勝算2
城内に、轟音が響き渡った。
その原因は、アリスが放った魔術でもなく、オリヴァー達の戦闘の音でもない。マリーナ・ラストルグエフが、命を削る思いで発動した魔術だった。
その魔術は間違いなく、エキドナに命中していた。確かな手応えを感じて、大幅に有利になったと喜んでいた――はずだった。
「……は? おい……なんで、立ってるんだよ……?」
「ゲホッ……ど、う……なった?」
「おい、喋るな! 休んでろ……」
辺り一帯に舞い散った粉塵が消え去っても、そこにしっかりと両足をつけて立っている女。エキドナ・ゴーゴンは、パルドウィンきっての大魔術師――マリーナが命を削るほどの魔術を受けてもなお、そこに佇んでいた。
その顔は非常に寂しそうだった。
必死に生きようと抵抗している人間に対して、エキドナは大したこともしてやれない。彼女が何を言おうとも、ヴァジムとマリーナの神経を逆なですることしかできなかった。
それでもエキドナは謝罪する。
「そ、その、申し訳御座いません……。力を振り絞って、強大な魔術を……成功させてくださったのですね」
「…………っ」
「いき、て……?」
ヴァジムは言葉をつまらせた。元より学のある男ではなかったが、こればかりは言語化することが出来なかった。
妻に比べれば魔術には詳しくはない。それでも、彼女が放った魔術に関しては、それなりに聞かされていた。
何よりも、マリーナ自身の体力値を削って放つ魔術だ。ヴァジムを始めとする囮役が、それを知ってカバーしなければならないほどの強大な術。
もちろん、これが初めての展開じゃない。長い人生の中で、何度も見てきた。だから、その威力はよく知っていた。
そんな中、この女は普通に立っている。
服がボロボロになるわけでもなく、肌が傷ついているわけでもない。彼女の周りは魔術で崩壊し、壁が崩れて外が見えているというのに。
その真ん中にたっている、エキドナは無傷だったのだ。
「ですが、わたくしにはスキル〈不屈の闘士〉が御座います。このスキルによって……その、強い攻撃は……一定回数無効化されてしまいます……」
これが答え合わせだ。エキドナを最強の盾と言わしめる能力――〈不屈の闘士〉。
一定回数、エキドナの体力値を半分削る攻撃を、無効化することが出来る。またその回数が切れた際には、下位互換の別効果が発動する。
何にせよ、エキドナの体力を完全に削り切るには、相当の労力が必要だということだ。
ヴァジムもマリーナも、そんなスキルを知るはずがない。エキドナが丁寧に説明をしようとしても、頭がついてこなかった。
絶望と驚きで、真っ白の頭。まるで異国の人間が、言語を放っているかのようだ。二人にはそれほどで、何も理解できなかった。
「は、あ……?」
「何言って……」
「あと何度か撃っていただければ、攻撃も通ります……。常時回復スキルもありますので……その……連続で数十数百と撃ち込んで頂ければ、あなた方の勝利です、勝利です……」
〈不屈の闘士〉は回数が決められているため、先程の魔術と同等の威力を有した攻撃であれば、何度か――何百か打ち込めば、ヴァジム達に勝利が見いだせる。
それにエキドナは常に体力値が毎秒四割回復している。それでカバーが出来ないくらいに高頻度かつ、高威力の魔術や攻撃を展開し続ければ、彼らに勝機があるのだ。
だがそんなこと、二人には出来ない。むしろ、オリヴァーにすら難しいかもしれない。
この世界でそれが可能なのは、アリスと、アリス率いる魔王軍幹部くらいだろう。
「そん……」
「何いってんだ、化け物か……!?」
「化け物……そうですね……。わたくしは……そうなるのですね……」
エキドナは苦しそうに呟いた。
ぎゅっと手のひらを握りしめて、その言葉を重く受け止めている。
アリスから生み出して貰ったこの体を、嫌っているわけじゃない。けれど、弱く儚い、守るべき存在と認識し始めた人間に、化け物扱いされるのは酷く心苦しいものだった。
わかり合おうとは思っていない。己のこの感情は、アリスの意思に反するもの。
