暇つぶし魔王と少女は出会う
魔王とその側近を連れた自警団団長マルティ・エヴァンスが門をくぐると、物々しく得物を手にした人間達は彼らを囲み、ジリジリと間合いを取った。
門を入ってから暫くは、門と同等の高さと幅の空間になっている。壁と床には門と同じ鋼鉄が貼られ、先ほどのマルティ・エヴァンスが駆け下りて来たと思わしき無骨な鉄板の階段が急角度で上階へと伸びている。
マルティはその空間にひしめく戦士達に視線と僅かに顔を揺らす仕草をとり、それを受けた戦士達は戸惑いながらも人間壁をゆっくり解いていった。
背後で、再び門が降ろされる音が響く。
鋼鉄の通路を進んだ先。やっと、魔王の視界に町の景色が広がった。
無骨な石壁と天井がある広間にはその中央に小さな噴水がある。壁沿い複数ある部屋は全て商店となっていて、その扉の前には木枠の商品棚が据えられ、色とりどりの果物や雑貨が所狭しと陳列されていた。
外が昼だというのに「町」が夕暮れのような赤っぽい光で覆われているのは、各所にランタンを吊るすことで「灯り」としているからだ。外見のように要塞としての機能も有している作りでは、採光窓がない。
「……地上階は、このように奥まで商店が並ぶ作りとなっている。この町は王都から遠く森に囲まれてるので、あまり面白い物は扱っていないんだが……」
ぞろぞろと引き上げて行く戦士達を見て、不安そうにこちらを伺っている住民達に目線だけで合図を送った後、マルティが振り向く……が、そこに魔王はいなかった。
「これは何だ? 液状の宝石か?」
「これはジャムと申しまして、果物を蜜で煮込んだ食べ物です。果物の種類によって、ジャムの色が変わるんですよ」
「ほう」
「ちょいちょいちょい!!」
勝手に手近な商店を覗く魔王と側近に、マルティは慌てて駆け寄った。
憐れなジャム屋の店主は、恐れ慄き部屋の隅で震えている。
「勝手に! ウロウロ! すんなっ!」
詰め寄るマルティの怒声に紅い目を丸くした「すまぬ」と答える主を横目に伺い、クライス・ローも「失敬」と従う。
キョトンとしている金黒の美人を見て我に返ったマルティは、小さな咳払いをした後「……先刻申し上げた通り、俺がきちんと案内を務めさせていただく。このように、性急に人間の近くへ寄るのは控えていただけるだろうか」と言い直した。
「わかった」
「……つい失礼な物言いとなった点については、深くお詫びする」
「よい」
魔王の黒い手袋の手のひらに再び制されて、マルティは溜息を吐いた。その隣で貼り付けたような薄い笑みを浮かべている銀色の側近を見る。
「……クライス・ロー・サーペント・シュデガルダ・レッドフィールド。人間にとっては、魔王が人前に現れるというのは大事件なんだ」
「ええ、それはよーく存知ております。魔王様は非常に懐深くていらっしゃいますので、人間が何をしようがお怒りになる事などございますまい。私のことはお構いなく。愚かしくも魔王様に剣を向けでもしない限り、私は慎ましく、主のお側にあるだけでございます。まぁ、剣では魔王様に傷一つつけられませんが」
ふふふ、と目を細めるクライス・ローはその言葉通り、マルティの不敬な態度には興味がないようだ。
「それに、魔王様が人間の前に御姿を現すなど100年に一度あるかないかという特別な事です。居合わせることができた奇跡を誇りに思うと良いですよ」
にっこりと嘘臭い笑顔を浮かべる銀色の執事の感覚は、人間には理解し難い。マルティが返す言葉を探していると、
「ベアードさんちのジャムは、とてもおいしいのですよ」
ジャム店の陳列棚の影から、幼い子供の声が掛けられた。
姿を見せたのは、生まれてから10年と経ってなさそうな幼女だった。砂色のくせ毛を肩まで垂らし、シンプルな膝丈のワンピースを着ている。
「わたしのおすすめは、イチジクのジャムです」
「シェリー!?」
「おとうさま、おしごとごくろうさまです」
丸い頬を綻ばせマルティ・エヴァンスに歩み寄る少女を、魔王と側近は見下ろした。「おとうさま」と呼ばれた隻眼の剣士は、慌てて娘を抱き上げた。
「おまっ……こんなところでなにしている! 避難指示が出ただろう!」
「ひとがたくさん、わぁっとうごいたので、おかあさまとはぐれてしまいました。わたし、おかあさまとおかいものをしていたんですよ」
一生懸命言葉を紡ぐ少女をまじまじと見つめ、魔王は「お前の子供か」と呟いた。マルティはハッとして娘を庇うように抱え込む。
ムギュッと締め付けてくる腕から身を捩り、少女は魔王と瞳を合わせた。
「とてもきれいなひとね。めのいろがイチゴジャムみたい」
「こらシェリー!」
「はじめまして、シェリー・エヴァンスといいます。8さいです」
「吾の名は……」
「このお方は魔王様ですよ、シェリーさん」
「マオーさま」
「おやおや賢い!」
人間大好きな銀鱗の毒蛇の琴線に触れたようだ。クライス・ローは、マルティが抱え込めなかった娘の手のひらをちょいと指先ですくい上げた。
「私はクライス・ローとお呼びください、レディ」
「クライスロさま、わたしのなまえはレディではなくシェリーです」
「賢い!」
「側近殿! これは俺の娘ですので、チョッカイはご遠慮願う!」
緊張した面持ちで娘を魔物から遠ざけるマルティだったが、当然、そんな言葉で彼等の関心は逸らせなかった。
「……人間の子供というのは常に泣き喚いている印象しかなかったが、全てがそうでもないのだな」
「いや〜実に面白いですね〜」
「んぐ」と喉を鳴らしたマルティは、周囲を見回した。魔王来襲に伴う避難指示で大半が上層の居住区へ向かったとはいえ、商店の並ぶ町には居残った町民と警備をしている戦士達が疎らに残っており、チラチラとこちらを伺っている。その戦士に声をかけた。
「おい! 今すぐ妻を……エマを探してきてくれ! シェリーがここにいると」
「はっ」
戦士が数人、走り去って行く。
「シェリー、お母さんが来たらうちに戻るんだぞ」
「わかりました。マオーさまとクライスロさまは、おきゃくさまなんですね」
「違う!」
「おきゃくさまはおもてなしをするものだと、おかあさまにいわれてます」
神妙な顔で娘に諭され、さっさと町を案内してお帰りいただくつもりだったマルティは言葉に詰まる。
「おもてなしいただけるんですか! 私、城以外の人間の棲家には入った事がありません! これは素晴らしい経験ですよ、魔王様!」
「お前は本当に人間が好きだの……」
すっかりマルティの自宅へ訪問するつもりになった魔王の側近に、マルティ・エヴァンスは隻眼を閉じて天を仰ぐしかなかった。
マルティさんは自警団団長で30歳。