1話
TLコミック原作用に書いたのでちょいちょい大人な展開を挟みます。かなり端折っていますが苦手な方はご注意ください。
秋乃井すすきは運が悪い。
小さい頃からここぞという時に不運に見舞われるのだが、今日もそんな日だった。一人暮らしのアパートを出て、電車を乗り継ぎ約一時間。目的地である東京都T市に降り立った瞬間、後ろから来た原付バイクにバッグをひったくられた。慌てて追いかけてもすぐに姿は消え、すすきは呆然とした。
馴染みのない土地で財布もスマホも一気になくしてしまった。慌てて近くにあった駐在所に申し入れはしたものの、今すぐ戻ってくるわけでもない。
「どうしよう、どうしよう」
最悪の最悪は、歩いて帰ればなんとか……と考えて、家の鍵もバッグの中だったと深く肩を落とす。これじゃ帰れたとしても家の中に入れない。そもそも土地勘もないから歩いて帰るのも難しい。せめてスマホがあれば友達と連絡がとれるのに。
「……だめ、しっかりしなきゃ」
すすきは気持ちを落ち着かせるために少し歩くことにした。迷子になることは絶対に避けたいので駅付近と範囲を決めて歩き出す。足もくたくただけど、それ以上に脳が参っていた。気分転換が必要だ。
歩き出してから自分のジーンズのポケットの違和感に気付き、そう言えば駐在所で飴をもらったんだとそれを取りだす。しかし、個包装の袋をやぶって口に入れようとしたら、手元が狂って飴が落下してしまった。ころころと転がった飴は、すすきのか細い悲鳴を無視して排水溝の網の中へ消えていく。
ふいにカアとカラスが鳴き声が聞こえた。嫌な予感がしたのと同時に肩のあたりからべチャリという感触。カラス。落下物。水分多めの何か。確認するのが怖い。
不運の連続に涙が込み上げてきた瞬間、今度は突如として雨が降ってきた。
「うそ」
もちろん傘なんて持っていない。あわてて駆け込んだ喫茶店の軒下でなんとか難を逃れるも、雨はどんどん強くなっていく。幸い、この場所は駅からそう離れていないので、雨足が弱まったら走って駅まで行こうと決意した。すすきはため息をついた。駅に戻ったところで事態が好転するわけでもない。いったいこれからどうしたら……
疲労も空腹もピークに達していて、このとんでもない現状に目の前が真っ暗になる心地だった。これからどうしたらいいんだろう。足も痛くて、今すぐにでも座り込みたい。おまけに軒を借りている喫茶店からはコーヒーのいい匂いまでしてきて、腹立たしいやら悲しいやら。思わず泣きそうになってきた。唇をかんで下を向くと、スニーカーがぐっしょりと濡れていた。風向きが最悪ですすきの足元に雨が降り込んでいたのだ。気付いてしまえば靴下も気持ち悪くてしょうがない。
「あれ、きみ……」
雨音に混じって男の人の声が聞こえる。
「大丈夫? なんか困ってる?」
突然のこと顔をあげると、サングラスをかけたトレンチコートの男がそばにいた。……一瞬、その男に既視感を感じた。知り合いでもなにもない赤の他人のはずだ。気のせいに違いない。男は傘を雨で濡らしながら、すすきを興味深そうにのぞいている。すらりとした体格はモデルのようでもあった。
「あの……」
しばらく無言のまま見つめ合った。向こうも固まったようにすすきを見ている。我に返り、慌てて大丈夫だと言おうとしたのに、声の代わりに出たのは涙だった。しかもぽろぽろ流れて止めることができない。止めなきゃと思っても涙は次から次に出てきて頬を濡らす。
「なんか大変そうだね。よかったら来なよ。俺の事務所、ここの二階にあるんだ」
そう言って指さした場所には二階へ続く階段があって、『葛葉相談事務所』と控えめな看板が壁にかけてある。すすきはいまだに涙が止まらないのだが、その申し出にすぐうんとは言えなかった。男は苦笑しながら言葉を足していく。
「俺はそこの所長なんだ。別に取って食おうとかお金巻き上げようとか考えてないよ。これで風邪ひいたら大変。コーヒーくらい出すから」
普段のすすきだったら断っていたと思う。いくら困っているとはいえ、こんな初対面の人間に声をかける男には警戒心を抱くべきだ。だがすすきは限界だった。気力も体力も底を尽きて、この心細い状況で誰かに頼りたかった。
「……すみません、ありがとうございます」
「いいよいいよ」
男は喫茶店のドアを開けると大きな声で「潤、コーヒーふたつ事務所に持ってきて」と店主に向かって言った。店主の声は聞こえなかったが、窓越しで見えた表情からして二人は気安い関係のようだ。そのことがすすきを少しだけ安心させた。変な人ではないようだ。
「あ、コーヒー飲める? カフェオレとかがよかったかな」
すすきは慌てて「なんでも大丈夫です」と言った。本当はブラックよりカフェオレが好きだけれど、そこまでしてもらうのはしのびない。
直後、通りすがりの車が、すすきだけに水飛沫を浴びせていった。
◇
「なんていうか、災難だったね」
熱いコーヒーにありがたく口を付けながら、すすきはこれまでの経緯を軽く話してみせた。事務所の応接室にあるふかふかのソファは高級そうで、テーブルの向かいにはさっきの男がいる。名を葛葉葵と名乗った彼は、こんな小さな事務所の所長よりも俳優やモデルと言われた方がしっくりくるような容貌だった。端正な顔立ちに高い身長、長い手足。服装はシンプルながら素材の良さを感じさせ、本人にもよく似合っていた。
すすきは着替えまで借りているこの現状が信じられなかった。馴染みのない土地で一文なしになって途方に暮れていたら、こんなにも親切にしてくれるなんて。葵に対しては申し訳ない気持ちと他人ゆえの緊張があるのだが、同時にこの人の側なら大丈夫だという安心も感じている。それは彼がまとう空気がそうさせるのかもしれない。
「いろいろ、ありがとうございます」
暖まってきた体に疲労が重なり、だんだんと眠気が襲ってくる。警戒心が無さすぎるとは思うけれどどうもできない。
「困ったときはお互いさまだよ。それよりすすきちゃん、仕事探してるって言ってたよね」
「はい」
短大を卒業したはいいが就職活動がうまくいかず、バイトの延長で勤めていた飲食店を解雇されたのが三日前。T市へ来たのは別の理由があったのだが、どこかいい仕事先がないかも探したかった。できれば住み込みや寮があるところ。睡魔におそわれながらもすすきは一生懸命返事をする。
「仕事は大事だよね。収入があるから生活ができる」
「はい」
「でもさ、安定した暮らしが手に入るなら、探すのは別に仕事じゃなくてもいいよね」
うつらうつら。視界はすでにぼやけていて、気を抜くとまぶたが落ちてきそうだ。男が話している内容も半分ほどしか脳に入ってこない。それは葵のしゃべる声が心地いいからかもしれない。昔々から知っている人のような気がして、とても安心できる。
「すすきちゃん、俺のお嫁さんとかどう?」
こくんと頷いた。でもそれは眠たくて一瞬意識がなくなったからだ。葵の言葉は聞こえているが、夢と現実が混ざりあい、意識が沈澱していく。
「あれ、疲れて眠っちゃったかな」
こてんと首を下げたまま動かなくなったすすきをソファへ寝かせると、葵は上からブランケットをかける。寝顔を見つめるその眼差しは愛おしさと後悔が入り混じったような複雑なものだった。
「……やっと見つけた」
葵の切ない声は誰に聞かれることなく、ぽとりと床に溶けていった。




