第一話:御前試合と茶番劇
――かつて、騎士の誇りと呼ばれた男がいた。
アルゴル王国の一領土、ミクダ侯爵領には立派な城がある。
領主ミクダ侯爵が先祖代々住まう城であり、先祖が当時の国王の命をその剣で救った褒美として、爵位と共に与えられた物であると伝えられている。
その来歴から、ミクダ領では剣を持って主君に尽くす『騎士』こそが男子の誉れとされ、身分問わず一流の剣士を目指して汗を流すのが当たり前の光景であった。
一介の平民から騎士として召し抱えられた初代ミクダは、いわゆる特権階級としての意識――身分の差に頓着しない男であったとされる。
自らも元は平民であると、平民達と共に笑い合い、共に研鑽を積んでいた。そのため、貴族位に相当するとされる『騎士』になる条件が他領よりも甘く、平民達は貧しい暮らしから逃れるために剣の極みを目指していた。
頼もしい領主と、領主と真の心の繋がりを持つ屈強な騎士達。ミクダ領は、王の信頼も厚い強く優しい領地になっていったのだ。
しかし、そんな伝統も、時間という名の猛毒が蝕んでいった。
初代ミクダは、元は平民だったのだと平民を虐げることも見下すことも無く、死ぬまで気っ風のいい男であった。
その息子も、父の背中を見て育ち、貴族でありながら下々の心を理解する男だったのだろう。
だが三代目、四代目となると、その心意気にも変化が生じ始める。彼らは産まれながらの貴族であり、交流する対象も平民では無く同じ特権階級のものとなっていく。その思想はやがて初代の平民と視線を同じくするものから、貴族として上から眺めるものへと変わっていき、時代と共にそれは蔑み見下す心に変化していく。
それが良いことなのか、それとも悪いことなのか。それは人それぞれだろう。
平民達からすれば、それは悪いことだ。自分達を理不尽に虐げ、搾取するようになったのだから当然だろう。
しかし、ミクダ家の人間や、時代の流れと共にそれに追従するようになった貴族や豪商達からすれば良いことだ。平民達に意味もなく与えられていた富が自分達に集中し、自分達の大将が一介の平民からの成り上がりでは絶対にあり得ない『侯爵』という高い身分にまで上り詰めたのだから。
かつては平民も貴族もない、同じ剣に生きる者だと横に並んでいた騎士団は、今では貴族出身の者を指す『上騎士』と、平民出身の者を指す『郷騎士』と呼称し、明確な身分の差が敷かれている。
騎士とは貴族出身の上騎士のことをいい、郷騎士は騎士であって騎士にあらず。卑しい農民町人がお情けで騎士の末席に加えてもらっているだけであり、本物の騎士と同列に扱われることは決してない――それが、今の世の常識となっているのだった。
◆
「フッ! ハッ!」
日暮れどき、そろそろ照明器具が欲しくなる時刻。そんな時間に、ミクダ領首都の郊外の空き地に一人の青年の声が響いていた。
「シッ! セイッ!」
上半身裸で、重りを付けた木刀を振っている青年の名は、ラース・ストロフ。郷騎士の身分を持つ若者だ。
騎士の本分は武芸にあり。騎士とは本来騎乗して戦う者のことを指すが、初代ミクダが剣に生きた人間であったこともあり、ミクダ領では地に足をつけた状態での剣術が盛んであった。
数年前に、一介の農民の息子であったラースは騎士試験に合格、晴れてスロトフの名と共に騎士を――郷騎士を名乗ることを許されることとなった。
以来、ラースは毎日欠かさずこの場所で剣を振っている。風が吹こうが雨が降ろうが、それもまた修行であると決して休まず鍛錬を続けている。
今は太平の世であれど、それでも剣のみが己の生きる道であると。
「よう、毎日毎日精が出るな。そんなに汗をかくのが楽しいのか?」
「フランク……ふぅ。もうそんな時間か」
一心不乱に剣を振っていたら、一人の男が酒瓶を手提げ袋に入れて歩み寄ってきた。
フランク・アクセル。ラースと同じく郷騎士の身分を持つ若者であり、ラースとは幼い頃からの付き合いだ。
「俺には真似できんね。せっかく騎士身分を手に入れたのにそんなこと繰り返すなんて」
「騎士になったからだろうが。……それに、郷騎士に遊んでいる余裕などあるわけがない。お前と違って、我が家は貧乏なんだよ」
ラースは聞きようによっては嫌味にも聞こえる言葉を口にするが、フランクはヘラヘラ笑うだけであった。
この二人にとっては、いつものことなのである。フランクは裕福な商家の息子、ラースは貧しい農家の息子。子供の頃に同世代だったから友達になった関係であり、それ以来ずっと良好な関係を続けている。
