13話
すすきに意味深な言葉を授けた老婆が、いきなり目の前に現れた。突然のことにどうしゃべっていいのかわからない。すすきは金魚のように口をはくはくとさせたが、声になることはなかった。空気はどこか重たく張り詰めていて、耳の奥がきぃんと痛む。聞こえるはずの周囲の音もなぜか遠く感じた。
老婆はすすきたちを真っ直ぐに見つめ、不敵な笑みを浮かべていた。
「見つけたようだね」
老婆は確かにそう言った。けれど意味はわからない。以前、失せ物はT市で見つかると彼女は言ったが、見つけたというのなら失せ物とはなんだったのか。それを聞こうとしたとき、ふい誰かが後ろからぶつかってきて体がよろけてしまった。そういえばここは繁華街の通りだ。道のまんなかに突っ立っていては他の通行人の邪魔になるだろう。すすきは反射的に「すみません」と口にして頭を下げた。そして次に頭を上げたとき、驚くべきことに老婆の姿はきれいさっぱりなくなっていた。
「すすきちゃん、どうしたの?」
すぐ後ろにいた葵が心配そうに顔を覗き込んできた。
「さっきいたおばあさんが……」
「おばあさん?」
あそこに、と指差した方向にはもはや誰もいない。
「そのおばあさんがどうかした?」
葵はきょとんとしてそう言う。すすきのすぐ目の前に現れたのに、まさか葵は見ていなかったのだろうか。すぐ後ろにいた彼が気付かないなんて事があるだろうか。
すすきの困惑した表情から何かを察したのか、葵はすっと目を細め、注意深く辺りを観察した。建物の影や窓の奥見回しながら、老婆がいた辺りで視線を止めると、深く眉間にしわを寄せる。
「……すすきちゃん、お守りの中身が無事か今すぐ確認して」
硬く、緊張したような声だった。そんな葵の様子に少し驚きつつ、すすきは首からさげたお守りを服の間から引き出す。巾着から取り出した白い人型の紙は、朝入れてもらったときと変わらないように見えた。それを告げても葵は何も言わず、表情は厳しいままだ。
「葵さん?」
恐る恐る声をかける。様子が変だ。気を張り詰めているその様子はすすきに不安を抱かせる。そして次の瞬間、葵の腕が伸びてすすきを捕まえた。往来にも関わらず、葵はすすきを堅く抱きしめたのだ。服越しに葵の体温を感じ、早走りする自分の鼓動が聞こえてきた。すすきもずいぶん緊張していたらしい。通り過ぎる人たちが横目ですすき達を見ており、カップルが場をわきまえずにイチャついていると思っているのだろう。しかし当の本人達にそんな甘い雰囲気はない。まるでバラバラになるピースを必死に繋ぎ止めるように、葵はすすきを強く強く抱きしめた。
「……もう、二度と離さない。絶対に失うもんか」
小さく震える声。それはすすきではなく、自分に言っているようであった。あるいは、もっと別のもの。神や運命のような大きく果てしない存在に対する、ちっぽけな宣言だったのかもしれない。
◇
すすきを乗せた車は高速道路をすいすいと進んでいく。思い返すのは先ほどの不思議な出来事だ。忘れるには印象が強すぎ、解き明かすには謎が多すぎる。流れる景色は変わりばえがせず、アスファルトの道路は灰色の空と同化している。ふたりとも黙ったまま、ただ思考がぐるぐると空回りしていた。じきに降下口案内の看板が見えてきた。
ちらりと葵を見る。端正な横顔はまるでモデルか俳優か。そんな彼はすすきを大事に扱ってくれるが、まだ知らないことも多い。
「今さらだけど、急に誘ってごめんね。慌ただしくて申し訳ないと思ってる」
「いえ。私は大丈夫です」
葵は困ったように笑う。すすきはあまり怒らないし文句を言わない。穏やかというよりは多くを期待していないからという気がした。もう少しくらい自分の意見を言ってくれていいのだけど、と葵は心の中でつぶやいた。
「……鹿見香奈に気を付けて」
思ってもみない言葉だった。葵は運転のために前を向いたまま続ける。
「抱えてた案件を早めに終わらせたのも、急に旅行に誘ったのも、それが気になったからなんだ。あそこから離れたかった」
それから表情をぱっと明るくした。
「だから今は安心してる。せっかくの旅行だし、めいいっぱい楽しもうね」
ぽんぽんと頭をなでる。葵が感じている危機はわからないし、あのおばあさんのことも分からない。けれど楽しもうと葵が言ってくれるのならすすきもそうしてみたい。
「……はい。わたし、こういう旅行ってしたことがないから、昨日から楽しみで」
恥ずかしそうにするすすきに、葵はたまらず片手で口を押えた。こころなしかスピードのあがった車は目的地をめざしてまっすぐに進み、しだいに緑緑色の景色が増えていく。
葵が向かっている場所は温泉が湧く昔ながらの観光地で、歴史を感じさせる建物があちこちに残っている情緒ある町だという。
すすきは代わりゆく景色に心を躍らせた。表情はさほど変わらなし、あれこれ口に出すことはないが、窓の外を見るその瞳がきらきらと輝いている。葵はそんなすすきを見て、機嫌よさそうに口元を緩めたのだった。




