移民立候補
「はぁ……」
ここはアベスカ城の、マリルに与えられた部屋。〝質素倹約〟のアリ=マイアの教えのもと、シンプルで飾り気のない部屋だ。マリルほどの年齢の娘であれば、もっと洒落た内装に出来ただろう。何よりも王族出身だ。姫君らしい部屋になるだろう、と誰もが想定する。
しかしこうなっているのは、彼女がアリスに必要とされているのが〝姫〟としてではなく〝聖女〟として、だからだ。助けられた身としては、それをわきまえている。
何にせよ、ここ最近は、面談のための部屋となっていた。
マリルは持っている資料に目を落とすと、再び大きくため息を吐いた。資料には人々の名前や経歴、特技などなどが詳細に書かれている。いわゆる、履歴書だった。
マリルはウレタ・エッカルト魔術連合国へ〝入学〟するための、人員を選定していた。ウレタにて厳しい聖女の訓練を受けてきた彼女であれば、それは難しいことではない。
しかし彼女の中で持ち上がっている問題は、それではなかった。そもそも立候補してくる人間が、期待以下なのだ。
(皆様、やる気があるのは良いのですが……。余りに適性が不足している……。アリ=マイアが魔術に、遅れを取っているのがよく分かりますね)
アリ=マイアはただ単純に、情報や世情に遅れてしまっているのではかった。そもそも人間の魔術能力自体が低いのだ。だから元魔王であるヴァルデマルなど、魔族に襲われやすかったのだろう。きっとヴァルデマルが拠点を作ったのが、別の場所であれば。また未来が変わっていたに違いない。
しかしそう思うマリル自身も、聖女と言う割には他国の冒険者にも劣る。アリ=マイアのなかでは秀でているかもしれないが、それは井の中の蛙。パルドウィンやリトヴェッタの精鋭に出逢えば、彼女の価値は変わるだろう。
一国の姫君としての価値は残るかもしれないが、聖女として使えるかと言えばノーなのだ。
未だに書類を見ながら難しい表情をするマリル。そんなマリルの部屋の扉が、荒々しく突然開いた。少し驚きつつも、誰だか見当がついているマリルは扉の方を見やる。
「いやっほー! マーちゃん、やってるぅ?」
「ルーシー様。あちらはもう、よろしいのですか」
彼女の部屋にノックもせず入ってくるのは、現在のマリルの上司にあたるルーシーだった。彼女が入ってくるのを見ると、マリルは椅子から立ち上がった。上司に対する礼儀である。
ルーシーは作法も何も知らない上に、気にするなと気を遣うこともしない。突然立ち上がったマリルに何の疑問も抱かず、礼儀など無視をする。当然だが彼女から「楽にしていいよ」などという言葉が返ることはない。
代わりにルーシーは、手に持っているおぼんを見せびらかした。アベスカの高級なおぼんに乗っていたのは、料理長によるできたての菓子。休憩を促すために貰ってきた、使用人お勧めの菓子だ。
「一通りねー! ほらほら、お菓子持ってきたし! 息抜きしよーぜぃ」
「まぁ。ありがとうございます。お茶を淹れますね」
「やったぁー!」
マリルはそのまま机を離れて、部屋に用意してあったティーセットに向かう。本来であれば姫君であり聖女であるマリルは、そんなことをするべきではない。使用人やメイドに任せて、彼女は椅子で座って待つだけだ。少なくとも、ウレタで平和に過ごしていた頃はそうだった。
だが今はもうそんな立場ではない。国を失い、アリスに支配される存在だ。もう姫君だからと可愛がられるマリルではないのだ。
今は目の前にいる堕天使の少女の、一介の部下でしかない。
「そいで、最近はどう?」
「うっ……」
紅茶を用意しているマリルに対して、ルーシーは単刀直入に切り込んだ。マリルは明らかに〝まずい〟といった表情を作っている。鈍感気味なルーシーでも、その表情くらいは汲み取れる。
何よりも上長であるルーシーに、採用したという報告があまり上がってきていないのだ。
「ソッチョクに言っていーよ」
「……で、では。僭越ながら……」
マリルは受けた印象や、やって来ていた人達について一通り話し始めた。頭の悪いルーシーでも分かるように噛み砕いて説明すれば、うんうんと相槌が返ってくる。こういうところの相性もいいのだろう。変に高圧的でなく、ルーシーが分かりやすいよう丁寧に説明をしてくれる。
そしてどれだけ状況が芳しくないかを理解すれば、ルーシーですら頭を抱えた。
「そっかぁ……」
「恐らく、もう少し適性がある方々は、戦争で亡くなってしまった可能性があります」
「は!? なんでなんで!?」
「力のあるものは、兵士として駆り出されているはずですから……」
「なる……」
将来有望であっただろう若者たちは、戦争に駆り出されて命を落とした。アベスカで今生活しているのは、子供や年寄り、女性ばかり。もちろん戦争を生き残った若者も存在する。だがその彼らがマリルやルーシーの求める人材と合致するか。それが問題なのだ。