いわゆる幼なじみである二人は、今更わかりきったことで一々腹を立てるような仲ではないのである。
「ったく、上騎士の連中、仕事はしないくせに給料だけは持って行くからなー。実家も金持ちのくせに」
「お前だって実家の資金力だけなら負けてないだろ」
フランクの登場と共に剣を納めたラースは、事前に用意しておいたタオルで身体の汗を拭いていく。
それをぼーっと見ていたフランクは、更に愚痴を積み重ねていった。
「この前さぁ。街でイケてる姉ちゃん見つけたのよ。これは紳士として声をかけなければならないって使命に燃えて突撃したら、横から上騎士の連中が現れてさ。『郷騎士風情は引っ込んでおれ』だってよ。お姉ちゃんも上騎士って知ったら俺の事なんて見向きもしないでついて行っちゃうし、ほんと嫌になるわー」
「……騎士たるもの、心正しく清らかに。そんな初対面ですらない女に軽々しく声をかける男のどこが紳士だ」
「堅物だね相変わらず。いやでも、男前勝負なら絶対俺の方が勝っているって。上騎士共は豪華絢爛な衣で、俺は安物のシャツ。そんなハンデさえなけりゃぁなぁ……」
「仕方が無いだろう。平民が貴族のような華やかな服を着ることは許されていないんだから」
身体を拭き終わり、平服に着替えたラースは呆れたように友を諫める。
ラースの言う通り、貴族が好むようなキラキラとした衣服は貴人着と呼ばれており、平民が着ることは許されない。本来貴族に相当するはずの郷騎士も例外ではなく、華のない地味な服を着ることを義務づけられているのだ。
外見により身分をわかりやすく示すという理由らしいが、平民からすれば不当な差別としか言いようがないだろう。元々外見に無頓着なラースはそれほどでもないが、平民の女性などは美しい宝石類の着用を許されていないことを腹立たしく思っているらしい。
しかし、今更な話だ。そういうものだと納得するしかないのが現実で、フランクもラースがこの手の話題に乗ってこないことはわかっているからかへいへいと適当に話を終えた。
そのまま、二人は並んで歩き出す。郷騎士としての仕事――主に街の警備任務――を終えた後は自由行動となるが、フランクはぶらぶら街を遊び歩き、ラースは黙々と鍛錬。それが終わればどちらかの部屋で二人酒を飲んで一日を終える。
それが日々の繰り返しであった。
「あーあ。何か面白いこと無いのかねー」
今日は、郷騎士に与えられている寮のラースの部屋で男二人酒を飲んでいた。
しかし色気のない男二人の酒など、話題は自然と愚痴に移行するものだ。普段から軽い口が酔って更に軽くなったフランクが洪水のような愚痴をこぼし、それを酔っても堅物のラースが聞き続ける。
それがこの二人の飲み会である。
「なー、ってー」
「変わりないのはいいことではないか。俺たち騎士は治安の維持を使命とする者。変わりないとは平和の証だ」
「ちぇー。ま、そりゃそうなんだけどさ。いきなり戦でも起こって剣を取れーなんて言われたら俺怖くて泣いちゃう」
「お前がそんな殊勝な人間か? もしそうなればどんな厄災が起きるかの方が俺は怖い」
「こんな平和主義で小心者のフランクちゃんになんてこというのよこの人は……」
ヨヨヨ、とわざとらしく泣く真似をするフランク。どうやら良い感じに酒が回っているようだ。
「あーあ……あ、そうだ」
その内飽きたのか、フランクは泣き真似を止めて思い出したかのようにぽんっと手を打った。
「変わったこと言えば、近々このミクダ領に陛下が視察に来るって噂、聞いてるか?」
「陛下? 陛下って、あの陛下?」
「俺らの陛下って言えば、このアルゴル王国の王様に決まってんだろ」
「ほー……陛下がなぁ。まあ、俺達には関係の無い話だろうが」
国王――というものは、騎士の末席であるラース達であっても遙か雲の上の人である。
万が一にも国王陛下の目にとまり、国中の騎士の頂点――憧れである王族近衛騎士団に抜擢でもされればそれに勝る喜び無しと言ったところであるが、所詮は夢物語。
実力よりも身分の差という常識が当たり前に存在する今のミクダ領で育ったラースにとって、そんな奇跡は祈る方が虚しいものだ。
どれだけ頑張っても、郷騎士は真の騎士ではない。そんな差別を受け続けてきた男にとって、権力の頂点に立つ人間が郷騎士如きを見るはずがない……それがラース達の常識なのだ。
