影を追う
出来る限りのスピードを出して、オリヴァー達は走っていた。どこに向かうべきかも分からず、ただひたすら長く広く――暗い廊下を走っている。
追手がないことを見ると、両親がうまく足止めしているのだと考える。
しかし彼らにもスタミナは存在する。長い間、同じペースで走っていられるわけがない。一番スタミナのない、コゼットが疲れたことで三人は足を止めた。
どれくらい走っていたかは分からない。
ただがむしゃらに、勇者たるオリヴァーが逃げという道を選ばざるを得なかったのは確かだ。
これではあのとき見逃した、魔王に顔向けすら出来ない愚かさだ。
「……はぁ、はぁ……ここまでくれば……」
「せ、戦闘音も、……聞こえ、ないね……」
「僕の両親の姿も気配もない。どれだけ広いんだ、ここは……」
ゼェハァと深呼吸をする。息を整えながら、今まで走ってきたところを思い出していた。
途中でアンゼルムの両親にすら会わず、どこかで戦いが起こっている様子も確認できない。
王国軍の声も姿もなければ、アリス率いる魔王軍を見ることすらなかった。本当にここには、オリヴァー達しかいないのではと思わせるほど、静かな場所だ。
転移させられたのは、一部の人間なのではないかと思わせるほどだ。
だがその静けさは、穏やかな気持ちになる静けさではない。体が震えて、背筋が凍るような不気味さを醸し出す静寂だった。
そんな中。コツン、と靴音が響き渡った。
先程のことを思い出せば、もしかしたらあの緑の女が追いかけてきたのでは――と嫌な予感が過る。
「ねえ、オリヴァー!」
だがコゼットが見つけたのは、あの女とは別の人影。背格好こそ似ていたが、少し身長が低く、身を包む衣装も黒が多い。
先程の蛇のような様相の女とは、違うようにも思えた。
女はオリヴァー達を一瞥することなどなく、ゆっくりと動いて廊下の角を曲がった。
この魔王城の中を自由に歩き回れる存在など、魔王軍の仲間に違いない。そう判断した三人は、お互いに顔を見合わせると深く頷いた。
「あぁ、見たよ……! きっと魔王軍だ」
「行こう、追うんだ」
「うん!」
三人はその場を飛び出した。女が曲がっていた角に向かって走り、女に続いていく。
つい先程曲がったばかりの女は、既に遠方にいて、再び廊下を曲がる。その間もオリヴァー達を一瞥すらせず、ただ先を行くだけ。
その姿が見えるか見えないかというぎりぎりのところで、彼女はまた別の角を曲がっていく。
廊下には三人の走る足音と、女のゆったりとしたヒールの音が響いている。
オリヴァー達がどれだけ走って追おうとも、女は先を行くばかりで捕まりやしない。あまりの追いつけなさに、段々とそのヒールの高らかな音が苛立ちを誘う。
「くそ……弄ばれてるな!」
「……やっぱり?」
一度二度ならばまだしも、それが何回も重なれば分かってしまう。
ただの偶然ではない。まるで誘導しているみたいに、弄ばれているのだ。
オリヴァー達もそれを分かっていた。だが先を行く女は、何もない城で唯一の手がかりだ。悔しいが彼女についていくしかなかった。
「二人はあの女を見たことがある!?」
「いや……僕は知らない」
「あたしも見たことないよ……」
三人は己の記憶の中に、誘導している女がいるかを確認する。
彼らを導いている女は、黒いドレスを纏っていた。派手な装飾こそなく、シンプルであるものの、女の美しさを際立てている。
異様なほど静かで不気味なこの城に、よくマッチしているようにも見えた。
毛先にかけて緑に変わっていくその髪色は、一度見れば忘れられないだろう。
だから三人は、己の知識の中にあの女がいないことがすぐにわかった。
記憶にある魔族といえば、ついさっき、ラストルグエフ夫妻とともに置いてきた女だ。彼女は都市でユリアナを誘拐した事件の際、アンゼルムとコゼットが対峙した魔族だった。
