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2019.04.08 加筆修正
父宛の手紙を書き終え、母に自分の魔力について尋ねてみたところ、私は魔力持ちだった!
これで心配事がひとつ消えた。
次はもうひとつの心配事を消さなきゃ。
自分が魔力持ちであることを確認して数日後、その日の私は屋敷の書庫にこもり、魔法薬に関する書籍を適当に引っ張り出し、読みふけっていた。ゲームの中だと、作りたい魔法薬を決めて、必要な素材を選んで、あとはボタンを押すだけ。
でも今回、魔法薬を調合するのは私自身。注意事項や手順を、きちんと学んでおくべき。
お母様に頼んで、家庭教師を雇ってもらおうかな?
母は基本的に、子どもの将来の選択肢を増やすためにも、やりたいことがあれば可能な限り、許可を出してる。母が許可を出せば、父も許可を出さざるを得ないから、まず攻略すべきは母。
そのためにも、基本的な知識を叩き込んでおきたい──のだが、
「う〜ん……どれも初心者向けとは言い難い」
図鑑みたいに分厚くて重い本は、難しすぎて読む気が失せてくる。本は嫌いじゃないけど、こういう専門的な本は、敷居が高すぎる。
もっと初心者向けの本はないの?
「無駄に本が多い。……主人は読みもしないのに」
使用人が掃除して空気の入れ替えも行ってるから書庫は綺麗だけど、ほとんど読まれることなく、棚で眠ってる。誰がこんなにも集めたんだろ?
そういえば、本を読む読まないに関わらず、ステータスのために本を所持する、なんて話をネットか何かで読んだ覚えがある。書庫のすべてがそうだとは思わないけど、中には飾り用の本があるのかもしれない。
「気持ちはわかるけどね。本棚には本が入ってなきゃ。──ああネロ、爪を立てて本を傷つけないでね」
そばを離れないからって、書庫に猫──ネロを連れて来たのは間違いだったかも。入りきらない本が塔のように積まれ、その真横をネロが通るたび、ヒヤヒヤする。
「こっちで大人しくしてて、って……あぁ……遅かったか」
ネロが棚に飛び乗り、爪に本を引っ掛けた。ドサドサと本が落ちて、私は肩を落とす。
やっぱり書庫に猫は連れて来ちゃダメね。恨めしげにネロを見れば、何故か誇らしげ。
「ちょっとは悪いと思ってる?」
片付けるの、私なのよ。
お祖母様は厳しくて、だらしないのを嫌う。書庫を入った時と同じ──ううん、それ以上の状態にしないと、冷ややかに叱られる。
あれは二度と経験したくない。声を荒げるでもなく、主観だけで一方的に責めるでもなく……なんて言うか、理性的に叱られた。普通の子どもなら、中盤に差し掛かったあたりでポロポロ泣いてたはず。
私はよく耐えたと思うけど、だからって二度目はごめん。
にゃあ
ネロが尻尾をゆらゆら揺らし、陽当たりのいい場所を陣取る。
「……悪いとは思ってないのね」
猫は好きだけど、飼うのは初めて。
だけど、ネロは随分と感情豊か。目は口ほどに物を言うと言うけど、ネロは目だけじゃなく、体全体を使って感情を表現してる。憎たらしいと思うけど、美人の猫だから、つい許しちゃう。
飼い主としては良くないかもだけど、犬と違って猫はしつけられないものでしょ?
「だからお父様は、猫が好きじゃないんでしょうね。……これって……」
ネロが落とした本の一冊が、偶然にも初心者向けの魔法薬学書だった。ちょうどいい厚さで、挿絵も多い。
これなら楽しく飽きずに読破できそう。
「ネロ、ありがとう。たまたまだろうけど」
日向ぼっこするネロを撫でて、散らかした書庫を片付ける。
そろそろお昼ご飯の時間だし、本を読むのはその後にしようかな。
軽い昼食を手早く済ませた私は、庭で恒例のアフタヌーンティーの真っ最中。昼食は軽く済ませ、夕食は遅い。その隙間の空腹を満たすために、午後のお茶はある。
私から言わせれば、夕食をもっと早く食べたら? なのだけど、午後のお茶は立派な社交場。
とは言え、私は今日のお茶会を楽しめそうにない。
私の目の前には、お祖母様がいるのだ。
「…………」
「…………」
終始無言で、いたたまれない。前世の頃から変わらず、私は社交においての積極性に欠ける。向こうが動くのを待つ、完全なる受け身。
こういう時に限って、どうしてお母様はいないのかしら? いてくれたら助かったのに。
「魔法薬学に興味が?」
気を使ったとは思えないけど、祖母が会話を振ってくれた。
テーブルの端には、書庫で見つけた初心者向けの魔法薬学書が置いてある。
午後のお茶の時間に読もうと思って持って来た。お祖母様の同席は、完全なる想定外だったけど。
「はい。自分で魔法薬を作ってみたいです」
「誰でもできる仕事ではありません。本気で目指したいと思うのであれば、きちんと教師を付けて、学ぶべきですね」
「お母様にお願いしてみようと思ってます」
これ幸い。
母だけじゃなく祖母も味方につければ、鉄壁。
私は姉達みたいに、陸軍元帥になんて興味ないもの。刺繍にもダンスにも、それこそ結婚にも興味がない。
大体、貴族のお嬢様の結婚って、早すぎると思う。花の命は短いと言うけれど、世間が思うほど、短くも儚くもない。
もう少し、世の中を知る時間を与えてもいいと思わない? 咲いてすぐ摘み取っちゃったら、本棟に一番美しいタイミングを知らないままじゃない。
「セドリック、魔法薬学に詳しい者を調べてちょうだい」
「かしこまりました」
眼鏡をかけた白髪混じりのセドリックは、完璧な角度で礼をする。
祖父の代からヴァルト家に仕えているセドリックは、堅物を絵に描いたような家令。
ちなみに王都のタウン・ハウスに残ったパウロは、彼の義理の息子。娘は同じくタウン・ハウスに残った家政婦長のリンダ。顔はあまり似てないけど、性格はそっくり。
「ありがとう、お祖母様」
「興味を持ったのであれば、本当に自分に合っているのか知るためにも、実際に触れてみた方が良いでしょう。わたくしも、そうやって息子を育てました」
私が笑ってお礼を言うと、お祖母様は穏やかに微笑む。
お祖母様のことは苦手だけど、嫌いじゃない。厳しいけど、きちんと話せば理解してくれる。
「その猫──ネロは随分とあなたに懐いていますね」
祖母の視線が、私の膝に向けられる。
実はずっと、膝の上にネロがいるのだ。身動きが取れないのは辛いけど、気持ち良さそうに寝てるのを起こすのは忍びない。
「お父様が飼うことを許可してくれて、本当に良かったです!」
心の底から、そう思う。
手紙には必死の思いを綴ったが、猫嫌いの父が許可してくれるかはわからなかった。
けど私が思っている以上に、父は娘を愛しているらしい。返事はすぐに届き、無骨な文字で、「滅多にないお前からの頼み事だ。好きにしなさい」、と書いてあった。
お父様、本当にありがとう!
