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2019・04.08 加筆修正
ヴァルト家が管理するヴァルト領の中心にあたる場所に、カントリー・ハウスはある。
その周囲には自然豊かな森が広がっていて、野生の動物が目視で確認できることも。
今日のお茶会は、この森──御猟場を見渡せる庭で開かれる。準備は滞りなく進んで、庭には白いテーブルや椅子が次々と運ばれている。料理人が気合を入れて作った料理やお菓子も、すぐに並ぶことだろう。
そして私は、庭が見渡せる一階の部屋で、暇を持て余してる。
アニスを筆頭に、メイド達が腕によりをかけて私を着飾ったのは。数時間も前のこと。金色の髪は白いリボンと一緒に編み込まれ、朝、庭で咲いたオレンジの薔薇が飾ってある。生花なので虫が寝床にしていないか不安だったけど、一本一本、しっかりと確認したので大丈夫。
で、ドレスは薔薇と同じ鮮やかなオレンジ色。
この色は母と祖母が決めた。秋の訪れを祝う色として相応しいし、ピンクや白だと、他の令嬢とかぶる場合があるから、と。
お茶会の主催者側は、目立っちゃダメ。主役はお客様だから。
「お嬢様、私は準備を手伝って来ますね。くれぐれも走り回ったりしないでください」
アニスはそう言って、部屋を出て行く。
今の完璧な状態を、何がなんでも維持しておきたいのだ。
でもその気持ち、よくわかる。自画自賛なんて滅多にしないけど、今の私、完璧!
「けど暇〜……」
お茶会はもうすぐ始まるけど、本音を言えばお茶会なんて興味ない。母と祖母のお許しが出れば、すぐにでも欠席したいくらい。
「窓開けよ」
気持ちを入れ替えるためにも、空気を入れ替えよう。自分でも動かせる椅子を持って窓を開け、椅子に乗って窓枠から体を乗り出す。
秋の風は涼しくて、その風が運んでくるのは薔薇の香り。
それから──、
「美味しそうな匂い……」
料理が庭に運ばれてる。いいなぁ、食べたいなぁ。料理長がこっそり味見させてくれたけど、どの料理もお世辞抜きに美味しかった。
あの味を知ってしまったら、食べずにはいられない。お茶会での唯一の楽しみは、それだけ。
「う」
湧き上がる食欲、それによって引き起こされる空腹を知らせる音。パッと頬が熱くなって、周囲に誰もいないか確認する。
よし、誰もいない。安心した私は窓枠に顎を乗せ、森の緑に映える赤い髪に気づいた。
「…………あ」
最近、デジャヴを感じることが多いけど、今回はすぐにわかった。
あの赤い髪の男の子は、一月前、訓練場の医務室で手当てした男の子だ。
「ねえ! ちょっと!!」
令嬢らしからぬ大声。母や祖母、アニスがいたら「はしたない」、と咎められたかもしれないけど、今は一人。気にするもんか。
「また会えるなんて思ってなかった。怪我はどう? ああ……治ってる」
大声で呼ばれた男の子は、駆け足で私のとこに来てくれた。
多分、恥ずかしかったのかも。
「何か用か?」
「特に用はない。見知った顔を見つけたから、とりあえず呼んでみた」
「…………」
男の子の額には、傷跡も残ってない。しっかり治ったようで、何より。
「あなたもお茶会に参加するの? それとも狩りの方?」
「狩りには行かない。狩りには父と……弟が行く」
「そう。じゃあお茶会に参加するのね。よかった〜。知らない人ばっかりだから、不安だったの。知ってる人がいると、ちょっと楽。気持ち的にね」
男の子の表情は冴えないけど、私は助かった。
「ねえ、名前を聞いてもいい? 私はセレスティン・ヴァルト」
「…………」
「なんで名乗らないの?」
自己紹介、おかしかった? 普通よね?