エンプティであれば、きっと反逆罪だと言ってエキドナを処刑するよう申し立てるだろう。
だがアリスは怒らないだろう。諭すように何かを言うかもしれないが、エキドナの意思を無下にしたりしない。アリスの道を邪魔しなければ、問題ないのだから。
もちろん、エキドナのその〝守りたい〟〝傷つけたくない〟という気持ちが、勇者達にも同じく向くのであれば。アリスの意見は覆る。
エキドナもそれは分かっているし、口に出すつもりなどない。
「苦痛が長引くのは、こちらも心苦しいですから……。終わらせましょう、終わらせましょう……」
肉体的にも精神的にも、ラストルグエフ夫妻には負担がかかっていた。これ以上の戦闘は、双方において気持ちのいいものではない。
そろそろこのあたりで終わらせてあげたほうが、夫妻にとってもエキドナにとっても、いいことなのだ。――彼女の中では。
エキドナはカチャリと武器を構えた。今までただ持っていただけの大鎌を、戦うために握っている。
グッと足に力を込める。
その場に小さな砂埃を残して、エキドナが消えた。常人では捉えられぬ速度で、エキドナは動いたのだ。
スピード専門であるベルやリーレイに比べれば、エキドナのスピードは遅いなんてものじゃない。数値的にはパラケルススとほぼほぼ代わりはないのだ。
一定の場所で立ってただ守るだけのエキドナに、超高速のスピードは求められていないからだ。
「ぐっ、そんなスピード出せたのかよ……ッ!」
英雄の領域となれば、エキドナ程度の速度は大したことはない。だがヴァジムにとって、ずっと〝合わせられていた〟という事実が、気に食わなかった。
そのスピードは、ヴァジムと同等レベル。戦いとしては互角だ。
いきなり高速になった女を、ヴァジムは必死に追った。本気を出していなかったということは悔しく、そして突然の速度に反応が少しだけ遅れた。
エキドナが飛び出した先を目で追えば、そこには疲弊したマリーナが座っていた。
体力も魔力も削って発動した魔術。その反動のせいで、普通の人間よりも動きが鈍い。今のマリーナは、一日中魔術を放っていた魔術師とも等しい。
体力の有り余っているヴァジムですら苦痛を強いるという、エキドナの大鎌では一溜まりもないのだ。
ヴァジムはありったけの力を振り絞って、エキドナとマリーナの間に滑り込んだ。
金属音があたりに響いて、エキドナの構えていた大鎌が少しだけ逸れる。
「行かせるかよ、化け物!! こいつは……この女は、俺の唯一無二だ!」
「……ヴァジム……」
「まぁ、まぁ……。であればあなたを先に……」
「簡単にやられて、たまるかぁああぁ!」
エキドナに抵抗すべく、ヴァジムはその屈強な両手で剣を振るった。
振るった、はずだった。
「………………え?」
ボトリ、と虚しい音を立てて、大剣を持っている両腕が落ちる。床がじわじわと血液で満たされ、落ちたままの両腕は動くことはなかった。
大鎌には血液がべっとりと付着していて、その獲物でヴァジムの両腕を切り捨てたのだと分かる。
だがヴァジムも、マリーナも、頭が真っ白になって理解に及ばなかった。
「ヴァジム……? いや……、どうして……!」
「俺の、腕、が……?」
じわじわと理解してきたところで、ヴァジムは両膝を付いて倒れ込んだ。
エキドナが鎌による初撃を与えたことで、効果が発動したのだ。一気に体力を半分削られたヴァジムは、抵抗も出来ぬままだ。
切られた部分からは血液が流れ続け、このまま放置しておけば毒の効果がなくとも、失血死で死亡するだろう。
エキドナはそんな脆弱な生き物を、申し訳無さそうな瞳で見下ろしていた。この程度で死んでしまうような、可哀想で弱い生き物を。
コーヒーが大好きで毎日飲んでいたのですが、最近の冷えも相まって胃腸が死んでしまいました。
追い打ちをかけるがごとく、カフェインを摂取することで余計に大荒れに……。
病院に行ったわけじゃないですが、カフェインを断ったらピタッと腹痛が止まったので、そういうことですよね……泣
白湯が美味しいです……。