もう辺境伯令嬢に転生している俺が……なんで乙女ゲームの悪役令嬢やるんだよ!
魔王リックの奴、ノートパソコンの前に座ってなんか一生懸命にやってる。
珍しいな。
「いったい何をしてるんだ?」
俺はあまりに熱心なんで声を掛けてみた。
「おう、ヒロシ! オレ自慢のストーリーを、この『小説屋になろう』に投稿しているんだぜ」
「へぇ…… なんだこのサイト、白くてスカスカじゃん」
「キミはバカだなー、だから読みやすくていいんだろー」
魔王のクセに正論を吐きよる。
「で、お前の小説ってどんな内容なわけ?」
「チートスキルをゲットして無双してハーレム作る話」
テンプレじゃねーか……
でもよく思い出すと、俺の前世でもそういうストーリーのエンタメは結構あった気がする。そういうのは流行じゃなくて、人類不変の何かなのかもな。
「ヒロシー、オレの小説読んで評価と感想を入れてくれよ」
「はいはい」
というわけで、俺は誘われたサイト『小説屋になろう』を自分のスマホでチェックしてみた。
「なんか、似たようなタイトルの小説ばかりじゃね?」
「流行があんだよ、どこでも一緒だろ」
また魔王のクセに正論を吐きよる。
「で、タイトルは何? 検索するから」
「オレが英霊として召喚された異世界で約束された勝利の件」
「二次創作か……」
今日も魔王は辺境の地で、人々に恐怖を振り撒いていた。
☆〇
俺が帰宅すると、部屋にゲーム機とソフトが置いてあった。
CDケースに付箋が貼ってあって『やってね』と書いてある。
相変わらず魔王リックの字は汚い。
「美少女ゲームかな? 『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』……乙女ゲームか」
ジャケットには、主人公と思われる女の子が戸惑う表情で中央に、左に金髪碧眼の貴族風美男子、右に銀髪碧眼の貴族風美男子。
まさに“いかにも”って感じ。
「べつに女向けのゲームなんて、俺はやらんけど……」
ジャケットの裏を見るとイラスト付きでキャラクターの説明が書いてある。
プリシラ・リッツ・フォーサイス
主人公、16歳。貧乏貴族出身の少女。真面目で純真、活発な性格だけど少しドジ。ベルヴェデーレ宮殿で行われる晩餐会に招待される。
ラインハルト・シオン・マカロフ
帝国の第1皇子、16歳。金髪碧眼の美男子で物腰柔らかく誰にでも優しい。周囲から皇位継承者と目されている。
アルフレッド・シオン・マカロフ
帝国の第2皇子、16歳。兄とは双子だが、銀髪。性格は正反対の一匹狼タイプ。険しい性格で他人との交流を避ける。
グラフィリカ・アーク・カラザール
帝国最高位階の貴族、カラザール大公爵家の令嬢、16歳。プライドが高く、主人公の行動をいつも邪魔するいわゆる悪役令嬢。
「て、テンプレだな……」
お約束なキャラ設定に中身もだいたい予想できてしまうが……
まぁ、あの魔王がわざわざ作ったんだから、少しぐらいならやってやってもいいか。
それに俺の魂は半分乙女。まぁ、オッサンの俺の方もこういうゲームに興味が無かったわけでもないし。
「ちょっとだけだぞ。つまらなかったらすぐやめるからな」
俺はそんな気分でスイッチをオンにする。
いかにもなオープニング音楽が流れ『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』ってタイトルが表示される。
ジャケットと同じイラストが表示されているので、それなりに凝ってるかもしれない。
「これ、『乙女ゲームつくれーる』製かな?」
ニューゲームを選んでゲームスタート。
タイトル画面に出てくる主人公プリシラに、ベルヴェデーレ宮殿の晩餐会への招待状が届いたところからストーリーが始まった。
会話も演出もどこまでもテンプレだったが、まぁまぁ遊べる。
そして俺はいつの間にか遊び続けていた。
☆〇
それから……俺は全てのイベントスチルを手に入れ、隠しエンディングも発見した。
1回のプレイは30分ぐらいの短いストーリーだけど、いくつか分岐があって、それなりに作り込まれている。
