15話
旅館にもどり、葵は急いで自分のバッグをあさると、新しい人型の紙を取りだしてお守りの中にいれた。それをすすきの首からかけると安心したようにほっと息をつく。まるで自分事のようだ。
「この紙の人形は、私の代わりに悪いことを引き受けてくれるんですね」
すすきは最初こそ半信半疑であったが、本当にあのお守りが守ってくれていたんだと思った。詳しくは知らないのだが、災厄を肩代わりしてくれる護符というものは存在するらしい。葵の素性はまだまだわからないことだらけだが、確実なことがひとつある。それは何よりもすすきを大事に扱ってくれることだ。出会って数日という間柄ではあるが、一緒にいた時間はそれなりに長い。
「すみません。葵さんにはいつもご迷惑をかけてしまって」
「謝らないで。すすきちゃんが悪いんじゃないんだし」
ぽんぽん、と頭をなでる。この優しい感触は好きだ。
「すすきちゃんみたいに、他の人と比べても明らかに不運に見舞われている人ってやっぱりいるんだよ。おっちょこちょいだとか、運動神経が悪いだとかの特性を抜きにしても、不運という言葉でしか表現できないものがこの世にはある」
すすきは小さく頷いた。現に小さなころから何かとやらかしてきたのだ。小学校や中学校時代は気味悪がられて遠巻きにされるほどだったし、大人になった今は生活や仕事に支障が出ることもある。
「そういう人は見えならざるモノからの影響を受けていると俺は考えてるんだ。それは怪異と呼ばれるものだったり、神様だったり」
きっぱりと言い切った言葉に、すすきは少し面喰ってしまった。まさか葵の口から怪異とか神様だとかの単語が出てくるとは思わなかったのだ。
「ま、理由はともあれお守りはいつも首からさげといてね」
この話はおしまいだとばかりににこりと笑い、すすきは大人しく頷くことにした。
部屋にある露天風呂に入ろうと葵が誘うので、恥ずかしいから一緒はいやだと言った。しばらく攻防戦が行われたのだが、あっけなく負けたすすきは抱えられて風呂場へと連れられてしまった。露天風呂は文句なしにすばらしかった。
◇
夜はテーブルいっぱいに豪勢な食事が並んだ。どれもこれも職人の技が光った凝ったもので、すすきはドキドキしながら口へ運んだ。どれも初めて食べるものばかりだった。
どれも美味しいのだが、特に気に入ったのは翡翠茄子というものだった。丁寧に皮を剥かれ、出汁のきいた薄口のつゆに浸かっている。名前通りに翡翠色した茄子だ。つやつやした表面はほのかに透き通っていて、見た目にはこれが野菜と信じられないほどの美しさだった。口にいれるとじゅわりとつゆが溢れ、ついでコクのある茄子のうまみが後を追う。一度油で揚げてあるのか食感は非常にやわらかく、とろりとしていた。
「潤のオールマイティな料理も好きだけど、やっぱりその道の職人が作る料理はおいしいね」
すすきはこくこくと頷くばかりだ。
全ての料理を食べ終わるころにはお腹いっぱいで、これ以上はいりそうにないと思っていたのに、食後にだされた柚子のシャーベットこれまた絶品で、口のなかをさっぱりさせてくれた。
腹ごなしに夜の散歩はどうかと誘われ、浴衣姿のまま旅館の外へ出かけた。つながれた右手は熱をもっていて、じんわりと汗がにじむ。それでも不快だとは感じなかった。
葵の横顔を盗み見る。
ああ、この人と一緒に過ごしていきたいな。すすきは気づけばそう考えていた。それから一瞬でわれに返ると恥ずかしくなって顔を横に振ると、葵がどうしたのかと覗きこんでくる。至近距離で見る葵はやっぱりかっこよくて、今更ながらそれがともて恥ずかしかった。
「さてはエッチなこと考えてたでしょ」
「ち、ちがいます」
葵は目を細めると愉快そうな表情でつないだ手を持ち上げた。なにをするつもりかと身構えると、葵はそれを口元に持っていき、すすきの手の甲に唇を押し付ける。すすきの体温がぶわりと上がった。
「こんなところで……やめてください」
困惑した弱々しい声は葵を挑発するだけだ。熱のこもった瞳がすすきをその場に縫い付ける。ふだんとは違う、獲物を狙う肉食動物のような瞳は彼が見せるもうひとつの一面だ。抗うことはできない。のどが波打つようにごくりと唾をのみ込むと、すすきは思考が熱に侵食されていくのを感じた。
◇
翌日、ふたりは女将や仲居たちに礼を言って旅館をあとにした。ふたりが乗った車はそのまま帰路につくわけではなく、とある目的日へと向かっている。それは葵が行きたいといった場所だった。詳しくは知らされていないため、すすきどこに着くのかは知らない。
開けた市街地を通り過ぎ、だんだんと田畑や果樹園が増えていく。葵はいつもよりも言葉数が少なく、どこか雰囲気がかたい。豊かな自然をながめながら、すすきはぼんやりと考えた。葵が連れて行きたい場所とはどこなのだろう。
ようやく辿りついたのは山の上にある広い湖だった。水位は半分よりも少なく、湖面には波一つない。適当な場所に駐車をすると葵に続いて車から降りた。人通りはなく、木々のざわめきと虫の声しか聞こえない。水分をたっぷり含んだ風が頬をなでる。
「ここは龍門湖って名前なんだ」
今はダムとして活用されていて、大雨が降ったときには山からの水が四方から流れてくるらしい。所どころに削れた岩肌が見え、神秘的な雰囲気がした。
「知ってる? 地名に龍や蛇、猿がついている地名は水害が多い場所なんだ。川の氾濫、土石流、地滑り……大きな自然災害に対して人間はあまりにも無力だよね。昔の人たちは神と崇めることで少しでもその脅威を遠ざけようとした」
葵は感情のこもらない瞳で湖を見つめる。
「ここも龍神が住まう湖とされたんだ。湖はその門で、ちゃんと祀らないと怒り狂った龍神がふもとの町や村を沈めに来る。そう信じられていた。……今の常識から考えるとほんとにバカらしいよね」
くすっと笑う声が聞こえるが、それは嘲りとか悲しみが含まれているような気がした。葵の様子に不安で胸がざわつく。
「この場所には、それこそよくある昔話があるんだ」




