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波濤揺蕩う神殺し  作者: 韋駄天
ナハトの争乱編
99/100

誓い

「はぁ・・・はぁ・・・」


教会を出たジェイクは走っていた。


瓦礫を撤去する労働者たちの横を、荷物を積んでいる馬車の横を、簡素な屋台で商いする者の前を。


まだまだナハトの傷は深く、立ち直るのは時間が必要になるだろう。


止まない雨が無いように、癒えない痛みが無いように。


時間の積み重ねだけが、全ての災禍を洗い流す術を知っているのだ。


「すみません、遅くなりまして」


そして、その流れの中ではあらゆる事が流転する。


首都と外界を遮る西門の前で、ジェイクは待ち合わせていた人物を発見する。


「あら、ジェイクさん、ワタクシなら大丈夫ですよ・・・まだ約束の時間より早いですから」


木陰の下で樹にもたれ掛かる様にしていたメリッサは、朗らかな笑顔をジェイクへと向けると、彼のすぐそばまで駆け寄る。


その出で立ちは以前の冒険で汚れて痛んでいた服ではなく、白のフリル付きワンピースと麦わら帽子というまるで少女ような姿だった。


「えぇ・・・でも、メリッサさんはいつも僕より早いので、僕もなるべく早く・・・」


ジェイクはメリッサの背後にある樹へと視線を逸らしたまま口ごもる。


旅の間隣にいたメリッサは頼もしくて信頼の置ける女性だったが、今ジェイクの目の前にいる彼女は血や喧騒とは無縁のお嬢様。


その姿は陽光に照らされ白のワンピースを更に際立たせ、輝いていた。


直視すれば彼の目と脳が焼け付いてしまいそうなほどに。


「フフフ、相変わらず律儀ですねジェイクさんは・・・では、参りましょうか」


メリッサの実家のクローゼットには上物のドレスが幾つも収納されているが、それは復興中の首都では周囲を目を引き過ぎるという理由で彼女は袖を通す事は無かった。


代わりに着ているワンピースはマハラティーから送られた彼女お手製の品で、今のメリッサは靴を除きヤマト産の装いでコーディネートされている。


「はい、行きましょう!」


メリッサに手を差し出された所でジェイクはようやく正気を取り戻し、意を決して彼女の手を握り返した。


その手は、かつて共に旅をした時よりも更に鍛えられ、節の有る武道家の指をしていた。


彼女は戦争が終わり、旅から離れてもなお、バオバオから教わった技を研磨し続けていた。


その技を捨ててしまったら、師匠であるバオバオの全てが失われてしまう。


それを何としても止めたかったのだ。


「また、何処かへ旅立つ事はあるのでしょうか?」


西門から出た所で、メリッサはジェイクに尋ねた。


荘厳な門の外には、首都と近くとは考えられないほどの原野の中に舗装された道だけが地平線まで続いていた。


2人はその上を並んで歩く、以前と同じ歩幅で、以前より少しだけ近い距離で。


「いえ、僕はもう人間ではなく血族です、以前のように地上で神秘術の行使はできません・・・しばらく・・・いや、もしかしたらずっとここで布教活動に従事するかと思います」