EDは第1皇子ラインハルトからの告白ルート、第2皇子アルフレッドからの告白ルート、隠しEDとして両方から告白されて困惑ルートが用意されていた。
どのパターンでも、悪役令嬢グラフィリカが酷い目に合うパターンなのが気になったが……
「お嬢様、そろそろご就寝のお時間ですが……」
侍女のラナがノックした後に入って来る。
ああ、もう0時近いな。
余りにも熱中しすぎて時間を忘れて遊んでしまった。
あの魔王は帰って来なかったが、きっとどこかで遊んでいるんだろう。俺が心配するようなタマじゃない。
俺は、さっさと休むことにした。
魔王がどうしてこんな自作ゲームを置いて行ったのかは気になったが、まぁ、これぐらいの同人創作の意欲ぐらいは普通かもな。
あいつが帰ってきたら「まぁまぁ、面白かったぞ」と感想を言ってやればいい。
でも、この時の俺はまったく気付いていなかった。
このゲームが魔王の罠だとも知らずに……
☆〇
「お嬢様、起きてくださいませ」
朝だ。メイドが起こしに来ている。
「ラナ……もう少し寝かせてくれ」
「ラナ? グラフィリカお嬢様、旦那様が食堂でお待ちです。お早く朝食のご支度をお願い致します」
……あれ
俺はだんだん目が覚めてきた。
いつものラナは起こしに来てくれるはずだか、別のメイドだ。
ウチにこんなメイドはいないはずだが……
「え? な、何だ!?」
俺の起きた部屋はマリアンの部屋よりずっと大きい。さらに部屋に若いメイドが10人もいる。
俺が驚いて跳ね起きると、そのままメイド達に囲まれてドレスに着替えさせられた上に、髪型やらアクセサリーやら何やらをあっという間にセットさせられてしまった。
メイド10人掛かりの連携作業、抜群の手際の良さだ。
姿見に映っている俺は……
「乙女ゲームの悪役令嬢になってるーー!!」
左右の縦巻きロール、少しきつめの顔立ちをした美人。いかにも豪華な深紅のドレス。
間違いない。
昨日、俺が遊んでいた乙女ゲーム『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』に登場していた大公爵令嬢グラフィリカ・アーク・カラザールだ。
「ど、どうなってんだこれ!?」
俺が驚きの叫び声を上げると……
「その通りッ!」
間髪入れず、俺のドレスのスカートの中から橙色の猫が登場する。
どうしてスカートの中から登場するのかはこの際脇におくとして、原因がこいつだと瞬時に理解できたから、俺はその猫を踏みつけたい衝動をぐっとこらえた。
しかも猫のまま喋ってるし。
「説明しよう。ここは、オレの作ったゲーム『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』と同じ設定の世界だ」
「ゲーム世界の悪役令嬢に転生とかテンプレすぎんだろ! つーか、俺、もう美少女令嬢に転生してるんだから、こんなのやめてくれよ!」
俺が抗議すると、魔王は“ニヤッ”と悪戯っぽい顔をして招き猫のポーズをする。
「もし元の世界に戻りたければ……」
「戻りたければ……?」
「オレのいう条件をクリアしたら、レインに頼んで戻してやってもいいぞ」
「そんなムチャクチャな! つーか、俺のマリアンへの転生は“魂の管理者”レインから認められたもので……」
「あー、レインなら『リックが頼むなら……やってあげてもいいよ』だってさ」
こ、こいつ……
マジで“魂の管理者”の彼氏なの? 神様レベルを彼女にしてるの? 何それ、やべぇ。
というか、周囲の侍女メイドはネコがしゃべっているのに、まったく気にも留めない。
まるで気が付いていない様子。
これも魔王の能力ってやつか……
「というわけで、ヒロシはこの『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』でハッピーエンドを目指すんだ。コンテニューはできないぞ」
「ゲーム世界で悪役令嬢として、人生うまくやれってことだな」
と、ここまで答えておかしなことに気が付く。
魔王は、ここがゲーム世界とは言っていない、ゲームと同じ設定の世界って……
まてよ?