ぼんやりと覚えていた記憶の中に、あのような女がいたことをアンゼルムは思い出す。
「強いて言うなら、先程、英雄様と対峙していた魔族が……恐らく、首都を襲ったときに戦った相手だ」
「! そうだね! あの霧の――あ、ごめん……」
「……いや、いいんだ」
それは誰にとってもいい記憶ではない。大切な仲間であるユリアナを奪われた記憶。
為す術もないまま、相手に逃走を許してしまった。
オリヴァーはそんな思い出を掘り起こした二人を、責める気などない。あの頃はユリアナを奪われ、怒り狂っていたが、現在は冷静だ。
世界をかけた戦いに身をおいている以上、理性的でありたかった。オリヴァーにとってユリアナは全てではあるものの、それ以上に彼の背中にはこの世界の命運がかかっている。
それにオリヴァー自身も、首都での襲撃時に何も出来なかった。勇者たる彼が相手を追い詰められぬまま、ユリアナを追うことも出来ずにいた。
だから二人ばかりを責めるというのは、あまりにも自己中心的すぎるのだ。
そんな会話をしていると、追跡していた女はある部屋に入り込んだ。三人はそれを見逃すことはなく、お互いに顔を見る。
「おい、オリヴァー! 見たか!?」
「うん。あの部屋に入っていったね」
「……てことは」
この部屋には、なにかがあるのだ。
ゴクリ、と誰かがつばを飲む音が響く。
それもそのはず。この部屋から、尋常ではないほどの力が溢れている。それも、恐ろしいほどの気配だった。先程の魔族・エキドナなんて、ただの前座だと思わせるほどの強さ。
先日、森の中で出迎えたあの魔王と、違うのではないかと錯覚させる。きっとあのときは加減をしていたのだな、と痛感してきた。
オリヴァーは本当に彼女を倒せるのか、と不安に陥る。
だがここで挫けていては、諦めていてはいけない。無事にユリアナを取り戻して、再びパルドウィン王国の地を踏まねばならない。
「……ひしひしと感じるよ。禍々しさを」
「魔王、か」
三人はしっかりとした足取りで、扉の前に立った。恐ろしさはあったが、それ以上に勇者の仲間という使命感によって地に足をつけていた。
目の前にあるその重厚な扉は、以前の魔王戦争の際に見たことがあった。
魔王の命乞いによって情けなく終わった、前回の戦争。
あのときとは、気持ちが違っていた。圧勝を収めてこの場所まで辿り着き、体力も何もかも余裕があった。部下の魔物達を蹴散らして、呆気ないなと寂しさすら覚えていたほどだ。
だが今はどうだろう。
扉に手をかけることすら、覚悟の必要なことになっていた。同じ部屋のはずなのに、全く違って見えていた。
「……ここは、玉座の間か」
「そういえば前代の魔王のときにも見たな」
「魔王城なんだって、よく分かるね……」
何よりもあの時と違うのは、人数が減っていたこと。あのときはパーティーの五人が全て、揃っていたのだ。
今となってはそれも叶わない。パーティー随一のヒーラーであったマイラは、プロパガンダの際に死んでしまった。オリヴァーの愛する魔術師であるユリアナも、魔王によって誘拐されてしまっていた。
それも全て、この部屋の中にいる女がやったこと。
これ以上、悪行を許してはならない――オリヴァーはそう心に決める。部屋の中にいるこの城の主を倒し、再び明るい未来を照らすべきだと。
「行こう」
オリヴァーの言葉を聞いて、アンゼルムとコゼットは頷き返す。三人はようやく来るところまで来たのだ。
オリヴァーは扉に手をかけた。扉はギィと重い音を立てて、ゆっくりと開かれていく。
この先にいるのは、悪魔か。この後に起こるのは、地獄なのか。それは誰にも分からなかった。
オリヴァー編の完結までかけました(おせーよ)
現在続編のジョルネイダの勇者の方を書いております。