なのに彼、黙ってる。避難する目を向ければ、ため息をつかれた。……失礼なんですけど。
「爵位を言うのかと思って」
「爵位? なんで?」
「貴族は名乗った後、爵位も言う。どこに領地を持ってるかも。だから黙ってた」
「そうなの?」
「今まで会ってきた令嬢は、そうだった」
「そうなの。じゃあ、やり直した方がいい?」
「いや、いい。この屋敷にいるってことは、あんたはヴァルト伯爵令嬢セレスティンだろ?」
わかってるならさっさと名乗ればいいじゃない。
そう言いたくなったけど、相手は子ども。見た目は同い年くらいでも、精神年齢はこっちの方が上。大人になるのよ、セレスティン。
「じゃあ次は、あなたの番よ。名前を教えて」
「おれは──」
「ハロルド様じゃありません?」
柔らかなソプラノによって、名乗りが中断されてしまった。
「……誰?」
声の主は、私と同い年くらいの女の子だった。白のドレスと白のリボン──屋外のお茶会だと汚れが気になって大胆に動けなさそうな色に身を包んだその子は、私を無視して男の子に歩み寄る。
「ラザラス侯爵家のハロルド様でしょう? わたくしはティファニー・ブロッサムと申します。父は伯爵です。グレインとグラスに土地がありますわ」
これが貴族の挨拶なのね。真似した方がいいかな。
でも自慢してるみたいで、嫌味っぽく聞こえない?
「──ちょっと待って。あなた、ハロルド・ラザラス?」
「呼び捨てなんて失礼よ」
今し方、貴族の挨拶を教えてくれたティファニーが、ようやく私を見た。
でも今は、彼女よりも優先すべきことがある。
「ハロルド・ラザラスなの?」
「そうだ」
「あ〜……お母様に怒られるかも」
椅子から降りて、男の子──ハロルドと距離を取る。馬車の中、母が言っていた“適度な距離を保つ相手リスト”に、彼の名前があった。
「……どういう意味──危ないっ」
「え?」
後ろを見ずに後ずさりしたから、背後に机があることを忘れていた。机の角に足が当たって、重心がずれて──まあ結論から申し上げるならば、私は倒れてしまった。机に後頭部を派手に打ちつけて。
そうして最悪なことを思い出す。
フェリクス・リュミエール
ハロルド・ラザラス
マリウス・セネット
レグルス・エストレア
グレイス・ロザリア
それから──アリシア・ローズ
どうして思い出しちゃうかなぁ。
知らないままでも、支障はなかったのに……。
「大丈夫か!?」
窓を華麗に飛び越え、ハロルドが私に駆けつける。
彼はハロルド・ラザラス。異母弟に父親の愛を奪われ、義母の存在によって女嫌いに陥り、孤高の天才剣士と呼ばれるようになる──攻略対象その一。
ああ、そうか。
ここは前世でどハマりした乙女ゲーム『ラヴィアンローズ』の世界なのか。
どうやら池に頭から突っ込んで前世を思い出すだけじゃ、不十分だったらしい。
「誰かいないか!!」
ハロルドの慌てる声が、頭に響く。打ちつけた後頭部が、ものすごく痛い。
そして頭の中を駆け巡る、大量の情報。
「──待って」
部屋に続々と押し寄せる使用人達と、お母様の悲鳴。
それらを無視して、私はあることに気づく。
ここが私のよく知る乙女ゲームの世界だとして、私を介抱する彼が攻略対象の一人だとして──
「私は……誰?」
どハマりしてやり込んだゲーム。
正直、費やした時間の大半は、恋愛ゲームとして楽しんたわけじゃないし、登場人物に関する情報も曖昧だけど、一つだけ断言できる。
『ラヴィアンローズ』に、セレスティン・ヴァルトなんて──いない。
親愛なる日記へ
池に頭から突っ込んで一ヶ月。
今度は机に頭をぶつけた。
一ヶ月後も何かが起こりそうで不安です。
とりあえず、頭に気をつけようと思います。
(._.)