暇つぶし魔王は要塞町に降り立つ
クライス・ローの言っていた「町」は、空から見たところ限りなく要塞の体を成していた。
「……『町』というのは、もう少しこう、区画ではなかったか?」
暫く引きこもっている間に変化したのかと彼が首を捻ると、クライス・ローは機嫌よく解説し始めた。
「見た目はアレですが、ひとかたまりの要塞城ではなく壁に囲われた町でございます。魔王様の居城に最も近い位置にある為か、軍人ばかりの、魔物慣れした人間が揃っておりますよ。この辺に棲む魔族は人型を取れる者が多いですから、私もたまに紛れて遊んでおります」
「あぁ、お前がよく出掛けているのはここか」
「はい。人間は器用で面白いものを作りますから、ちょっと目を離すと直ぐに新しい技術が出来てます」
眼下の要塞町で、最上階の近く、テラスのように屋根が平面に均された区画が俄かに騒ぎ出す。こちらを指差している人間がちらほらいるので、彼の姿を認めて慌てているのであろう。
「うむ。見つかったな」
「見つかりましたねぇ。さすがに、魔王様の威圧感はこの町ではすぐにバレてしまいますか。ここの住人は人間の中でもかなり上位の武力持ち揃いですから、私どもが町に入っても警戒される程度で襲ってはきませんよ。反撃されれば一発で死ぬとわかってますから……身の程を弁えているが故に、残念ながらこの町では『勇者』が現れないのです」
「……そうか、それは残念だ」
彼は翼を伏せ、風を切りながら要塞の門の前へと滑空した。
魔王城に続く森側の壁は、巨大な門により完全に遮られていた。分厚く、鋼鉄を幾重にも束ねたような門扉は重々しく閉じられている。
クライス・ローが後に続き、魔王の背後に音もなく降り立った。
「魔王様、わざわざ閉まっている門から入られるのですか?先ほどの屋上に降りられるかと思っておりました」
「人間は門を出入りする為に作るのだろう?」
魔方陣で跳ぶ時は時空を歪ませて移動するので入口も出口もないが、明確に「こちらからどうぞ」と示されているものを無視する必要はない、と魔王は当たり前のように答える。
「うふふ……真面目……」
背後でクライス・ローが肩を震わせているが、どうでもいい。
巨大な鋼鉄製の門は閉ざされていて、彼は周囲を見回した。押すのか引くのか知らないが、とりあえず自分で動かせば良いのだろうか。
黒々と光る門扉に手を掛けようとすると、上空から叫び声がした。
「……ちょ! まっ! ちょっと待った! 待って待ってアンタ! それ壊されると今後の魔物避けとか面倒だから! こっちで開けるから、ちょっと待って! …………おい!門兵、早く開けろ!」
声の出どころを視認するより早く、ミシッと軋む音がして、鋼鉄の門はズルズルと音を立てて上に引き上げられていく。
「……なるほど。押すでも引くでもなく、上げるのだったか」
少しでも力を込めて押していたら、確かにこの声の通り、大きく歪ませ壊していただろう。
ゆっくりした動きで門が腰元まで上がった頃、その隙間から人間が転がり出てきた。はぁはぁと息を切らしている。
「……っ飛んでる、から、空から、入って、くると、思ったのに! 予想外!」
先ほど上から降ってきた声と同じものだ。何処にいたかは知らないが、慌てて駆け下りてきたようだ。
「吾が入ってくるのを空の近くで待っておったのか? お前たちがわざわざここに入口を定めているのだから、待つなら入口におればよかろう」
「……真面目っ!」
前屈みのまま息を整えた人間は、上体を起こして彼の姿をまじまじと見る。
彼も見返した。その人間は、人型を取っている彼より体躯は大きく、灰色の髪を短く刈っている。顔には大きな古傷があり、その傷が一文字に横切る左眼は開いていない。身体は古いが頑強そうな鎧で包まれ、腰に下げるには巨大すぎる大剣を携えていた。
魔王の瞳に見返された途端、人間の表情が険しくなる。
「…………何だ……? この、感じ……嘘だろ……っ!」
腰の大剣に手を伸ばそうかと逡巡しているのが伝わってきた。その気配だけで、背後のクライス・ローが不穏な気を流し始める。
「よせ」
クライス・ローに向けて発した一言に、人間がびくりと固まった。
「……入ってよいか」
さっきまで門だった空間……今は鎧を纏った人間族が大勢居並び、その向こうが見えない門の内側を指差す。
隻眼の人間は気力だけで意識を立て直したようで、ギクシャクと背筋を伸ばしながら「……よいも何も、俺たちでは止められないだろうが」と呟いた。
「久々に外に出た故、人間族の様子を見ようと立ち寄ったまで。吾は面倒事を好まぬ。面倒になりそうなら入らぬ」
彼の言葉に、人間は「え、こっちに選択肢あるの?」と怪訝な顔をした。
「当然である。ここは貴様らの町であろう」
「ま、真面目」
隻眼の人間は細く息を吐き、魔王に向かい居住まいを正した。
「俺はこの町の住人で、マルティ・エヴァンスと言う。貴殿は、魔族の王だな」
「うむ。あちこちで魔王と呼ばれておるが、王制を敷いた覚えはないのでただの呼称だ。名は……」
「魔王様は魔王様です」
すかさず、クライス・ローが口を挟んだ。マルティ・エヴァンスは視線を引き剥がすように魔王からクライス・ローに移し、すぐに再び魔王に戻す。隻眼の瞳が僅かに揺らし、戸惑っている。
「……そちらは魔王の側近と有名なクライス・ロー・サーペント・シュデガルダ・レッドフィールドだな。……厄介な……魔王よ、この町に何の御用か」
「物見遊山」
「は……?」
「観光」
「……」
「先程も言ったであろう。吾は暇なのだ。久々に人間族の様子を見に来た」
「………………そう、ですか……」
マルティ・エヴァンスは呆気にとられたような表情を浮かべたが、すぐに顔を引き締める。
「恐れながら! そこらの魔物ならともかく、魔王の来訪はさすがに町の住民への影響がデカい。観光であればちゃちゃっとお済ませ頂きたい! そしてこの町におられる間は俺が同行し、案内を務める事をお認め願う!」
「……ほう」
『勇者』ではないが、中々に骨のありそうな人間だ。魔王の浮かべた笑みをどう捉えたのか、マルティ・エヴァンスはギッと砂色の右目を合わせてきた。彼は威圧しているつもりはないのだが、マルティ・エヴァンスの顔にじわじわと汗が滲む。
「よかろう。せいぜい貴様に愉しませてもらおうぞ」