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私の人生、薔薇色!  作者: 藤むらさき
あなたは誰?
3/16


「誰よ……楽しむなんて言った大馬鹿者は……」


 それは何を隠そう、私です、はい。

 二日前の私に会えるのなら、忠告してやりたい。人生を楽しむ考えには大いに賛同するが、どうにも生まれた家が悪い。


 ヴァルト伯爵家は、広大な土地を所有する有力貴族。

 しかし政治にはほとんど関わっていない。

 これはヴァルト家が軍人家系であるため。頭を使うよりも剣を振り、宮廷で策謀を巡らせるよりも筋トレを好むお家柄のようだ。


 そこまでは良い。政治云々は難しすぎるので、そちら方面から縁遠い貴族の家は諸手を挙げて歓迎する。激動の人生よりも、安全安心安泰な生活。

 ただ問題は家──と言うより、家人。


 父のパトリックは現役の軍人で陸軍大将閣下。領地の管理は自身の母親──私にとってはお祖母様になるのか。そのお祖母様に任せっきり。

 そんな父の座右の銘は、“健全な肉体にこそ、健全な心は宿る”、と言うもの。


 これはヴァルト家の家訓でもあるらしいのだが、ヴァルト家にはこういう性格の子どもが生まれやすいようで、姉と二人の兄も、父と同じ考えらしい。毎朝欠かさず、鍛錬を行なっている。

 将来の夢は、兄弟揃って元帥。姉も女性初の元帥になることを目標にしている。

 私にはちっとも理解できない夢だけど。


 幸い母は極一般的な貴族のお嬢様であったため、筋トレだとか剣だとかには微塵も興味がないようだが、子ども達には健やかにのびのびと育ってほしいと願っている。

 なのでヴァルト家の教育方針に異議を唱えることはない。


 でもお母様、できれば異議を唱えてほしかった。

 特に今回は。

 だってこっちは病み上がり。

 しかもゲームと漫画をこよなく愛するインドア派。晴天の下、グラウンドを走らされるなんて拷問以外の何物でもないんですよ。


「セレスティン! 五周遅れだぞ!!」


 活を入れるのはお父様。勲章が輝く上着はとうの昔に脱ぎ捨てられ、今は白いシャツの袖をまくり、手には鬼教官よろしく木剣が握られている。


「……五周遅れって、言われても…………っ」


 池に頭から突っ込んで五日が経過した今日、私は父に連れられ、軍の訓練場へとやって来ていた。父は池に頭から突っ込んだ末娘のことをひどく心配していたが、それと同時に、“池に頭から突っ込んだくらいで熱を出すとは情けない!”、と思ったらしい。

 実際言ってた。

 そうして取った行動が、コレ──軍の訓練場に連れて来て、走らせること。

 ちなみに私の周囲を走っているのは、現役の軍人。比べる対象がまず間違ってる。


「こっちは病み上がりの八歳児だって言うのに……!」


 むしろ五周遅れで済んでるのを褒めてほしい。


「も、もう、無理……っ」


 私は頑張った。頑張って走った。

 だからガクン、と膝から崩れ落ち、固い土の上に寝転がっても気にしない。


「セレスティン!!」


 倒れた私の元に、父が駆け寄る。

 父は娘を愛してるが、愛し方が下手くそ。娘のためを思ってここへ連れてきたのだろうが、これじゃあ普通、娘には嫌われる。姉のサファイアは別として。


「す、すまない。無理をさせすぎたようだ……」


 私を覗き込む父の顔は、情けない。

 この顔を見てしまうと、さっきまでの怒りがじわじわと消えていって、仕方ないな、と思ってしまう。

 姉と二人の兄は、ヴァルト家の血を色濃く受け継いでいるが、セレスティン──私は違う。見た目も中身も、母ブリジット似なのだ。

 姉達が耐えてきた地獄の鍛錬に、私は耐えられない。

 そのことに早く気づいてください、お父様。


「旦那様、お嬢様を休ませてよろしいでしょうか?」


「そうだな。セレスティン、本当にすまない……」


 アニスに抱き上げられた私は、父を安心させるためにも、笑いかけておく。



 その後、私は訓練場に併設された医務室のベッドで横になり、眠っていた。目が覚めた時、医務室には私一人だけ。アニスはどこへ行ったのだろう?

