14話
休憩をはさみつつ、旅館についた時には午後四時をまわっていた。見事な庭園に囲まれたそこは古き良き旅館という感じで、入り口では上品な着物をきた女将が出迎えてくれた。調度品も嫌味がなく品を感じられて、もしかしたらとんでもなく高価なお宿なのではと冷や汗が出てくる。建物こそは古いが、大事に使われ修繕しているのであろう、中は古臭さなど感じさせず、むしろ積み重なった歴史が最高級の雰囲気を醸していた。
「こちらがお部屋でございます」
艶のある板張りの廊下の奥にあるその部屋は入口に「月下美人」と銘打ってあった。すすきは自分がすごく場違いな気がして心臓がドキドキしている。葵は本当にここでよかったのだろうか。そう思って横顔を盗み見るが、いたっていつもどおりだった。
「突然だったのに快く迎えてくれてありがとうございます」
「ふふ、ほかならぬ葛葉様からのご連絡ですもの。なにかありましたら遠慮なく申してください」
葵と女将の会話からなにかしらつながりがあるのだと感じた。こんな立派な旅館と知り合いとは、葵は何者なのだろう。部屋は入口から見ただけでも広い居間と縁側、ふすまで隔てた寝室があり、絶対に庶民が泊まる部屋ではないことだけは分かった。
「奥様もどうぞごゆっくり」
そう言って笑顔を浮かべ、女将は退出していった。
「……奥さま」
いろいろと呆気にとられたすすきはそう言うのが精いっぱいだった。葵は楽しそうにくすくす笑っている。そしてすすきの手を取ると縁側へ連れて行った。
「ほら見て、いい景色だよ」
それは一枚の日本画のように美しく整えられた日本庭園だった。この部屋に泊まった者しか見れないのに、なんて贅沢な眺めなんだろう。静かに感動していると、葵がぎゅっと手を握ってきた。絡んだ指先から伝わるぬくもりにまた心臓がはねる。
「ここは部屋付の露天風呂もあるんだ」
間近で耳に落とされる声が妙に艶っぽい。すすきは顔が熱くなるのを感じた。さっきまではそんな雰囲気なんてなかったのに。そう考えてドギマギしながら視線を床に落とす。葵と過ごして甘い夜の記憶が過ぎり、顔だけではなく体中にぶわりと熱がこもってきた。
ふいに耳に落とされた口づけに、ぶるりと身震いをした。
◇
旅館の周りも景観がすばらしく、道々にはいろんなお店があった。夕飯の前にすこし散歩でもしようという話になって出歩いているのだが、これが思いのほか楽しい。ガラス工芸品やしゃれた陶器を売ってあるお店は体験もさせてくれるようで観光客でにぎわっている。外国からの人も多そうだ。地元の名水をつかった酒屋。古民家をおしゃれに改装したカフェや雑貨屋さん。天然酵をうたったパン屋は小麦のいい香りを漂わせ、向かいにある洋菓子店にはご当地ソフトクリームを買う人々が列をなしていた。香り屋という看板をかかげたお店をのぞくと、いろんな種類の練り香水が並べてあった。スズラン、サクラ、柚子などの日本らしいラインナップもあれば、バニラやバラなどの王道の香りもある。
「クリーム状の香水だね。こっちの方がほんのり香って自然でいいっていう人もいるよ」
すすきは恐る恐るお試し用にだされていた容器をひとつ手に取った。フタを開けると、確かにクリーム状のものが中にある。ごく少量を指先につけるとそれはすぐに肌になじんだ。あとには花のいい香りが残る。
「ステキですね、これ」
この控えめな感じが好きだなと思った。あれこれ匂いを確認して、手に取ったのはスズランの香りだった。そんなに高価なものでもないし、これくらいだったら自分でも買える。せっかく旅行にきたのだから思い出の品にもなるだろう。そう思っていたのに、手にあった商品は葵がひょいと奪ってしまい、あろうことか会計まですませてしまった。すすきは慌てて抗議したが、葵はにこりと笑って「妻の欲しいものを買ってあげるのは夫の特権だもの」と聞く耳をもたない。まだ結婚してないですと言ってみてもどこ吹く風だ。
「他に欲しいものがあったら遠慮なく言ってね」
「うう……」
そもそもここまでの交通費も休憩時の飲食代も、ぜんぶ葵が出しているのだ。宿のお金だってすすきに払わせない可能性が高い。このままでは申し訳なさで胸がいっぱいになってしまう、とすすきはうなだれた。
自分が葵にあげれるものはなんだろう。
ふと、店と店との間に広めの通路があるのを見つけた。きれいに敷かれた石畳は年季がはいっていて、通路に沿って目線をやると、その先に赤い鳥居がある。
「奥に神社があるみたいですね」
「本当だ」
「行ってみてもいいですか?」
「うん」
そうは言うものの葵はどこか乗り気ではないようだ。辺りは少しずつ暗くなっていくが、それもまた趣があった。
お手水で身を清めてからお社へ向かい、二礼一拍手。そして一礼。細かなマナーはわからないが、すすきは思うがままに礼を尽くす。社が祀る神へ、この地へ滞在することと人々が迎えてくれる感謝を伝えた。葵はその横で神妙な顔をしており、あまりこういう所は好きではないのかもしれないと思った。
帰ろうとして石段を降りていると観光客の団体とすれ違った。むこうは海外の人たちで各々が感嘆の言葉をもらしながら大興奮の様子だ。すすきはこういう時、たいがいすれ違さまにぶつかってしまう。相手に悪気は一切ないので単なる不運なのだが、さすがにここは石の階段だ。お互いの安全のためにも距離をとる。葵もそれを察したようで観光客とすすきの間に自分が入り、すすきを外側に移動させた。
しかしその時だった。階段脇の草むらから「にゃあ」いう鳴き声とともに猫が足元に現れた。避けようとして足がもつれバランスを失う。さらに重心を置いていた足の石段の表面が割れてしまった。そのまますすきは滑るように落ちていく。一瞬のことだがスローモーションに感じた。
「危ない!」
腕を掴まれて思いっきり体を引かれる。あっという間に葵の胸の中にいた。葵は厳しい顔をしてすすきのお守りを首から引き抜いた。そして中にある人型の紙を確認しようとして絶句する。紙は端が所どころ黒くなり、破れて四つに裂かれていいたのだ。
「旅館にもどろう」
まだ生きた心地がしないすすきだったが、有無をいわさぬ葵の言葉に静かにうなずいた。肩を抱かれ、周囲の一切から守るように来た道を戻ったのだが、途中でほどけた靴ひもにつまづいてしまった。転倒した拍子に通行人にぶつかり、さらにその人が隣の人へとぶかってしまったので、すすきは各方面に平謝りをした。