ということは……
「ここって、まさか現実? ゲームじゃないの?」
「その通りッ! ここはローラシア帝国の帝都ペテルブルグだよ」
俺は眩暈がした。
☆〇
辺境伯のローザリア家と違い、大公爵のカラザール家は極めて厳格な家風だ。
朝は、まずカラザール家当主である祖父のアルベール大公に挨拶。次に父に挨拶、母に挨拶。その兄弟・姉妹、親戚に挨拶。
朝食前のお祈り、食事中のマナーもかなり厳しい。それを朝昼晩と毎回必ずやる。
その他の行動も分単位で決められていて、社畜だった会社の方がまだマシというレベル。
いくら若くて美しい金持ちの娘の身体になったからって、すでに美少女の令嬢に転生していたんだから、何か性的に特別な感情を抱くわけもない。
「ちょっと、これなんとかしてくれよ!」
俺はストレスがマッハに溜まり、ドレスのスカートに隠れている今回の悪事の原因に抗議した。
ちなみに侍女メイド10人は俺のトイレまでぞろぞろついて来ているが、リックを見ても何も反応しない。俺が猫に声を掛けていることさえ気が付かないようだ。
「ヒロシさ、俺が作ったゲームはレインが計算した未来予想なんだぜ?」
「それが?」
「どのエンディングでもグラフィリカは不幸になる」
そりゃ、彼女が性悪で、気に入らない奴を陥れたり、嫌がらせをする性格だからだ。自業自得。俺には関係ない……
ゲームではグラフィリカの悪事がエスカレートしていって、それが露見。カラザール大公に追放などの厳しい処分を下される。
大公家の令嬢っていう看板と財産が無くなれば、性悪女の人生なんて末路はみんな悲惨なものだ。
「今のヒロシは、悪役令嬢グラフィリカだよな。で、彼女のことをどう思った?」
そうか……
俺は社畜としての生活、長閑な貴族令嬢マリアンとしての生活を経験して、この大公家令嬢の生活が、とても辛く苦しいものだとすぐに分かった。
そんな生活を毎日続けていたら、他人への嫌がらせでストレスを発散するような歪んだ性格になってしまうのかもしれない。
「よし、グラフィリカもハッピーエンドにすればいいんだな」
「その通りッ!」
「で、どうすればいい?」
俺は魔王の挑戦を受けてやることにした。
陰キャのアラフォー、まぁそれでも男だ。不幸になる女の子の運命はほっておけない。
「とりあえず上手く立ち回って、不幸エンドを回避してくれよ」
なんだか抽象的なクリア条件だな。
まぁ、現実なんだから仕方ないか……
ところで、こいつは俺を勝手にこんなところへ連れてきて、やらせるだけっていうのは癪に障る。
なにか攻略のアイテムが欲しいところだ。
こういうゲームだと普通、主人公の好感度が数値でわかるようになっている。指標がないとやりにくい。
「挑戦してやるから、良いスキルとか役立つアイテムをくれよ」
俺はダメ元で聞いて見た。
転生じゃチートスキルかアイテムが貰えるのが基本。ましてや魔王の都合でやってるんだから、何かくれ。
「わがままだなぁ……じゃあ、オレが特別に『人の心を読むスキル』を与えよう」
「て、テンプレだな」
好感度の把握に便利なことは間違いないが、あまりに定番すぎるスキルだ。
しかしどうやって使うんだろう?
