灰色の髪の女。そしてその後ろに、ハインツが立っていた。傷など、ありもしない。
「……は?」
それだけではない。その場所には、ハインツしかいなかったはずなのに、ピンク色の少女も佇んでいる。
そしてその脇には、気絶した親友――ラストルグエフ夫妻がふわふわと浮いているではないか。
たった一瞬で、そんなに増えるはずがない。ブライアンはつい先程までハインツだけだった光景が、嘘であったのではないかと疑うほどだった。
「あぁ、どうしましょう……この二人についての処遇を確認していませんわ……。一度、聞きに戻ったほうが……」
「まぁ、契約結んじゃえば戦えないっしょ! そういう契約にしたら?」
「そうですわね……。……キマイラ」
エキドナが呼ぶと、どこからかキマイラが現れる。
ブライアンはその見たこともない獅子のような化け物を見て、酷く驚いている。これに食われるのではないか、と身構えていた。
キマイラはブライアンを見ることもなく、エキドナからの命令を待っていた。
「彼の妻を連れてきてください……。恐らく後ろの方にいるかと思います……」
「かしこまりました、お母様」
「えー! 待って、キマイラだぁー! ちょうかわいい、撫でて良い?」
「もちろんです、ルーシー様。それとはじめまして」
「ハジメマシテー!」
ブライアンが怯えていた化け物に対して、ルーシーはまるで愛玩動物でも愛でるかのように抱きついた。知性のあるキマイラがそれを拒否することなどなく、ルーシーが満足するまでさせている。
キマイラを撫でていたルーシーは、ハッとした表情を作って声を上げた。
「じゃあ、あーしも一緒に行っていい? キマイラとお散歩したい!」
「それは駄目に決まっているだろうッ!!!」
「だよね~」
「失礼します」とキマイラは言葉を残して、戦場をかけていった。それは先程ブライアンが必死に走ってきた道のりのはず。
長く遠い道のりだったはずが、キマイラにとってはどうってことない。高速で走り去って、あっという間に目の前から消えた。
ブライアンは絶望しきっていた。動かない頭で必死に何かを考える。
パッと目に入ったのは、先程からずっと浮いているラストルグエフ夫婦だった。
「その……二人は……」
ブライアンは震える声で聞いた。
大剣を振るうはずの両腕が失われたヴァジム、両目に傷を負ったマリーナ。最後に会ったときは、そんな格好ではなかった。
見慣れた彼らはいない。豪快に笑うヴァジムも、それをいなしているマリーナも。気を失って魔王軍に連れてこられているだけだ。
「彼らは……その、わたくしの部下にしました……」
「な、何を言っているんだ……?」
「戦闘に勝利致しましたので、好きなようにさせていただいた……訳でございます……」
「勝、利……? ヴァジムが、マリーナが、敗北したと……?」
ブライアンには理解できなかった。
勇者を生んだあの夫婦が、負けるだなんて思えなかった。誰かが死んでしまう戦いだとは分かっていたが、ヴァジム達は生き残ると、心の何処かで思っていた――願っていたのだ。
しかしそれは呆気なく砕け散った。ヴァジム達と戦ったと思われる女は、傷一つすらない。
それどころか、ブライアンの攻撃を受けてもなお、無傷を保っている。
何故そこまで力の差が生まれるのか、ブライアンには分からなかった。彼の中には〝レベル199〟という、固定概念があるからだ。
勇者を殺すために生まれた、レベル200の集団。そんなものが存在するだなんて、誰が思うだろう。
「相手が悪かったんだし。人間ごときがあーしたちに、勝てるはずがないんだよね」
「人間……ごとき……」
軽口を叩くように、ルーシーが追い打ちをかける。
見た目は人間と遜色ない少女のはずが、口から出るのは「自分は人間ではない」といったような言葉。
種族というどうしようもない理由で、己の敗北を伝えられたブライアンは、酷く絶望していた。ヨースの一族が長い年月をかけて築き上げてきた功績は、ただの種族の壁で崩れ去っていく。
彼が人生をかけてきた魔術も、目の前のエキドナによって何事もなく防がれてしまった。
ブライアンは両手を地面について、己の無能さを嘆いていた。ポタポタと地面を濡らしているのは、その両目から零れ落ちる涙であった。
プライドも技術も、友情も、人生も何もかもが終わる。
「その……どう致しますか……? その、わたくしはパルドウィン王国を任されましたので、ヨース夫婦も管轄に入ります、入ります……」
「えっ、きーてない!」
「あ、は、はい……アリス様からの伝達を待っておりまして、言わないようにしておいたのです……申し訳ございません……」
「えー、じゃあ城は?」
「ハインツ様とエンプティ様で守られるかと……」
もはやブライアンにはその会話は届いていない。そもそも、届いていようがいまいが、魔王軍であるエキドナ達には関係ない。
ブライアン程度、取るに足らないのだ。情報漏洩したところで、何の意味もなさないのだ。
「ルーシーッッ! 奴の妻が来たぞッッ!」
「あ、そーだった」
そんなところへ、キマイラがブライアンの妻・ノエリアを連れて戻る。ノエリアの顔は恐怖に染まっていて、傷もないことから、戦わずに素直に従ったのだろう。
それもそうだろう。キマイラのレベルは、160。それに対してノエリアは140だ。抵抗なんてして、反撃を喰らえばノエリア程度ひとたまりもない。
二人の指揮官を失った戦場は、完全なる殺しの場となっていた。
王国兵士は逃げるすきも与えられず、ただただ虐殺されていく。そんなむごい光景を目の前にして、ルーシー達は当たり前のように会話を続ける。
「ど〜する? いちおーエキドナと戦って負けたら、隷属契約を受け入れるのでもイーケド」
「……私は、彼女と戦って勝てるのか」
「ん〜、ムリ!」
無邪気な少女の微笑み。すでに全てを打ち砕かれていたブライアンには、眩しいくらいだった。
こんなことがなければ、ただの可愛らしい少女だと和やかになっていたところだろう。
「はっきりと、言うのだな……」
「だってエキドナは、防御では最強だかんね〜」
「は、はははは……」
どさり、とブライアンの横にノエリアが座った。表情を見れば、静かに涙を流している。
ブライアンもそれを咎めることはなかった。ブライアン自身も涙しているのだから。
それにこんなことが起きてしまえば、もう泣いてしまうしかない。人間は感情が決壊すると、無条件に泣いてしまうのだなと痛感した。
それでもノエリアは、申し訳無さそうにブライアンを見つめる。
「……ノエリア」
「あなた……ごめんなさい」
大した抵抗も出来ないまま、ただ付いてきてしまったこと。己の無力さを恥じていること。様々な感情が、その謝罪に含まれていた。
ブライアンはそれを否定しなかった。彼も同様に、抵抗は無駄だとわかっていたのだ。
「安心するといーし。アリス様はご寛大だから、立ち向かわなきゃ殺されない」
「……そうか」
「受け入れましょう、あなた」
「…………ああ」
軍vs軍、終了しました。
さてお次はやっと本命のアリス達。
完結まで残り七話です。