前世では叶えられなかった夢が一つ、異世界で叶うことになるとは想像もしていなかったけど、どんな世界だろうと猫は猫。大事に育てます。
「ねえ、お祖母様。お母様はどこへ行かれたんですか?」
「ロザリア公爵夫人が開いた刺繍会ですよ」
「ロザリア公爵……」
その家名を聞くと、視線が泳いでしまう。
グレイス・ロザリア公爵令嬢──『ラヴィアンローズ』での彼女の立ち位置は、悪役──というより、ライバル。第二王子フェリクスに恋心を抱く彼女は、王子に相応しい女性となるべく、日々の努力を怠らなかった。
その努力は無事報われ、グレイスはめでたく第二王子の婚約者となる。フェリクスがグレイスに対して抱いていたのは、愛情じゃなくて友情だったけど、政略結婚だから、とフェリクスも彼女との婚約を受け入れていた。
けれど変化は唐突に訪れる。二人は揃って王立学園へ入学し、アリシア・ローズという同い年の女の子と出会ったことで。
当初グレイスは、完璧な公爵令嬢として王都、そして学園に不慣れなアリシアに色々と世話を焼く。
ただ彼女が良き友としての立ち位置を守り続けてくれるのは、物語の序盤だけ。
どの攻略対象を選んでも、彼女は主人公の敵として立ちふさがり、フェリクスを選んでしまったら最後、敵対は避けられない。
グレイスは公爵令嬢として、婚約者として、一人の男性を愛する女性として、アリシアに敵意を向けるようになる。
これが現実世界なら、責められるべきは主人公のアリシア。フェリクスだって、罪はある。出会った時からフェリクスとグレイスは婚約していたし、当人達もそれを理解してる。
なのにアリシアもフェリクスも、“この気持ちをもう抑えられない!” と言って、お互いの気持ちを認め、将来を誓い合う。
そこら辺の糖度高めなシーンは、恋愛経験値低めの私には刺激が強すぎたので流し読みしてたけど、グレイスに同情できなくもなかった。
まあライバルを蹴落とそうとして、犯罪に触れるかどうか微妙なラインの嫌がらせもしてたけど。
そんなグレイスが少しでも救われれば、と思い、彼女の友情エンドを見た。──そのルートじゃなきゃ手に入らない素材とレシピもあったしね。
「お母様から聞いたのだけど……グレイス様は、殿下と婚約するの?」
「かもしれませんね」
根拠のない噂話を好まない祖母が、肯定した。
となれば、婚約の話は濃厚ってこと。物語は台本通りに進んでるみたい。
彼らの未来を知っている立場からすると、なんとも言えない複雑な気持ち。
できればみんながハッピーになる結末を迎えてほしいけど、手助けする気は無い。余計なことして、火の粉が降りかかりでもしたら、バカみたいだし。
何より私は、二度目の人生を楽しみたいだけ。
君子は危うきに近寄らず、触らぬ神には祟りなし、って言うじゃない。
「セレスティン」
「はい、お祖母様」
「食欲があるのは大いに結構ですが、食べたら食べた分、体重は増えるものです。明日から運動なさい」
「え!?」
「こちらに戻って来てからあなた、閉じこもってばかりでしょう? 適度な運動は、必要です」
王都にいれば、朝早く父や姉達によって無理やり叩き起こされ、タウン・ハウスにしては珍しく広い庭を走らされ、腕立てやらなんやらをさせられる。
領地に帰って来てからは、それらとさよならできて幸せだったのに……。
「お祖母様ぁ」
「そんな顔で見てもダメですよ。健全なる肉体に、健全なる心は宿るもの。それを忘れないように」
「…………」
「返事は?」
「……はぁい」
祖母はヴァルト家の女王様。逆らっちゃダメ。
でも運動って、嫌いなんだよね。
せめてもの救いは、今日からじゃなくて、明日から、ってところか。
親愛なる日記へ
刺繍をしたら指を刺しました。
もうしたくありません。
( ´△`)