「試しにそこのメイドの心を読んでみてくれよ」
橙色の猫は、猫パンチでメイドの1人を示す。
「よっし……じゃあ、えっと……あなた、私のことどう思う?」
俺はそのメイドにグラフィリカの印象を訊ねる。さて、心の声はどう聞こえるのか……
「お嬢様はとてもお美しいお方です」【中身は腐った卵だけど】
「……」
このメイドは【中身は腐った卵だけど】というプラカードを自分で持っている。
まるで、マンガの吹き出し。このプラカードをどこから出したのかも謎だ。
「え、えっと。あなたのそのプラカードは?」
「? お嬢様、何をおっしゃっているのですか?」【この性悪女、あたしに難癖つけてきやがった】
「……」
メイドはすぐに別のプラカードを掲げた。
やはり自分で揚げている事に気が付いていないし、他のメイドも気が付いていない。
俺は、他のメイドにも質問してみる。
「あなた達の好きな人って誰かしら?」
「私はお嬢様へお仕えできることが喜びです」【メイドでも上手くいけば毛並みのイイ男ひっかけられるしー】
「カラザール家にお仕えする身として、恋愛なんてまったく興味ありませんわ」【この女の兄様はとても素敵なのよね、妹はクズなのに】
「私はどこまでもお嬢様についてまいります」【第1皇子ラインハルト×第2皇子アルフレッドなら、攻めはラインハルト様の方かな】
「……」
メイド達は皆、自分の心の中に思ったことを書いたプラカードを持っている。
なのに、掲げているという意識はないらしいし、周囲の人も気が付かない。
確かに『人の心が読める』能力だけど……
「その力はすぐ傍に男がいると使えない、注意して使うのじゃぞ!」
橙色の猫は自慢げに語っている。
「これって、リックが憑依しているだけじゃないの?」
魔王リックは女性に憑依できる。憑依すれば心の中も読めるらしい。
すると、グラフィリカのメイド10人は一斉にプラカードを上げた。
【そうだよ】【空気嫁】【効果は同じだから文句言うな】【オッサンうるせー】【さっさとゲーム進めろ】【アラフォー童貞】etc
魔王、すげぇ……
☆〇
『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』はベルヴェデーレ宮殿の晩餐会に主人公プリシラが招待されるところから始まるわけだ。
ローラシア帝国は貞操観念が強くて学校で男女別クラスが多い。その為、男女の出会いの機会は乏しい。
かといってお家繁栄のためには男女の逢瀬は必須。そのための男女の出会いの場、それが晩餐会ってわけだ。ようするに貴族の集団お見合い、メチャクチャ豪華な合コン。
特にベルヴェデーレで行われる晩餐会は貴族の未婚者限定、しかも上流階級だけ。帝国の皇族も出席する。まぁ、当人たちはともかく、貴族の両親達からすりゃあ、自分の子息令嬢には相応身分の相手がいいわな。
男は白い燕尾服、女はイブニングドレスにアクセ盛り盛りで参加する。もちろんすっごい豪華で高級なやつだ。
プリシラのフォーサイス家は帝国で最も下の位階、男爵の家柄、資産的には完全に没落。
家にメイドは年配が1人だけ、プリシラ付きの侍女はいない。
普通、プリシラみたいな貧乏貴族はベルヴェデーレみたいな超上流階級の晩餐会には呼ばれない。だけど、たまたま人数に空席がでた。こういうのは男女同数にする必要があるわけだ。
年齢が相応で、帝都で暮らしていて、すぐに召集に応じれて、一応貴族の箔もついているってわけで、招待状が届いたって話。悪くいえば合コンの人数合わせだな。
「す、すいません! 遅れました!!」【やばいやばいやばい! あたしったらまたドジッちゃった!!】
息を切らせて入って来る青いドレスの女の子、彼女が『ヒルズ・オブ・ベルヴェデーレ』の主人公、プリシラ・リッツ・フォーサイス。
ベルヴェデーレの女子控室、つまりドレスのお色直しをする部屋で、最初にプリシラとグラフィリカは出会うわけだ。
ストーリー通り、プリシラは遅刻して来る。プリシラの家は執事も運転手もいないわけだから、何事も段取りが悪い。ドレスの用意や車の手配も全部自前だし。
