17話
鹿見香奈は初七日にやってきた弔問客の相手をしながら、遺影の中でほほ笑む父に視線をやった。誰も気付かないが、その口元は歪に弧を描いている。そのお淑やかで上品な見た目に似つかわしくない表情だ。
「旦那さんを殺したのは娘さんの交際相手だったそうよ」
「まあ怖い……どうしてそんなこと……」
「その方も殺されたって言うじゃない。まだ犯人は捕まってないというし、怖いわね。娘の香奈さんもずいぶん警察からお話を聞かれたそうよ」
広い敷地内で交わされる密やかなうわさ話。遺族には聞かせられないとわかっていても、この手の話に食いついてしまうのは人の性。しかし直接聞こえずともそのような噂で持ちきりなのは香奈もよく知っていた。
(あの男は死んで当然。むしろもっと苦しくのたうち回って、ジワジワと命を削りながら惨めに死ねばよかったのに)
想像すれば愉快さに目が細まる。
側から見た香奈は弔問客にほほ笑み返すお嬢さまに見えると言うのに。
さらりとした生地の黒いワンピースは通気性はよいが、湿った空気が全身にまとわりついて気持ちが悪い。雨が降りそうな天気だ。こうも人の出入りが多いと空調も効きづらいのだろう。香奈は気分を上げるため頭に葛葉葵の姿を思い浮かべた。モデルのように麗しい顔つきに抜群のスタイル。上品なスーツを着こなす姿は誰もが目を奪われるだろう。しゃべり声は脳をとろけさせるように心地よく、理路整然とした語り口は頭の良さを感じさせた。
(……なんて完璧な人なの)
うっとりとして熱気のこもった息を吐く。怖いからと抱きついたときに知ってしまった彼の匂いは甘美で、思い出しただけで頭がくらくらする。
しかし急に気持ちが萎んだ。葵のわきに纏わりつくちんけな女を思い浮かべてしまったのだ。
表情の乏しい冴えない女だ。どうして葵と一緒にいるのか理解ができない。妹なら愛想良く接しようと思っていたのに、それは違うという。ではどういう関係なのかと聞いても詳しくは教えてくれなかったのがまた腹立たしい。
(邪魔邪魔邪魔邪魔。せっかく腹の立つ男が二人一緒に死んだのだから、あの女もいなくなればいいのに)
香奈は小さく息を吐いた。目の前には父と親交が深かったというどこぞの社長がいて、母と何かしゃべっている。
(……そうね、いなくなればいいんだわ)
歪に上がった口角。目にはほんのりと狂気の光を宿していた。それでも大多数から見る彼女の姿は父の死を悼む麗しのお嬢さまだった。
◇
葛葉葵は名残惜しそうにすすきを送り出した後、事務所にあるデスクで新聞を広げていた。
紙面にはT市で起こった不可解な殺人事件について大きく枠をとって載っている。死者二名、軽傷者一名のいわゆる強盗殺人事件だが、亡くなった二人の被害者はそれぞれ犯人が別であることがわかっている。
鹿見宅へ押し入った吉田拓真は香奈の元交際相手であり、彼女の父親を持っていた刃物で複数回刺している。動機は不明だが、怨恨の可能性が浮上している。そして一緒にいた母親の美知子の腕を切りつけたあと、吉田拓真はその場で何者かに殺された。背後からロープ状のものを使っての絞殺。その時母親と香奈は気を失っており、犯人の顔は見ていない。
警察は捜査を続けているが、これといった進展は見せていないようだ。
静かな空間にぱさりと紙が折れる音が響く。葵は新聞をデスクに置くと眉間にしわを寄せた。鹿見香奈に嫌な空気を感じそれを理由にすすきと短い旅行に出かけたが、それは危険から遠のいただけで問題が解決したわけではない。
かと言って四六時中すすきを監視するわけにもいかない。本当はあの三階の部屋に閉じ込めておきたいのだが、彼女の心身の健康を考えたらたまの息抜きは必要だ。友だちに会いに行ったり、気の向くまま散歩をしたり。その全てを取り上げて籠の鳥にしてしまうのは惹かれるものの、人としての一線を超えた行いは破滅への近道だ。すすきも嫌がる。
(でもそれでまた彼女を失うことになったら?)
考えてゾッと背筋が冷えた。ふいに頭によぎったのは土砂降りの雨の中、大人たちに引き離されて寂しそうに笑う少女の姿。白く上等な着物はまるで花嫁のようで、自分ではない誰かに嫁いでいくようによう。いや、それ以上に恐ろしいことが彼女に起きる。こちらがどんなに叫んでも決して振り向いてはくれない。彼女と自分の縁を断ち切るように、槍のような雨が降り続く。
葵はしばらく悩んだあとに、スマホの画面を操作した。こんな事をしていると知ったら彼女は軽蔑するかもしれない。そう思いながらすすきの位置情報をマップに表示させると、ここからほど近いリヴァーベーカリーというパン屋にピンが止まる。彼女が言うとおり理加子に会ってお土産を渡しているのだろう。
大丈夫、彼女はいる。生きている。
触れ合えるところにいる。
張り付く不安を振り払おうと深く息を吸い、スマホの画面から目をそらした。
時計がもうすぐ午前十時を指す。仕事を捌かせたらすすきを迎えに行ってもいいのかもしれない。きっとそれくらいは許される。
◇
すすきは理加子へ会いにパン屋へと向かったのだが、外から見ても店内にはお客さんがいっぱいで、その場で足が止まってしまった。対応しているのは知らない顔の店員さんで、きっとあの人が体調を崩した人なのだろう。店の横にある細い路地へはいり、裏口をのぞく。
「あれ……?」
荷物を搬入するための裏口からこっそり理加子に声をかけられないかと思ったのだが、そこには先客がいた。思わず隠れるように身をひそめると、ビックリした体を落ち着かせるために深く息を吸う。
いつだったか葵が神谷と呼んだ男だ。それに子分のような厳つい男もいた。理加子を囲むようにして何か話をしてたのだけど、いったいどういう状況なのだろう。理加子と神谷は高校時代の先輩後輩らしいが、昔話に花をさかせるには店の裏口という場所はいささか無粋だ。それにあの厳つい男がいる。
理加子は困った顔をしているように思えた。話しに割り込むのも気が引けるが、理加子が困っているようなら助けたほうがいいのではないか。そう考えていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「すすきさん、何してるの」
びっくりして振り返ると、そこには見覚えのある顔……間宮という名の青年が立っていた。以前駅でふてくされている時に話しかけられて、それから連絡先を交換した程度の仲だ。手にはパン屋の買い物袋を持っている。買いものがえりなのだろう。
「いえ、あの」
まさか覗きをしていたとは言えずにしどろもどろ答えていると、間宮は首を伸ばして裏口のほうを見た。そしてすぐに状況を察したらしい。
「すすきさん、あの人たち誰か知ってる?」
「いいえ」
間宮の声音は硬かった。葵のクライアントであり理加子の後輩であることは知っている。が、それだけだ。職業も人となりもほんとんど知らないと言っていい。
「……この辺じゃ有名なヤクザだよ。ここんとこ人を探してるみたいで、いろんな所で話を聞きまわってるんだ」
小さく息をのんだ。信じられないという気持ちが大きいのはなぜだろう。理加子は彼が優しいと言っていたし、葵はクライアントとして彼らと接していた。だから信じたくないのかもしれない。
「すすきさん、行こう。見つかったら何言われるかわかんない」
言われるがまま手を引かれて路地から出る。間宮の手は大きくて少しカサついていた。




