暇つぶし魔王と人間の生業
「地上階である商業区には、基本的に個人の住宅はない。この町は5階層になっていて、この上の2階は先ほど門前に顔を揃えていた自警団の詰所。さらに上の3階と4階が居住区。5階は領主殿の別宅となっているが、通常は王都に滞在されているのでここにはいらっしゃらない。貴殿等が空にあった時、それを目撃したのは屋上の監視台に詰めていた者達だ」
幼い娘を片腕に抱え、マルティ・エヴァンスは歩きながら淡々と説明する。
商店に居残った人々は未だ不安そうではあるものの、自警団団長の腕に抱かれた愛らしい少女に手を振られると曖昧に笑顔を浮かべた。
「町の住人は6割方が戦士だ。この町には産業がないので、他国へ戦力を派遣する事で稼いでいる。……まぁ、今は国同士の争いもなく平和なので、主な依頼は……魔族の討伐、や警護なんだが……」
僅かに言い淀んだのは「魔族を討伐する」事を魔王が許すか否か不安になったのだろう。砂色の目が自分に向けられるを気にすることなく、魔王は「稼ぐとは?」と尋ねる。許すも許さないも、そもそも魔王は魔族の管理者ではない。
「魔王様、人間族は『シノギ』という責務を果たさねば生きていけないのです。『シノギ』で『アガリ』を稼ぎ、それを元手に生活物資を得ているんです」
「……クライス・ロー・サーペント・シュデガルダ・レッドフィールド……それは間違いではないが、貴殿がこっそりと来訪されているであろう地区が予測できたぞ……。一般的には『シノギ』ではなく『仕事』と言うんだ。『アガリ』は報酬、つまり金だ。人間は仕事をして金を稼ぐ。ここ等の商店でも、モノを得るには金と交換する必要があるんです」
クライス・ローが青い目をキラキラさせながら「ふむふむ!」と身を乗り出すように聞いているのを横目で見、魔王は白い顎にローブから出した手を添えた。
「魔族間では魔素を含む石や珍しい生き物をやりとりする場合があるな。あれと同じか」
「近いとは思われるが……もっと生存に直結しています。人間は食うのも住むのも、全てを金で得るので」
ふぅむ、と小さく唸った魔王は、いまだ警戒しながら此方を伺っている鎧姿の人間達の姿と、半歩前をガシャリガシャリと金属音を鳴らしながら歩くマルティの背中と見比べた。
「マルティ・エヴァンス。お前の仕事は先ほど言っておった『自警団』というものか?」
「いや。俺の仕事はあくまでも傭兵であって、自警団は仕事ではない。傭兵等の任期で町を離れる時以外は、自主的に魔物から町を守る活動をしている」
「なるほど、それは……『趣味』というヤツだな」
「趣……『仕事』を知らないのに『趣味』はご存知か。魔王殿はずっと魔王城にいらしたのでは? 一体どちらでそういった言葉を覚えられたのか……側近殿からか?」
「ん。吾はその昔、人間と暮らしていたからの」
「……は?!」
マルティが立ち止まる。
クライス・ローは目の前で突然肉壁となったマルティをスルリと躱し、ついでにその腕の中にスッポリと収まっているシェリーの頬を突いた。白い絹の手袋に突かれたシェリーはうふふ、と擽ったそうに首をすくめて笑う。
性急に寄るどころか不用意な接触であるにも関わらず注意する事すら忘れ、マルティ・エヴァンスは威圧感鉄壁抑制中の美青年の顔を真正面から見下ろした。その眉間に皺が寄るのは、改めて魔王と人間の関係性を意識した為だ。
ごくり、と喉がなる。
「それは……あれですか、やっぱり、攫ったとか、無理矢理な感じに、嫁にしたとか」
「嫁とはなんだ?」
「魔王様。嫁とは、雄と雌で番いになり、このように子を為す生態のモノのうちの雌の方のことで御座います。んー、手近なところですとデッケラーのところのアウデラウダ。あれはデッケラーの嫁ですね」
「あぁ……」
側近の例えで思い当たる関係があった様子で、魔王が頷いた。
デッケラーが何の種族かわからないが、魔物にも番いになる種があるということだろう、とマルティは曖昧に納得する。……とはいえ、雌雄をはっきり区別できる魔物の種類は思い付かなかった。
「嫁は不要だ。吾は子を為さぬ」
「え」
「そこのシェリー・エヴァンスはお前の子と言ったな。お前の嫁はどこで攫ったのか?」
感情の読めない紅い目に見上げられて、マルティは「攫ってないから!」ときっぱり答えた。
「いや、嫁がどうとか、そうではなく……」
「あぁ! シェリー!」
その時、遠巻きに薄く築かれた人垣を掻き分け、革製品を並べた商店の向こうから体躯の丸い女が駆け寄ってきた。
「おかあさまだ」
クライス・ローに、存分に両頬をもちもちと弄ばれた少女が身を乗り出す。
「あぁ良かった! 心配したわ」
「エマ」
「あなた! ごめんなさい」
シェリーは、ボリュームのある母と鎧を着た父とのハグに挟まれて「ぷぎゅ」と鳴き、それを聞いた執事が「これはこれは斬新な鳴き声!」と眼鏡を押し上げた。
魔王は無表情のままその光景を眺め、すっと目線を己の右手に落す。
人間族であれ魔族で植物であれ、あらゆる生命体が意識することなくその身から発している粒子のような僅かな光が、ランタンの灯りで朱に染まるこの空間にも満ちていた。
魔王の紅の瞳にはそれが映るようになっている。
子を挟む人間達も、クライス・ローからも、その僅かな光は滲み出す。
しかし、己の右手に光はない。魔王自身だけ、この世で唯一その光を持たないのだ。
その昔、共に暮らした人間に言われた言葉を思い出す。
……貴方はきっと、世界の理から外れているのね。
「……次の『勇者』は、吾の元まで辿り着くだろうか」
周囲に溢れる白く淡い光を眺め、魔王はぽつりと呟いた。