プリシラはいかにも健康で活発そうな女の子。
身長はマリアンと同じぐらい。ラグナ族だから金髪なのだけど、珍しく肩にかかるぐらいの髪の長さにしている。普通のラグナ族はみんな長い。
「ごきげんよう。私はカラザール大公家当主アルベールの長子アルヴィンの長女グラフィリカよ。よろしくね」
「はいっ! わ、私はフォーサイス男爵家当主イジャスラフの長女プリシラです。今日はよろしくお願いいたします!」【うわぁー大公家って……超名門じゃない! 私、緊張してきた……】
貴族が名乗る時は、当主から自分までの関係を言う。あくまで当主あっての貴族だから。
この辺り、俺もマリアンの人生で一通り心得ているから簡単に乗り切れる。
「グラフィリカって呼んで頂戴。あちらの席が空いているわ。ゆっくり身支度なさいな」
「で、でも、開場まで時間が……」【あたしの所為で大事なパーティが遅れたら大変!】
「うふふ、大丈夫。殿方にはレディの身支度を待つ義務があるのよ」
「……は、はいっ!」【なんて知的で素敵な方なの……】
さて、ここまではゲームで予習した通りだ。
通常ならグラフィリカはプリシラを田舎者扱いして罵倒、取り巻きに命じて、ドレスの着付けに困っているプリシラを助けるふりして、ドレスの背中の編み上げ紐を切ってしまうというのが最初のアクシデントイベントだった。
プリシラはお付きのメイドがいないので、着替えを全部自分でやらなきゃならない。
けれど、こんな豪華な晩餐会に出るためのイブニングドレスは1人で着るのは大変な事だ。
「まぁ、初めて見る子ね」【田舎臭ッ】
「今回、女の子が足りないからかしら」【数合わせか】
「ドレスも借り物?」【中古ね】
グラフィリカのカラザール家は親戚がすごく多い。
この控室にだってグラフィリカの親族だけで10人、それぞれに取り巻き貴族が2~3人。侍女メイドがそれぞれに2~6人。
彼女の派閥だけで、ちょうど100人。物置に乗ってドン勝目指すぐらいいる。
当主の長男の一人娘であるグラフィリカがカラザール家の未婚女子の中ではトップの立場で、まさに悪役令嬢の貫禄といったところ。
周囲の親族や取り巻きは、この晩餐会に出るなら、グラフィリカ様にまずご挨拶を、という無言の圧力は伊達じゃない。
で、グラフィリカの親族や取り巻き達がプリシラの陰口をわざと聞こえるように言っている。
プリシラはそれに気が付いて、悲しそうな表情だ。
でも、俺は知っている。取り巻き達が陰口を言うのはグラフィリカの所為だ。彼女に合わせていなければ、逆にイジメられてしまう。
とはいえ、取り巻きの彼女達も内心に悪意があるから、単純に被害者とはいえないなぁ……
「……」【やっぱりあたしには、こんなパーティー場違いだ……】
俺は俯きながら身支度するプリシラの傍に寄っていった。
「大丈夫よ、プリシラ。私が着替えをお手伝いしますわ。後ろの紐を縛ってあげるから、前を押さえていてね」
「えっ! そ、そんなっ、大丈夫ですっ!」【大公家の令嬢様があたしの服の着付けを手伝ってくれてるの!?】
「とても素敵なドレスね。まるで澄み切った青空のよう。きっと殿方にも気に入っていただけますわ」
「そ、そんな……あた……私なんて……」【(/▽\)】
【あの性悪女、きっとなにか仕掛けしたわ】
【まったく、いい人を装って落とすのが好きなんだから】
【性格わるー】
周囲の取り巻き達のプラカードが痛い。
グラフィリカって本当に信用されてないんだなぁ……
☆〇
さて、乙女達の身支度が整ったところで移動を開始。
着飾った総勢100人の娘がしずしずと歩く様は壮観だ。
みんなデコルテ(※首周り、肩、胸元、谷間を強調するファッション)の強いドレスなので、胸の谷間が男心をくすぐる。
彼女達の後ろを侍女メイド達が付いてくる。女性の場合、令嬢と侍女はセットで移動。侍女がいないのはプリシラぐらいだろう。
会場では、令嬢の方が先に椅子に着席して待つ。
