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2019.04.08 加筆修正
目覚めは穏やかだった。
不思議なことに、頭を強打して気絶したのに、後頭部はちっとも痛くない。気分もスッキリしていて、むしろ頭が軽くなった感じ。
「お嬢様……!! あぁ、よかった、目が覚めたんですね。頭はどうです? 痛くありませんか?」
私の目覚めに気づいたアニスが、泣きそうな顔で私を見下ろしてる。
「いけません! 安静にしていなくては……」
「平気。ちっとも痛くないから」
後頭部を触ってみたけど、コブもないし、血も出てない。無傷そのもの。
アニスの制止を聞かず、私はベッドから出る。ドレスのまま寝かされていたらしい。髪はほどかれ、オレンジ色の薔薇は一輪挿しの花瓶に。
「お茶会は? 終わったの?」
「始まったばかりよ」
私の問いに答えてくれたのは、アニスじゃなくて母だった。部屋の入口に立ち、アニスと同様、泣きそうな顔をしてる。
「セレスティン……ごめんなさい。お母様があんな話をしたから、よく眠れなかったのね。そのせいで倒れたのだわ」
「そんなこと──」
「昨日の話は忘れていいわ。……愚かなお母様を、許してくれる?」
「……怒ってないわ。ほんとうよ」
「ありがとう、セレスティン」
私を抱きしめる母からは、甘い香りがした。柔らかで温かい母の腕の中は、居心地が良い。
このまま眠ったら、きっと楽しい夢が見れるはず。
「お茶会には出なくて良いわ。今日はこのまま、ゆっくり過ごしなさい」
「はい、お母様」
怪我の功名。
興味のないお茶会に出て、無理な作り笑いをしなくてもよくなった。
母は私の額にキスをして、部屋を出て行く。
「お飲物をお持ちしましょうか?」
「ありがとう、アニス」
「いえ。……お嬢様、この部屋から出ないでくださいね」
「わかってるわ」
心配するアニスを見送り、私は窓に歩み寄る。寝室からお茶会の様子を見ることはできないけど、窓を開けると賑やかな声は聞こえてくる。賑やかな場に出向いて注目を集めたいとは思わないけど、楽しそうな雰囲気は好き。
「飲み物だけじゃなく、食べ物も頼めばよかった」
頭を強打して乙女ゲームのことを思い出す前、私は空腹を感じてた。
その空腹は、今も満たされていない。
食べたいなぁ……。たまごたっぷりのサンドイッチに、焼きたてのナッツ入りクッキー、甘酸っぱい苺がふんだんに使われたタルト。……チョコレートもあったなぁ。
「アニスに頼みに──出て行ったら怒られるかな?」
池に頭から突っ込んで、危うく溺死しかけた。
父親にしごかれ、ぶっ倒れた。
そして今回は、机に後頭部をぶつけ、また倒れた。
アニスは純粋に単純に、心配してる。
ここ一ヶ月の間に、私は次々と問題を起こしてるから。
そのたびにアニスは、家政婦長のリンダからお叱りを受けてる。悪いのは私なのに。
アニスのためにも、ちゃんと約束を守って部屋にいないと。
「…………ん?」
決意した矢先、窓の下が騒がしいことに気づく。
部屋の外には大きくて立派な木が一本──この木は昔から、ヴァルト家の子女の木登りの練習台だった──あって、その根元付近には男の子が数人集まって、ギャーギャー言ってる。身なりからして、招待された貴族の御子息だろう。お茶会じゃなくて、狩りに行きたかったのかも。子ども用の弓とか、木の剣を持ってる。
「──ちょっと、嘘……本気?」
目が良いと、無視できないものも見えてしまうから困る。
アニスのためにも部屋にいようと決めたばかりなのに……。
私はすぐ、守るべき約束を破った。
かのナポレオンの言葉を思い出す。
──約束を守る最上の方法は、決して約束しないことだ。
ほんとにそれ。
私は部屋を飛び出し、階段をドタバタと降り、部屋の窓から見えた大きな木の根元に向かって突っ走る。
「ちょっと!! やめなさい!!」
「な、なんだ?」
ドレスの裾がめくれて白い足が見えても、気にしない。声を張り上げ、男の子の群れに突進する。
男の子達はいきなり現れた私に驚き、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
「待ちなさい! よくもこんなひどいこと……最っ低!!」
逃げて行く男の子に向かって、履いていた靴を脱いで、投げつけてやった。
それでも怒りはちっとも収まらない。収まるはずない。
一体どんな育てられ方したの? 親の顔が見てみたい。
「……大丈夫? 死んでない、よね?」
収まらない怒りを抑え込んで、私は木の根元にしゃがむ。
そこには黒い猫がいた。足には矢が刺さってて、出血してる。
こういう時は、すぐに矢を抜かない方がよかったはず。
「生きてる……よかった」
となると、次は傷の手当て。
これは一ヶ月前、ハロルド・ラザラスに包帯を巻いた時とは違う。黒い猫の命を救うためには、詳しい人の協力を仰ぐべき。
「動かしてもいいのかな……?」
正しい行動がわからないけど、正しいと思う行動を取らないと。
ペチコートを破り、それで黒猫を包み、持ち上げる。揺らさないよう、慎重に。
「お嬢様!! どちらに────そ、それ、血ですかっ?」
屋敷に戻れば、私を探しに来たアニスとタイミングよく鉢合わせた。
アニスは私が抱えるものを見た瞬間、顔が青ざめ倒れそうになったけど、今倒れられるのは困る。
「アニス! お医者様──獣医を知ってる? この子を助けたいの」
ペチコートに包まれた黒い猫を、アニスに見せる。
アニスはまた倒れそうになったけど、なんとか踏ん張った。
「獣医なら屋敷にいます。馬がいるんですから」
「大奥様!!」
声と共に現れた人物を見て、アニスがさっきとは違う意味で、青ざめる。
「……お祖母様」
私とアニスを厳しい目で見ているのは、先代ヴァルト伯爵夫人コーデリア。
あの父を育て上げただけあって、中々のオーラ。
そこにいるだけで、使用人だけじゃなく身内までも背筋が伸びてしまう。
「猫、ですか。──コリンズ先生を呼んでいらっしゃい」
「は、はい」
こけるんじゃないかと思うくらいの慌てっぷり。
アニスはメイド服の裾をひるがえらせ、屋敷の外へ出る。
「ドレスが血まみれね。ブリジットが見たら、倒れかねないわ。──そんな姿をお客様に見られでもしたら、どうするの?」
「釈明も弁明もしません」
「何故?」
「間違った行動ではないと思うから。せっかくのドレスを台無しにしてしまったことは申し訳なく思いますが、お金でドレスは買えても、お金で命は買えません」
「…………よろしい。──セドリック、部屋を準備なさい」
祖母が満足げに頷き、控えていた家令セドリックが恭しく一礼する。
この屋敷は祖母の城で、祖母は女王様。祖母の許しを得たのなら、誰も文句は言わない。
「お嬢様、猫を預かります」
「コリンズ先生はすぐに参りますから、湯浴みを済ませておきましょう」
「お嬢様、こちらへ」
わらわらと現れるメイドに連れられ、私はバスルームへ。
祖母はセドリック達に指示を出すと、お茶会の会場へと戻って行く。
その後、ヴァルト家お抱えの獣医コリンズ先生はすぐに来てくれて、黒猫は一命をとりとめた。
親愛なる日記へ
今日はいろんなことがありすぎて、心身共に疲れました。
でもネコは助かった。
……ネコをいじめてたガキ共、マジで許さない。
(#`皿´)