「もし本当なら変わったことではあるが、楽しいことにはならないだろうな」
「だろうなー……。ま、精々陛下が来ている間の警備が厳しくなって、給料は上がらないのに仕事は増えるって程度のものだろうなー」
「そういうことだ」
テンションが下がった二人は、黙々と酒を飲み続け、やがて潰れる。
フラフラの足取りで自分の家に戻っていったフランクの背中を見送り、ラースは床についたのだった。
そんないつもの日常を過ごした日より、数日後――
「これより、畏れ多くも陛下お立ち会いの元、トーナメント形式による御前試合を行う! 一同の者、日々の鍛錬の成果を存分に発揮するがよい!」
ラースとフランクは、普段は出入りすることの無いミクダ領名物の闘技場に来ていた。
闘技場の貴賓席――普段は領主以外座ることを許されない最も高い位置に置かれた豪華な椅子には、見覚えの無い、絢爛豪華な衣装を身につけた一人の老境の男性が座っていた。どうやら噂は本当であったらしく、その老人こそが国王陛下その人らしい。
何でも孫娘――つまり王女様と二人で視察に来たらしいが、ここにいるのは国王陛下ただ一人。姫君は、こんな野蛮な場所に関心は無いということなのだろうか。
(御前試合、ね……)
お偉いさんが何を考えているかは二人にはわからなかったが、突然『騎士同士の御前試合を行う。上騎士、郷騎士共に闘技場に集合せよ』という命令がかかったのだ。
恐らくは、屈強な騎士の存在で知られるミクダ領の力を国王陛下にお見せするため、このような余興を思いついたのだろう。他ならぬ、ミクダ領現領主、ミクダ七世が。
「茶番だな」
「口には出さない方がいい」
フランクが不機嫌に呟いた言葉に、ラースは否定せずに諫めた。
日々の鍛錬の成果を見せろ……もし、司会進行を務めている上騎士の言葉が真実ならば、ラースはやる気を滾らせただろう。日々培った力を陛下に、そしてこの場にいる全ての騎士に見せつけてやると。
だが、そんな未来はあり得ない。厳格な身分差が存在する上騎士と郷騎士の間には、絶対の暗黙の了解がある。
――郷騎士は、上騎士に勝ってはならない、だ。
(ただでさえ、郷騎士に負ければその後報復をすることを躊躇しないような外道ばかりだ。まして、陛下の前で郷騎士相手に恥を晒したとなれば……家族にまで謂われ無き罰を与えられかねん)
上騎士は貴族の家の人間。郷騎士は平民から取り立てられた人間。
どちらが強いのか、といえば、1000人に1人とも言われる狭き門を超えてきた郷騎士の方が大抵は上だ。彼は皆達人と称して不足のない戦士であり、一流の技量を持っている。
しかも、上騎士は恵まれた環境で育っているのに、本人にやる気がないので怠けているというケースが大半なのだ。騎士の称号を得たのもただの箔付けのためであり、実際の腕前は素人に毛の生えた程度という、実家の威光だけが取り柄の上騎士も珍しくはない。
もちろん中には環境と才能、そしてやる気に恵まれた、郷騎士を超える上騎士がいないとは言わないが……やはり、実力だけで比べるのなら大抵は郷騎士の方が強い。
そんな上騎士には、当然騎士としての誇りなど無い。もし上騎士に身分で劣る郷騎士が土をつける――そんなことになれば、待っているのは権力を利用した報復だ。
しっかりと鍛錬を積んでいる上騎士であっても、結局は変わらない。彼らは遙かに下等と見下す郷騎士を決して許さず、下手をすれば本人だけでなくその縁者にまで危害を加えようとするのだ。
故に、郷騎士は如何なる事情があっても、上騎士に刃向かうことは許されない。
試合となれば不自然にならない程度に手を抜くことを強要され、もし顔に傷でも付けようものなら後でどんな仕打ちを受けるかわからない――そんな茶番劇を演じることになるのだ。
「上騎士だけでやればいいのにな」
「……郷騎士風情、上騎士の敵では無かった。そういう結果を残したいんだろ」
この場に郷騎士が呼ばれたのも、ただの嫌がらせ。国王陛下に見せる上騎士の勝ち星を一つでも増やすためであり、貴族は平民などよりも優れているとアピールするためだ。
それを理解しているラースとフランクは、テンションなど上がるはずもない。
ラースもフランクも一回戦、二回戦は同じ郷騎士だったので真剣に武を競い合い、見事勝利を収めた。
しかし――
「フハハッ! また郷騎士風情か。これでは我が剣の真価を陛下にお見せできないではないか」
続く試合で、ラースは上騎士とぶつかった。
