11話
「うっそ、その女やばくない?」
しずかな喫茶店に芽衣の大きな声が響いた。潤がちらっとこちらを見たが、すぐにまた手元に視線を戻す。
「声大きいよ」
「ごめん。でもなんなのそいつ」
すすきの友人である芽衣が遊びに来たので、パン屋の仕事が終わってから駅で待ち合わせ、潤のいる喫茶店で話をしているところだった。近況を説明しているとやはり葵の話になってしまい、そこから鹿見のことも言ってしまった。
「というか葵さんの仕事も謎すぎる。もうちょっとツッコんで聞いたほうがいいよ。あんなカッコいい顔してたら多少のことには目をつぶっちゃうかもだけど、線引き大事だよ」
「……うん」
お守りや不思議な蝶のことはさすがに言えずに胸に秘めていてる。すすきにさえ言いづらそうにしてたのだから、あまりあちこちでしゃべらない方がいいだろうと思ったのだ。
「そうだ、都内でまた物騒な事件があったの知ってる? 殺人事件だよ、殺人事件。犯人まだ捕まってないらしいから、すすき気を付けなきゃ鉢合わせしちゃうよ」
運の悪さには定評のあるすすきだ。冗談で笑い飛ばせないのがつらい。
「どこかの社長さんが自宅で殺されたんだって。奥さんは軽傷。娘さんは無事らしいけど……その社長さんを殺した犯人もその場で殺されてるんだよ。奥さんも娘さんも気を失っていて、それが誰かはわからないんですって」
すすきは頭がハテナマークになった。社長を殺した犯人。その人が殺された?
「はい、お待たせしました。ナポリタンです」
ふたりのいたテーブルに大きな皿がふたつ並べられた。赤いソースが絡んだパスタが湯気を上げている。それから小さなサラダ、粉チーズと辛そうな赤いオイルの入った瓶を置いていく。
「うわーおいしそう! 写真とってもいいですか?」
「どうぞ」
目をきらきらさせた芽衣は、さっそく自分のスマホを取りだした。すすきも何となく自分のスマホを持ってみる。すると新着のメッセージが何件か来ていた。ひとりは葵だ。友だちと夕ご飯を食べてくると連絡をいれたのだが、それを了解した旨の返事だった。あまり遅くなると心配だと書いてあるが、潤の店にいるのだから問題ないだろう。
もうひとりは以前声をかけてきた間宮だった。
『ほらほら見て、かわいいよ』とひよこと猫が仲良く戯れている動画のURLが送られていた。ありがとう、とスタンプで簡単に返信すると、スマホをまたポケットにしまった。
「えへへ、あたしナポリタンがあったら絶対頼むんだ。理想の味を探してるの」
納得いく写真がとれたのか、フォークをもった芽衣は嬉しそうに笑った。潤さんの料理を気にいってくれたらうれしいと思う。
いただきます、と手を合わせた。
「ふむ、麺はふとめ。具材は玉ねぎとピーマン、それにハム」
芽衣はくるくる巻いたフォークを目の前まで持ち上げてじっと観察していた。そしてぱくっと口へいれると目を閉じて口をもぐもぐと動かしている。口の中に全神経を集中させているようだ。
「……おいしい!」
すすきも自分のぶんを食べてみた。まず驚いたのはその熱さだ。思わず口を押えてハフハフと熱を逃がす。できたてホヤホヤなのは知っていたが、こんなに熱いとは。そしておいしい。モチモチの麺にからむのは濃厚なトマトソースで、酸味とうま味が口いっぱいにひろがる。たまにくるピーマンや玉ねぎのシャキシャキとした食感が変化になって、最後までぺろりと食べれてしまった。
芽衣も食べ終わっていたのだが、腕をくみ、目をつぶって「うーーーん」と唸っていた。いったいどうしたのだろう。
「おいしい。おいしいんだけど……」
なにかが引っかかっていて、その正体がなんなのか、自分でも考えをまとめたいようであった。