席順は地位で決まっていた。グラフィリカは真ん中、プリシラは隅。露骨な身分差別だけど、会社の忘年会だって役職で座席が決まっているから、これは仕方がないと思う。
その後で男が入室し、希望の女性の前に来て、会話をしたりダンスに誘ったりというわけだ。
男の方が移動して誘うというルールはどこの世界でも変わらない。
「今回の晩餐会、私、殿方にどのようにみられるかしら?」
待っている間、俺は試しに取り巻き達にグラフィリカのイメージを聞いて見た。
「これだけお美しいグラフィリカ様ですもの、きっと素敵な出会いがありますわ」【あたしが皇子をゲットして、この女追放したい】
「私、思わずお美しさにみとれてしまいすわ」【アクセ、確か1億ルーブルだっけ?】
「グラフィリカ様、とても素敵な御姿ですわ」【中身は性悪ですけど】
【バカ】【見栄っ張り】【悪女】【冷血】【ヒステリー女】【性根腐ってる】【腹黒】【癇癪玉】【毒婦】
こんな質問しなきゃよかった、と後悔する酷い罵りプラカードを上げられまくる。
このプラカードを上げているのが実際は“魔王リック”だと知っているから、なんだか魔王に対してムカついてきた。
俺は思わず周囲の“魔王リック”に対して不満をぶちまける。
「リックさぁ。そういう風に女の子に憑依して自由にできるなら、お前が解決させればいいだろ!」
すると……突然周囲にいた女性全員の会話がピタッと止まった。
そして、グラフィリカの傍にいた取り巻きの女の子は自分で自分の胸を揉み始める。
それだけじゃない、会場にいる令嬢全員、もちろんプリシラも、さらに周囲で控えるメイド達も……このベルヴェデーレ宮殿の会場にいる全ての女が、自分で自分の胸を揉んでいる。
女全員が一斉に無言で自分の胸を鷲掴みする仕草は無気味というより恐怖を感じた。
胸を揉みながら俺の隣に座った取り巻きの令嬢が言った。
「そりゃオレが操れば、なんでもできるさ。自由にカップリングさせることだってできるし、全員オレ様のハーレムに入れて、皆仲良くかわいがってやってもいい」
魔王リックは憑依先の記憶だけでなく思考まで操れる。支配した彼女達を強制的に仲良くさせるなんて簡単だろう。
「でも、それじゃ意味ないだろヒロシ。そう思わないか?」
魔王の言い分は分かる。
俺がやらなきゃなんないって話だ。
「わかったって。わかったから胸揉むのやめとけよ」
「はいはい」
すぐに女達の様子が戻り、何事も無かったかのように、またガヤガヤと会話を続けている。
「男性方がお見えになられます」
会場案内の女性が通知すると、次々と燕尾服を着た男が会場に入ってくる。
男は横に整列して敬礼。
女は席から立ち上がって、スカートの裾を摘んで腰を落とす挨拶。
男の後には貴族の従者もいるはずだが、女性のように令嬢とメイドで服装がはっきり分かれてはいないから遠目には分かりにくい。
ただし、胸に勲章を付けているので、近くで見ればすぐにどこの家の者か分かる。
たしかゲームでは、グラフィリカの取り巻きがぶつかった所為で、プリシラが転倒。編み上げ紐のキズの所為でドレスが乱れ、肌が露わに。
プリシラは顔を真っ赤にして退出、お色直しに控室に戻っている間にも、取り巻き達に嫌がらせをされ、ドレスを汚されたり、靴を隠されたりして途方に暮れる。
選択肢Aでは晩餐会終了間際で戻り、第一皇子に出会うパターン。
選択肢Bでは、会場に戻らず中庭でしょんぼりしているところに第二皇子に出会うってストーリーだった。
だが、俺は誰にも指示しないので、プリシラは転ばないはずだ。
――ビターン
会場内に大きな音が鳴り響く。
ドジっ子属性っていうのは、工作しなくても転ぶのか……
【何なのあの娘】
【まぁ、恥ずかしい】
【貧乏貴族はドレスを着て歩くこともできないんですの?】
【不器用をアピールする気なのかしら】
俺は周囲の反応など無視して、彼女に駆け寄った。
「大丈夫? プリシラ」
俺は優しく彼女を起こそうとする。
「す、すいません。グラフィリカ様。私、ドレスに慣れていなくって……お恥ずかしい……」【グラフィリカ様……とてもお優しい】