 少しだけ開いた窓から吹き込むのは、夏の終わりを感じさせる風。白いカーテンが揺れ、絶賛訓練中の兵士の声が聞こえてくる。


「アニス? いないの……?」


 ベッドから降りて、靴を履く。倦怠感は残ってるけど、十分な睡眠のおかげで幾分か楽にはなった。


「何か飲みたいんだけど……」


 ベッドサイドのテーブルに、水差しとコップが置いてある。落とさないよう気をつけつつ、コップに水を注ぐ。


「……ぬるい」


 飲みたかったのはキンキンに冷えた水だったけど、喉を潤す水は胃に優しいぬるさ。

 それでも喉の渇きには勝てないので、もう一杯、ぬるい水を飲む。


 ──ガチャッ……。


 ぐびぐびと水を飲む私の耳に届いたのは、控えめに開いた扉の音。アニス?

 コップを急いで空にして、私は医務室とベッドを隔てる白いカーテンを開ける。


「────!!」


 カーテンを開けた先にいたのは、アニスじゃなかった。

 そこにいたのは、赤い髪の男の子。

 誰かいるとは思っていなかったのだろう。男の子は緑色の目を見開き、私を凝視している。

 まずは何を言うべきか。

 この場に相応しい第一声を考えていた私は、ふと男の子の額に傷を見つけた。


「怪我してる」


「……っ!」


 指摘した瞬間、男の子が額を手で隠す。

 とっさに隠すってことは、見られたくない、ってこと。少なくとも名誉の負傷ではなさそう。


「どこ行くの?」


 医務室を出て行こうとする男の子を呼び止める。

 ここへ来たのは、傷の手当てをするためでしょ?

 なら手当しなきゃ。


「座って」


「自分でできる」


「あ……そう」


 男の子は水で傷口を洗い、薬品棚を漁って、消毒薬と軟膏の傷薬を見つけ、椅子にどかっと座った。私に背を向けて。

 そこまでする? 初対面なのに嫌われた……。

 医務室を出て行きたい気分になる。


「……手伝いましょうか?」


 椅子に座り足をぶらぶらさせていた私は、男の子が手当てに苦戦しているのを見て、無視できなかった。

 男の子からの返事はない。──沈黙は肯定なり。

 私は椅子から軽快に降りて、男の子から包帯を取り上げる。


「おいっ!!」


「見てるともどかしいのよ。大人しくしてて」


「………………」


 不承不承といった様子。

 とは言え、包帯を巻いた回数は片手で足りる。包帯を巻こうとすれば、傷口に当てたガーゼがずり落ちた。

 できると思って包帯を取り上げたけど、うまくいかない。


「あれ、おかしいな。ほどけちゃった。……もっと強く巻けばよかったのかも」


「……痛いんだが」


「あ、ごめんなさい。……強すぎたみたい」


 試行錯誤を繰り返し、ようやく見るに耐える──まあ不恰好だけど、八歳の女の子が頑張ったと思えば、申し分ない出来栄え。

 と思ったけど、男の子の眉間には子どもらしからぬ深いしわ。

 ご不満なんですね。わかりました。


「……やり直します」


 努力の結果をほどこうと手を伸ばせば、男の子が触るなと言わんばかりに立ち上がった。


「これでいい」


「あ、そう」


 男の子は無愛想に言って、医務室を出て行った。棚から持ち出した薬品はそのままに。

 これ、私が片付けるの?


「まあいいけど。……この瓶、見覚えがあるような……」


 既視感デジャヴってやつ?

 消毒薬の瓶には感じないけど、この軟膏の傷薬には見覚えがあるような気がする。

 前世で見たとか?

 でもどこで?


「う〜ん……思い出せない」


 思い出せる気がするの。

 それなのに思い出せない。

 この感覚はモヤモヤしてムズムズして、もどかしいの一言に尽きる。


「お嬢様! 目が覚めたんですね、よかった。ご気分はどうですか?」


 開けっ放しの扉から現れたのは、私付きのメイド──アニス。手には新しい水差しがある。


「旦那様が、先に帰って良いとのことです。馬車は準備できてます。どうされますか?」


「もちろん帰るわ」


 ここにいても楽しいことはない。アニスと一緒に瓶を棚に戻し、私は医務室を軽やかな足取りで去る。

 もう二度と、ここへ来なくて済むことを祈りつつ。




親愛なる日記へ


筋肉痛が辛い。


(T_T)



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