しかも、ただの上騎士ではない。見るだけで郷騎士を見下す傲慢さがよくわかるこの男の名は、ミクダ八世。つまり、領主の息子であり次期領主なのだ。
流石に、騎士の家系として知られるミクダの嫡男だ。他の上騎士と違ってきちんと鍛錬は積んでおり、決して侮れない実力を持つ。その上他の上騎士に輪をかけた選民意識の持ち主であり、もし郷騎士が自分に勝利する――否、傷の一つでもつけようものなら一族郎党縛り首にするくらいは平然とやるだろうし、それだけの権力を持つ男だ。
一回戦、二回戦共に郷騎士であったミクダ八世であったが、その試合内容は酷いものであった。
相手が反撃できないことを知った上で、嬲るような攻撃。郷騎士が手を出さないのではなく、自分の攻撃を前に手も足も出ないのだ――という演出を行い、じわじわ痛めつけた末の勝利を得ていた。
必要以上の暴力など、騎士として恥ずべき行為。そう信じるラースは拳を握りしめるが、決してそれを表に出してはならない。
貧しくとも、ラースには育ててくれた両親がいる。
つまらない自分だけのプライドで見捨てることなど、絶対にできない大切な家族がいるのだ。
「試合――開始!」
「そらっ! 受けてみろよ郷騎士!」
審判の手が上がると共に、ミクダ八世は鋭い踏み込みで距離を詰めてきた。
初太刀は、ラースも剣で受ける。同じ負けるでもあまりにもあっさりと負けるのでは八百長丸出しで心証を悪くしてしまうため、ある程度は防戦した末に負けなければならないのである。
続く二の太刀、三の太刀も、ラースは剣で受け止める。一撃一撃は確かに鋭く、気を抜けば本当に剣を弾かれそうだ。先に戦った郷騎士達が防ぎきれなかったのもよくわかる。
反撃を全く恐れない、勇猛果敢な剣。事情を知らなければそう思えるほど迷いのない連撃は、確かに驚異であった。
しかし、ならばとラースは完全なる守りの構えで受ける。反撃を考えず、ただひたすら自らの間合いに入った攻撃を弾き落とすことに集中。どのあたりで負けを認めるのが正しいのかと考えながら、ラースはミクダ八世の猛攻を捌いていく。
すると――
「この、郷騎士風情が、俺に手間をかけさせるな!」
(――そこっ!)
ラースの身体は、直感的に動いた。静から動に、守りから攻めへと。
思うように攻撃を当てられない。その怒りからの無茶な連続攻撃によって生じた、一瞬の隙。ガードがなくなった無防備の胴体。ラースの騎士としての身体は、本能は、頭の命令を待つことなく、咄嗟にその隙を突くべく剣を振り下ろしてしまったのだ。
「まずっ――」
動いた直後に理性が追いついたラースは、振り下ろした剣を全身の筋肉を駆使し、無理矢理止める。
無茶な駆動で全身の筋肉がぷちぷちと嫌な音を上げる嫌な感覚が襲ってきたころ、剣速が落ちたことで本来間に合わないはずだったミクダ八世の剣はギリギリ間に合い、そのまま――
「ハァッ!」
――ラースの剣を弾き飛ばした。
強引な停止で瞬間的に握力が無くなっていたこともあり、必殺のタイミングで放った剣はそのまま弾き飛ばされるという結果に終わった。
更にそのまま尻餅をつき、次の瞬間には喉元に刃を突きつけられた。
もちろん、これはあくまでも試合。使っている剣も鉄製ではあるが刃を潰してあり、刺される心配は無い。
しかし、もしその手にある剣が本物の真剣であるのならば、おそらくミクダ八世はそのままラースの喉を切り裂いていただろう。
ミクダ八世はそれなりに優れた腕前を持つ剣士。当然、ラースの放った一撃が直前で止めなければ必殺のそれであったことを理解しており、実力で競えば負けていたことをはっきりと理解しているのである。
郷騎士に、負けた。試合の形式上ではミクダ八世の勝利だが、実力での敗北という事実がミクダ八世の中で、烈火の怒りとして燃え上がっているのだ。
「それまで! 勝者、ミクダ殿!」
審判の宣言を聞き、ミクダ八世は人を殺せそうな眼でラースを睨み付けながらも剣を納める。
もしこの場に陛下の目がなければ、もしかしたらこの場で殺されていたかもしれない。ラースはそう思い、自分としたことがついやってしまったと頭を掻いてその場を立ち去るのであった。
「郷騎士風情が……覚えておれ」
その後、御前試合はミクダ八世の優勝で幕を下ろした。
フランクはぶつかった上騎士に適当に敗北し、上手い具合にことを終わらせたようだ。
試合の経過に一抹の不安を覚えながらも、ラースは身体を揉みながらその結果を見届け、寮に戻るのだった……。