俺は彼女を立たせて、ほこりとシワを払うと、落ちていた彼女の髪飾りを拾い上げて元の位置に付ける。
やっぱりプリシラはなかなか可愛い子だ。主人公なだけはある。
「プリシラ、女の子は落ち着いて静かに待つのよ。あなたの輝きを殿方は見逃しませんわ」
「……」【え、なに……私、グラフィリカ様にドキドキしてる……】
【今日のグラフィリカ、様子が変ね】
【どうせ悪巧みでしょ】
【悪女は狡猾ね】
本来なら、プリシラが転倒して退場するシーンで俺がフォローしたので、ストーリーがゲーム通りに進まなくなったようだ。
グラフィリカのイメージも悪いまま。
そのためか、会場があまり盛り上がらない。
初めて出会う男女、話題が違うので会話は簡単には弾まないもの。貴族男の何人かは女のところへ行っては声を掛けようとするが、女の方もいろいろな計算が働き、なかなか打ち解けない。
彼女達、令嬢の一番のお目当ては第1皇子ラインハルトと第2皇子アルフレッドだろう。
そんなのプラカードがなくてもわかる。
要するに下より上の男に拾われたい。
だから皇子達が後方に控えているままだと動きが起きない。
「グラフィリカ様、皇子さま達、来ませんね」【あたしのところへこいっ!】
「そうね」
「何か良いアピールがあればいいんですけど」【誰か盛り上げなさいよ、あたしは嫌】
会場が冷めている原因は、プリシラの退場が無いせいだ。
良くも悪くも、プリシラの転倒→ドレスが乱れる。というアクシデントで、男に火が付いて場が盛り上がった。
そのイベントがないから、雰囲気が重い。
しかし、早い話がこれは合コン。陰キャの俺も数合わせで呼ばれて何回か参加した。それの規模が大きくて上流階級なだけだろ?
よし、ここは俺が20年間の社畜として培った接待用の宴会芸をだな……
「みなさん! 私に注目ください!」
俺の突然の宣言に、大公家の令嬢がいったい何をするかと皆集まってくる。
俺は立ち上がると、つま先を180度開いて仰け反り、手を横に広げてポーズをとる。
「イナバウアー!」
どうだ、俺の十八番……
しかも、今の身体なら柔らかくてスタイル抜群だし、髪の毛も長くて綺麗だから、オッサンの時にやるよりずっとウケるハズ……
しかし、なんだか会場が静かだ。
まさか、俺の自慢の芸が受けないのか……?
【6点】【8点】【7点】【6点】【6点】
リックがプラカードで点数を出している。微妙な点数ばかり。
そうだよ、空気が読めないから俺は陰キャなんだ。みんな笑ってくれ……
そう自虐していたが……
――パチパチパチ
拍手がしたのでそちらを見ると、最初は目を丸くして驚いていた第1皇子が微笑んで手を叩いている。
次に抑えた笑い声がしたので見ると、第2皇子が、いたずらっぽく笑い出した。
すると、次第に会場が拍手と笑いに包まれる。
「グラフィリカ様はとても面白い方ですのね」【同左】
「私、少し誤解していたようです」【同左】
グラフィリカに対する取り巻きの意識が、発言と同じになっている。
すると……
「グラフィリカ様、私と踊っていただけないでしょうか」
第1皇子ラインハルトが俺の前に来ると、跪いて手を差し伸べてきた。
「えっ?」
「グラフィリカ様はとても楽しい方のようだ。私は今晩、貴女に出会えてとても幸せです」
は、はぁ……
しかし、いくらイケメンで皇子っていっても、俺にはまだその趣味はない。
「ちょっとまったー」
突然、奥の方から静止する声がする。
「兄貴。今まで、オレは兄貴になんでも譲って来たけど。彼女だけは譲れねぇ!」
「アルフレッド、君が自分の意見を言うなんて珍しいね」
「グラフィリカ、今晩は俺と踊ってくれ!」
今度は第2皇子が俺の前に跪いて手を差し伸べる。
「ちょっとまったコール」なんて久々聞いたぞ……
「どちらにせよ、決めるのはグラフィリカ様さ」
「ああ、彼女が決めるなら文句はないさ」
2人の皇子が自分の前に跪いて手を差し伸べている。俺は周囲を見回してみた。
近くに男がいるので、リックの吹き出しは使えない。会場の女達や男達は固唾をのんで見守っている。