戦争から生き残っていても、満身創痍である可能性が高い。もちろん、アリスの魔術があれば傷なんてすぐに癒やして、勉学に励むことだって出来る。だがそれは最終手段であり、希望者が居た場合だ。
それに体は無事だとしても、心に傷を負っている場合がある。それを無理に癒やしてまで、教育させるのは恐怖による支配と何ら変わらない。
自軍に引き入れて戦力として扱うのならば、きっとそうしただろう。だが特にアベスカは、最初に支配をした国ということで、アリスも愛着がある。そこに住んでいる人間を、奴隷のように扱う気にはなれないのだ。
もちろん、教育に入るのだから、ある程度何も出来なくたって良いのだ。しかし〝最低限〟というラインは存在する。この程度の魔力量がある者。適性が存在する者。危険なく安全に教育が行えるような、本当に最低限度のライン。
それすらも合格できていない。そんなものばかりだ。
「……あの、ルーシー様」
「うん?」
「何かわたくしに、用があっていらしたのですか?」
「あ! そだった! あんねぇ……」
魔術空間をゴソゴソと漁るルーシー。そして取り出したのは、二つの資料だった。そこに書かれている名前は、兵士団団長と副団長の二人の名前。フィリップ・アルヴェーンとカイヤ・ニッカの二人だった。
アリスが支配する現在のアベスカでは、もう遠征に出される心配がない。ライニールがなんと文句を言おうが、兵士団を動かせるのは幹部以上の者だけ。だから二人は、ライニールによる「気に入らないから遠征させる」という理由で、また遠出することはなかった。城内で見回りや、騒ぎの制圧などの細々とした仕事をしているのだ。
「なんかねー、兵士団の団長と副団長が、立候補してんだって」
「それは……。是非お会いしたいです」
マリルの瞳がきらりと輝いた。彼らのレベルと練度を知っていれば、一度は会ってみたいだろう。彼らこそマリルが探していた、適性も魔力も申し分ない存在になり得る。
何よりも戦闘経験もある。実践で魔術を扱うにも、もってこいだ。魔術師不足が嘆かれているアリ=マイアでは、貴重な存在になるのだ。
しかし立候補した二人が、魔術連合国に光を見出して我こそはと声を上げた訳では無い。まだアリス率いる新たな魔王軍に対して、いい感情を持ち合わせていないのだ。監視の意味も含んでいるのだ。
フィリップとカイヤが監視したところで、どうにかなるような存在ではないのは、二人も承知しているのだが。
「やっぱ? そう思って、今日の夕方に面会予定入れてんだー」
「まぁ! それでしたら、他の仕事は……」
「間に合うようにキャンセルしといて」
「承知致しました。ご納得いただけるよう、丁寧に説明しておきます」
「よろしくぅ」
そんなわけで、現在マリルはアベスカに常駐し、選考を行っている。
それとは別に、魔術連合国を任された他の面々は、ウレタ・エッカルトの二国に渡っていた。一刻も早く教育に励めるように、各種施設を建設しているのだ。
人数が圧倒的に少ないとは言え、魔術に長けた強者揃い。普通の建設作業に比べれば、遥かに早いスピードで進んでいた。一部は設備が完成していて、面接を受けて合格を貰った人間は既に利用を始めていたりもする。
教師となる魔術師達全員が、建設に携わっていることもあり、学校はまだ始まっていない。それでも一日でも早く知識を身につけるべく、用意されただけの教材で勉強を始めているものだっているくらいだ。
しかしすべての施設が使えるわけではないため、まだ本格的に住み込むわけにはいかない。建物は出来ていても、家具の搬入や、飲食店がまだ開いていなかったりする。
それに向こうに渡ったら、二度と帰ってこられないわけではない。
むしろ普通の旅行よりも、もっと自由に行き来できるだろう。移動距離が長いアリ=マイアのデメリットを、アリスとルーシーの魔術でなかったことにするのだ。
アリスの提案で、定期的に〈転移門〉を開いて、日に何度かアベスカへ行き来出来るようにすることになった。
今後、人が増えればまた制度が変わるかもしれないが、一日に何度も国に帰ることだって可能だ。希望があれば、アベスカから通うことだって出来るだろう。家族がいるものにとっては、嬉しいはずだ。
授業を受ける人間が、アベスカから通学しようが、どんな選択をしようが構わない。だがルーシー側としてはせっかく居住区も設けたので、利用してほしいという気持ちはあるのだった。
何よりもアリスが、いちから作り出した都市だ。そこにたくさんの人間が訪れ、住み込み、賑やかになっていくのは――ルーシーとしてはとても嬉しいこと。そしてそんな場所を任された幹部としては、なんとしてもこの事業を成功させるつもりだった。
投入されている人員も、精鋭揃いだ。失敗が出来るはずがないのだ。
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最近寒くなってまいりましたね。
冷え性なうえに雪国に住んでるもんで、生きづらいことこの上ないです。