「パスタは文句なしにおいしかった。チョイスも硬さもストレートに好み。具材のバランスもちょうどいいし、味も……」
うーん、うーんと唸りながら芽衣はグラスに注がれた水を一気に飲み干した。そしてかっと目をみひらいて、パスタの乗っていた皿を凝視する。
「ソースか」
芽衣はスプーンを使って皿に残っていたソースを器用に集めて口へ運んだ。そしてうんうんと頷きながらなにやら小声でぶつぶつ言っている。すすきは芽衣の迫力についていけないでいた。ナポリタンが好きなことは知っていたけれど、こんな姿は見たことがない。そのとき、ぽんと肩に手が置かれた。
「すすきちゃんのお友達、おもしろいね。芽衣ちゃんって言ったっけ」
潤だった。しかしいつもと少しだけ雰囲気が違う。笑みを浮かべてはいるのだが、どこか目が笑っていないように思えた。ひやりと感じる冷気は潤からだろうか。すすきは内心冷や汗をだらだらとかいていた。芽衣はそのことに気付かず、料理した本人を前にぺらぺらと言葉をつなげる。
「あー、惜しいな。すごく惜しい。今まで食べてきたなかでいっちばん理想に近いんだけどな」
「ねえ、よかったらまた食べにきてよ。その時には君に文句なしにおいしいって言わせてみせるから」
「へっ?」
われに返った芽衣は、潤の出現に目をぱちくりさせた。今の今まで気づいていなかったようだ。笑顔の奥に見える静かな闘志。次は絶対にうまいと言わせてやる、そう息巻いている。
「ご、ごめんなさい。ついナポリタンに熱くなっちゃって」
てへ、と舌をだす芽衣は潤の様子には気づいていないのだろう。陽気で表情がころころ変わるかわいらしい友人だ。ここからしばらく芽衣VS潤のナポリタン戦争が開幕するのだが、それはまた別の話である。
◇
芽衣と別れ、ビルの三階、つまり葵の部屋へと帰ってきた。手には潤がもたせたコーヒーとカフェオレがある。インターホンを押すと、葵が嬉しそうな顔で迎えてくれた。
「おかえりすすきちゃん。急なんだけどさ、明日から旅行にいかない?」
思ってもみない言葉に思わず口をぽかんとあける。葵はすすきの両手にあった飲み物をふたつとも受け取ると、中に入るように促す。驚きのあまり声がでないすすきであったが、ひとまず荷物を置いて手洗いをすませる。そして葵のまつリビングへ行くと机の上には旅行のパンフレットがあれこれ置いてあった。旅行は本気らしい。どれも近場のようなので、そんな大がかりなものではないのかもしれない。
「あの厄介な依頼は今日できれいさっぱり終わらせた。もう鹿見のお嬢さんとは関わらなくてすむ」
葵は大きくため息をついた。鹿見の名前にどうしても複雑な思いを抱いてしまうすすきとしてはどう反応していいかわからない。
「……あの子、今日もこの辺をうろついていたけど、すすきちゃん何にもされなかった?」
すすきは少しだけ迷って、香奈が店の外から覗いていたことを告げた。それ以外はなにもなかったとも。葵はそれを聞いていくらか不機嫌になったようだ。眉間には深くしわが刻まれていて、なにか思うことがあるのだろう。
「あ、理加子さんにはもう許可はとってあるよ。体調不良で休んでいたスタッフが復帰できそうなんだって。だから店のことは心配しなくて大丈夫」
葵がそういうのであれば、すすきは驚きこそすれとやかく言うことはない。もうお店で働くことはないのかと思うと少し寂しいものがあるが、客として行けば理加子に会えるのだ。なにも問題はない。小さく頷いてみせると、葵は嬉しそうに笑った。
「じゃあ決まりだね」
その時、すすきのポケットに入っていたスマホがぶるぶると震えてメッセージの受信を告げた。