イケメン2人に迫られても、俺は男には興味ないんだが……
俺が狼狽えていると、イケメンの方が察したようだ。
「アルフレッド、どうやら私達は姫を困らせてしまったようだ」
「そうだな。目の前で喧嘩するところを見せたのはよくなかった」
2人は立ち上がって正式な礼をする。
「不躾な態度で申し訳ありません、グラフィリカ様。私どもは退散いたします」
「次回には男を磨いて出直してきますよ」
クルリと反転し、颯爽と退場する皇子達。
ベルヴェデーレ宮殿の晩餐会が大きく騒めいた事は言うまでもない。
☆〇
晩餐会の後、女性達は先に退場し、控え室に戻る。
彼女達の晩餐会用のイブニングドレスは露出が強いので、そのままでは帰れないためだ。
「今日は、ご活躍でしたわね。グラフィリカ様」【おお、さすがはヒロシ!】
「グラフィリカ様、これからも仲良くしてくださいませ」【ヒロシすげー】
「さすがはグラフィリカ様ですわ」【\ヒロシ/\ヒロシ/\ヒロシ/】
魔王リックがプラカードで称賛している。
しかし、俺はまだ納得していない。
「リック、今回はグラフィリカのイメージアップに成功したけどさ、グラフィリカ自身が考えを改めないと意味がないんじゃないか?」
このまま戻っても、元の木阿弥だ。
すると、俺の方を見て頬を紅潮させているプリシラが言う。
「んー、そっちの方は上手くいっていると思うよー」【グラフィリカ様と、もっと親しくなりたい】
すると突然、俺の電話が鳴った。
グラフィリカのスマホだ。
着信相手の番号をみると、俺、つまりマリアンの番号だ。
「あのーもしもし?」
『あの……マリアン様でしょうか』
それは、おそらく俺……マリアンの声だ。
自分で話している声と聴いている声は違うので、やや違和感はあるけれど、間違いないと思う。
『私は、グラフィリカです』
「えっ?」
あ、そうか。
俺がグラフィリカになっているってことは、グラフィリカはマリアンになっているっていうことか。
今更ながらに気がついた。
『私が“田舎暮らしがしたい”などという身勝手な願いを叶えるため、魔王と契約してマリアン様と入れ変わったことは謝ります。ですが……どうか私の身体を返してください』
ああ、全ての真犯人は魔王か……
「どうしてそんな契約を結んだりしたの?」
『どうせなら私の事なんて誰も知らない静かなところで暮らしたいと思ったんです……』
「ふーん」
『でも、私はやっぱり、カラザール家の娘に戻りたい。その身体は、家族や友達と繋がっている大切なものです。マリアン様、どうかお許しください』
俺が今回の転生で気がついた事がある。
女は、自分の身体に対する思いが、男よりも遥かに強い。マリアンとしての俺だって、俺の身体がかなり大事だ。
マリアンの家族や友人はみんな優しいけど、グラフィリカは自分の身体じゃない。自分の身体でこの優しさを感じたい。そう思うはずだって。
まったく……うちの魔王はやることが邪悪だよ。ほんとに。
☆〇
「転校生を紹介します」
やる気のない担任の説明、季節外れの転校生にまたもや教室がどよめく。
すぐに制服姿の令嬢がクラスに入ってきた。
特徴ある縦巻きロール、尖った感じの美人。
「皆様、ごきげんよう。カラザール家当主アルベールの長子、アルヴィンの長女グラフィリカ・アーク・カラザールと申します。皆様、よろしくお願いいたしますね」
……は?
なんでゲームの悪役令嬢が俺の学校に転校してくるの?
いや、ゲームじゃなくて現実の帝都の話だとは知っているけど……
クラス中がまたどよめく、この辺境は大公家なんて上流階級が来るところじゃないから当然だ。
「マリアン様、私ども家には、ウスリーにも別邸がございますの。お爺様に頼んで、こちらの学校に転校することに致しましたわ」
直接会うのは初めてなのに、数十年来の親友のように抱きついてくる彼女。
「これからよろしくお願いいたします。マリアン様」
こうして、俺のスローライフに悪役令嬢が友達に加わってしまったわけだ。
まぁ……美人に抱擁されるのは悪くないな。