19話
行き先を尋ねると「大森総合病院」と返された。葵は合間を見てすすきに電話をしたのだが、連絡はつかない。友人と話し込んでいるのかもしれないが、それでも胸に不安が過ぎった。
「大変なんです、娘が……!」
病院に着き、神谷を見るなり駆け寄ってきたのは鹿見香奈の母親だった。本人も先日の事件で腕を切りつけられ、包帯を巻き三角巾で吊っている。
「話を聞かせてもらえますか」
わなわなと震える母親を病院の待ち合い室へ連れていくと、その容姿に見合わず優しげな言葉をかける。
「大きな音と娘の悲鳴を聞いて、慌てて見に行ったんです。そしたら床に倒れているんです。ほら、あんなことがあった後でしょう。私、気が気じゃなくて」
母親は小さく震え、顔を青くしてそう言った。殺された父親の初七日が昨日。今日もお参りに来るお客さんがいるかもしれないと思い、母親と娘、そしてお手伝いさんは自宅で過ごしていた。そして11時をいくらか過ぎたころ、急に娘の悲鳴が家に響き渡ったそうだ。急いで駆け付けると、苦しみもだえる娘・香奈の姿があった。
「娘の部屋の窓が割れていました。倒れた娘の右腕が赤黒く腫れて……」
「葛葉、見てきてくれ。飯島も一緒にも」
神谷に言われ、葵たちは病室へ向かう。ベッドに寝かされていた香奈は眠っているようだった。額には汗が浮かび、苦しそうに顔をしかめている。病院着をからのぞく右腕は母親の言うとおり赤黒い。
「おそらく呪い返しですね」
腫れた患部を観察し、しばらく考えていた葵が口を開いた。腕からは呪詛の残滓を感じる。なかなか手痛いしっぺ返しを食らったようだ。
「詳しいことは調べてみないと分かりませんが、鹿見香奈が誰かを呪い、それが跳ね返された」
大方の検討はついている。おそらく鹿見はすすきを狙った。そして跳ね返されて自分に被害が及んだのだろう。これは予想だが、窓ガラスが割れていたのは外部からではない。返された衝撃で内部から割れているだろう。
「では今回の件、例の事件とは無関係と考えても?」
「ええ」
まあ完全に自業自得だろう。本人はしばらくツラいだろうが、人を呪わば穴ふたつ。ましてすすきに嫉妬して返り討ちにあったのだから、葵としてはざまあみろとなじってやりたいくらいだ。
今回は呪いが返されたので一方的に被害を受ける者はいなかったが、例え成立したとしても現在の法律では呪った側を裁くことはできない。被害届けを出しても、逮捕できるだけの充分な証拠が集まらないからだ。
しかし警察としても不可解だ不思議だという理由で放置するわけにもいかず、特殊な専門家に依頼して事の解明に励む場合がある。
病室を後にして神谷と合流し、報告をした。あの死神のような鋭い眼差しをにっと細める。
「さすがは鼻が利くな、祓い屋」
「お褒めの言葉をどうも、不良刑事さん」
時間を見計らい、葵はもう一度すすきに電話をした。しかし連絡はつかず、不安は増していくばかりだ。
深い逡巡ののち、葵はアプリを起動させた。本来あまりその使用は褒められるものではないだろう。プライバシーも何もないし、すすきに知られたら幻滅されかねない。言い訳をさせてもらうのなら、浮気や不貞を疑っているのとは違う。ただただ彼女の身の安全を知りたいだけだ。
「……なんでこんなところに」
GPSが指し示す彼女の居場所に、葵は強い不審を抱いた。
◇
間宮はにこやかな顔でうんうんと頷いた。
「ラッキーだなぁ。すごくラッキー」
「……?」
恐ろしい女から逃げ切って、ふたりは適当なコンビニで休憩しているところだった。
「だって、きれいなお姉さんと図らずもバイクデートしちゃったんだもん」
「デートじゃないと思います。……でも、さっきはありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、持っていたヘルメットを間宮に返そうとした。
「私、友だちに会いに行くのでここで大丈夫です」
「近くまで送ってあげるよ」
「いいえ。さすがに悪いですから」
「でもここがどこか分かる? 逃げなきゃと思って必死に走らせたから、けっこうマイナーな道だよここ」
確かにそうなのだ。周囲の風景にはさっぱり見覚えがなく、ここがどこなのかとんと分からない。ついでに渡そうと思っていたお土産も、さっきのどさくさで紛失していた。持ち物といえば財布とスマホが入った小さなショルダーバッグだけだ。見知らぬ土地でひとり。かなり心細い。
「えっと、地図アプリを駆使すればなんとか……」
「遠慮しないで。どうせ俺もその辺走りたかったし、ドライブついでに送ってあげるよ。お礼は今度コーヒーでもおごって」
にこにこと笑う間宮は、葵のような華はなくとも好青年に見えた。清潔感のある服装に、手入れの行き届いたバイク。気安く話してくれるので会話に困ることもない。
ただやっぱり、葵ほど気を許せない。初対面でぐいぐい来られたのはふたりとも同じだけど、間宮にはないものを葵は持っている。一緒にいて安心できるのは葵だけだ。
ここは一度葵に連絡して迎えに来てもらうのもありかもしれない。この状況を知ったらきっと葵はよく思わないだろう。怒るかもしれない。でもこのまま間宮の世話になるよりはそっちが良いはずだ。
しかしすすきの胸中などおかまいなしに間宮は準備万端で彼女を待っていた。
「ほら、乗って乗って」
善意のかたまりがニコニコしている。うう、と小さくうめき、すすきはお世話になることを決めた。この好意をむげにするのも気が引けたのだ。
「危なくないようにこれで結ぶね」
そう言って、間宮は幅の広いベルトでふたりをお腹をぐるりと一周させた。ゴムのように伸縮性があり、お腹周りがくっと締め付けられる。カチンとフックがかむと否が応でも間宮の背中にくっついてしまった。
「ちょっと窮屈だけど、落ちたら大変だから辛抱してね」
そうは言うがこれじゃ咄嗟に身動きがとれない。だが文句を言う前にバイクは発進した。小道をすいすいと進み、あっという間に大通りへと出てしまった。車やバイクの音が大きくて思うように会話ができないし、間宮はどんどん進んでしまうし、それが妙に恐ろしく思えてきた。ベルトでがっちり固定されていて降りることもできない。
(とりあえず、葵さんに連絡しなきゃ……)
交差点での赤信号。身をよじってバッグからスマホを取りだすと間宮が振り向いた。
「あ、電話? 俺が説明しよっか。ちょっとスマホ貸して」
言うや否や、すすきの腕を強くつかみ、スマホをとりあげてしまった。
「何するんですか!」
信号が青になったと同時にバイクは急発進して、スマホはゴミのように道路脇の茂みに捨てられた。ものすごいスピードで遠ざかり、絶望にも似た気持ちがこみ上げる。連絡手段を断たれた。
「もしGPSで跡つけられたら面倒だもんね」
「……どうして……!」
「あ、無理に逃げようとか思わない方がいいよ。そのままバイクでひき殺してやるから」
明るい口調なのにどこまでも冷たい声。
その瞬間、すすきは悪魔の罠にかかってしまったのだと悟った。