ジェイクはメダリオンに殺されたが、その魂はザダによって回収され、彼女の体内で知識と経験を引き継いだまま新たな生を受けた。


奇跡は神によって引き起こされるもの。


これを何と形容するかと問われれば、彼は間違いなく奇跡と答えるだろう。


「ではこうして気兼ねなく、またいつでもお会いできますね」


「そうですね・・・仕事の合間に、また・・・」


肩を寄せてくるメリッサにジェイクは思わず周囲の目を気にするが、幸運にも視界内に入る者はいない。


時折吹くさわやかな風と、それに揺れる葉の音だけが世界の全てだった。


「もぅ・・・ジェイクさん、今はお仕事は忘れませんか?」


そう言いながらメリッサはジェイクの顔を覗きこむ。


少しだけ膨れた顔をしているが、それも他の事に現を抜かしてほしくない感情の表れ。


ジェイクは言わずもがな、メリッサも父カインの補佐をするために中々自分の時間を作れない身分である。


その2人が同じタイミングで仕事を抜けるのはかなり困難であり、今日のデートすら何度も予定が変更となり、ようやく会う事ができたのだ。


この場で仕事の話題を持ち出すのは無粋という物だろう。


「す、すみません・・・気を付けます」


ジェイクはすぐさま自分の非を認めると、頭を何度も振って脳から雑念を払った。


この機を逃したら、次は何時になるか解らない。


今は積み上がっている書類や物資の事は忘れるべきだろう。


「フフフ、解って頂けて嬉しいです・・・ほら、着きましたよ」


そうしている内に辿り着いたのは、目の前に広がる雑木林。


ここはメリッサが小さい頃から首都に来るたびに訪れていたお気に入りの場所だった。


特別な何かが有る訳でもないが、賑やかな首都から逃れて一息つくには最適な場所だ。


「こうしていると、昔に戻った気分です」


地面に広がる落ち葉を踏みしめる音だけが響く林の中を、2人はゆったりとしたペースで進む。


林の中は日差しが遮られ外よりも若干涼しく、また風も穏やかなためとても静かで落ち着いた雰囲気だ。


まるで世界から2人以外の生物が消え去ってしまったかのような錯覚に、不思議とジェイクの心が軽くなり、口数も増える。


「まだ、ワタクシ達が出会ってから、2年も経っていないのに、不思議な感覚ですね」


2人はこの林を歩くことで、無人島の森の中、カーブル山の登山道、白の社の桑畑、思念公園など、これまでの旅の出来事が自然と脳裏に浮かぶ。


あれほど苦難と命の危機に陥った旅も、今となってはその全てが宝石のような思い出だった。


「そうですね、夢みたいな時間でした」


ジェイクは手頃な倒木を見つけて腰を下ろすと、メリッサもその隣に座り、2人は自然の音響の中で目を閉じて全身でその場の空気を味わう。


そうしている内に、首都での慌ただしさや煩わしい事が全て霧散してゆくのを感じた。


「このまま、時が止まれば良いのに・・・」


メリッサはジェイクの肩に頭を乗せ、体を預けた。


ジェイクは最初こそ驚いたように一瞬体を震わせたが、その後彼は優しくメリッサの肩へ腕を回す。


こうしてジェイク達は2人だけの時間を今まで何度も共有して来た。


それぞれが普段の事を語るわけでもない、愛を囁き合うわけでも無い。


それだけで、2人は満足していた。


「あ、あの・・・前の話ですが・・」


しかし、今日のジェイクは違っていた。


いつもは夕方まで凪の海のように穏やかな時間を過ごしている彼が、突然会話を切り出すのは初めてだった。


そして、いつもとは違って彼の心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。


まるで、メリッサを救貧院まで迎えに行った最初の朝のように。


「前の話?」


メリッサはジェイクの言葉に思い当たる事が無いようで、怪訝な顔をする。


(前の話)と言われてもジェイクとは余りにも多くの時間と共にして、数え切れないほど言葉を交わした。


彼女にはジェイクが突拍子も無い事を言い始めたようにしか見えないが、彼の緊張具合から何か大切な事である事は伝わって来た。


「僕は教団から首都での活動を任せられる予定です、たくさんナハトの有力者に会いますし、部下もこれからたくさん増えます・・・だから・・・」


そして、ジェイクが語りだした内容はメリッサに(前の話)を思い出させるに至ると、彼女は息を飲んでジェイクの言葉に聞き入った。


メリッサは一字一句聞き漏らさぬよう意識を集中するが、彼女も緊張のあまり呼吸が荒くなる。


無理も無い、今のジェイクは思念公園でメリッサが口にした、婚姻の条件について話しているのだから。


「今の僕なら、フロストハウス家にいても恥ずかしくない・・・ですよね?」


婚約の為に足りなかった物。


人脈、そして人の上に立つ経験。


今まさにジェイクは、その2つを手にしようとしているのだ。


それはつまり、自分はメリッサを迎えに行く準備ができているという事。


「・・・はい」


その意思を、メリッサはジェイクから注がれる熱視線からひしひしと感じた。


だからこそ、彼女はただ(はい)と応える。


あの日、森の中で己の生まれを悔いた自分を。


あの夜、全てを投げ出しても傍にいたかった相手が。


あの朝、諦めないと言った通りに追いかけて来たのだ。


「メリッサさん、僕は・・・母なる神に誓って貴方を守ります、ずっとあなたの傍で、降りかかる全ての火の子を払わせ下さい・・・だから・・・」


ジェイクはしどろもどろになりながらも、メリッサの目を見ながら誓いを立てる。


それを戦乱に運命を狂わされた彼女を守りたいと言う彼の一心から来る物だった。


そして、それは同時に彼女へのプロポーズでもある。


「ぼ・・・僕と結婚してください!」


その言葉と共に、ジェイクは懐から小箱に入った指輪をメリッサへと差し出す。


それは以前宝石店わだつみで彼女が心惹かれた純白の真珠のリングだった。


彼は今日という日のために幹部フィオーレに(男として人生の決断の時)が来たと持ち掛けたのだ。


そして教団は、彼の願いを聞き入れた。


貴族の奥方の指にはまっていても恥ずかしくない最高級の指輪だ。


「・・・はい、これからよろしくお願いしますね、旦那様」


メリッサは指にそのリングを通すと、ジェイクの頬に手を当て彼と口付けを交わした。


長く、それでいて優しい。


2人の新たな人生の始まりを暗示するようなキスだった。


これからは夫婦仲睦まじく、首都復興に尽力してゆく事だろう。


ジェイク、メリッサ、そして彼等を取り巻く仲間達の未来はまだ続く。


人生の大海原で荒波に揉まれながらも、手を取り合い生きてゆくのだ。


しかし、それは同時に2人の旅が終わる事を示している。


この物語を語り継ぐ者が現れるかは今後に期待と言った所だが、2人の旅路を記すのはここで一旦区切りとしよう。


願わくば、波濤揺蕩う神殺し達に、神の祝福があらん事を。

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