18話
間宮はすすきの手を引き、どんどん歩いていく。パン屋を離れ、どこまで連れて行く気だろうと少々不安に思っていると、そこは高架下の駐輪場だった。暗くじめっとした場所に原付や二輪車が乱雑に並んでいる。ゴミは落ちているし、なんだかイヤな場所だ。
「あ、ごめんね。こんなとこまで連れて来ちゃって。でもここまでくれば大丈夫だよ」
その時ひやりとした空気が背中を撫でた。爽快とかそんなものではなくて、刃物を突きつけられた時に味わうような、そんな冷たさだ。不安になって辺りを見回す。
「なんだあれ……」
間宮がぽつりとつぶやいた。その視線をたどると、少し離れたところに黒い人影のようなものが見えた。誰かいるのかと思ったけれど、陽炎のように輪郭をゆらゆらさせているのだから人ではない。もっと別の、恐ろしいもの。
「すすきさん、あれ見える……?」
すすきは掠れる声で「はい」と答えた。
暗がりのなか、その影が動いた。よく見るとそれは黒いワンピースを着ている女のようだった。表情はわからないが、長い髪を背に垂らした女が一歩ずつこちらへ向かっている。動きはゆっくりだが、ひりつくような恐怖がすすきを襲った。
『……じゃえ……死んじゃえ』
ぶつぶつと聞こえる小さな声は「死んじゃえ」と繰り返し言っているように聞こえる。しかもどこか楽しそうだ。オモチャが壊れるのを見て喜んでいる子どものようにも思えて、すすきは背筋が凍る。一歩一歩、それは確実にすすきへと近づいているようだった。
「逃げよう!」
間宮の声ではっと我に返ったすすきは、彼に引っ張られて一歩下がる。だけど視線はその女から逸らせない。逸らした瞬間に襲いかかってくるような気がしたのだ。
ガチャガチャとなにかを操作する音、それからエンジンがかかる音。それを近くで聞きながらも、すすきはまるで金縛りにあったかのようにその場から動けなかった。黒い女はぶつぶつ呪詛を吐きながら手を伸ばした。まるでその首を絞めてやると言わんばかりに、両腕をめいいっぱい伸ばして。
突然、女とすすきの間にバイクが割って入った。
「乗って!」
間宮だ。自分のものであろうバイクに跨って、すすきに後ろへ座るように急かす。すすきは、戸惑いながらもバイクの後部に座った。正直バイクの二人乗りなんてしたことがなくて、どう座るのが正解かよくわからない。すすきが腰を下ろしたのを確認して間宮はその場から急いで離れた。初めてのバイクが怖くて間宮の服を掴むと、スピードが少しだけ緩む。それでもあの女からグングン離れていった。
線路の高架下を二人乗りのバイクが道を縫うように走っていく。さっきの出来事は何だったんだろう。心臓がうるさいくらいに高鳴り、汗が止まらない。偶然とはいえ、間宮の存在がありがたかった。
あの黒い女はどうなっただろうか。怖い。けど気になってうしろを見た。
「……!」
手が目の前に迫っていた。視界いっぱいに広がる白い手。あの女がすすきを捕まえようと、腕だけを不気味に伸ばして襲いかかる。
「やだ……!」
頭を掴まれる。そう思った瞬間、ばちっと音がして女の手がなくなった。さっきまで目の前にあったはずなのに肘から先がぽっかりと消えていた。
『……きっ……あぁっ!!』
苦しそうな声がどこからともなく耳につく。だけどそれも徐々に遠ざかり、あの手がもう追ってくることはなかった。すすきは服の上からきゅっとお守りを握りしめた。きっと葵が守ってくれたのだ。
◇
「よお葛葉、邪魔するぞ」
「うわーお顔が見れて嬉しいです」
皮肉たっぷりに葵が返せば、神谷は不敵な笑みを浮かべた。応接間のソファに案内すると神谷とその部下、飯島が腰をおろす。ふたりに限ったことではないが、この職の人間は総じて顔色が悪いと葵は思う。休息という概念がないのではと真剣に考えてしまうほどだ。
「先日の件なら報告書をお送りしたはずですが、なにか問題でも?」
「いや別件だ」
そういうと神谷は一枚の写真をテーブルの上に差し出した。
「この顔に見覚えはあるか」
葵はそれを手にとってまじまじと見つめる。大学生だろうか、楽しげな雰囲気の飲み会の写真だった。答えをはぐらかしてはいけない相手なのでしっかり記憶と照らし合わせるが、写真の人物に見覚えはない。その時、神谷に電話がかかってきた。ひとこと断りをいれて通話ボタンを押す。
「……はい。分かりました」
顔をしかめ通話を終わらせると、盛大なため息を吐く神谷。うなだれたまま目だけを鋭く葵へと向けた。
「葛葉、ちょっと顔貸せ」
「今からですか?」
葵もあからさまにイヤな顔をして見せたが、神谷は飄々として「そうだ」と返すばかりだ。飯島は「車を回してきます」と言って葛葉に一礼し事務所を出て行ってしまった。
「ところで葛葉、すすきちゃんだかもみじちゃんだかはどこへ行った」
「ちょっと気安く名前呼ばないでくれますか。俺のかわいいかわいい奥さんは友達に会いに行ってますよ。俺は心の広い夫なので、彼女の交友を邪魔したりしないんです」
「ぬかしてろ」
けっと笑うが神谷はすぐに表情を引き締めた。
「……気をつけろよ。鹿見のお嬢さんはずいぶんお前にご執心のようだからな。横恋慕でわりを喰うのはあの子だぜ」
鹿見に関してはその通りだ。鹿見香奈はどう見たって心の清らかな女でないことは分かっている。手を出してくる可能性を考えて苦し紛れの旅行へ行ったほどであるし、葵も楽観視はしていない。その為にお守りも持たせている。
「それにあの子もなかなか不思議と目を惹く雰囲気持ってるからな。今頃白馬に乗った王子様が連れ出してるかもしれねえぜ」
「おかしいな、王子様は俺なんだけど」
「悪い魔法使いの間違いだろ」




